151:陰キャが前に進んだ
<星架サイド>
大きく深呼吸した康生が、目をつぶるようにして改札のタッチパッドにICカードを当て、そのままこちらに駆けてきた。アタシは胸の奥が熱くなる。愛おしさのまま、康生をギュッと抱き締めた。
「えらい、えらいよ。一人で通れたね」
肩口に預けてくる頭を撫で回す。
通りすがったおばさん二人組が珍妙な物を見る目で、ジロジロと康生を見てる。ほっとけ、人には色々事情があるんだよ。と少しだけ怒りが湧きかけたけど、まあ客観的に見たら……改札を通って来ただけの陰キャを全身全霊で抱き締めて、褒めちぎってるギャルとか謎すぎて、思わず見てしまうのも無理はないか。
とは言え、晒し者になり続ける趣味もないので、康生の手を引いて、ホームへ降りて行く。横中方面への1番ホーム。あの日、康生が叔父さんの応援に行こうとして向かえなかった場所。そういや忘れてたけど……
「康生、テカリンピックって」
「大丈夫。星架さんが居るから。もし会っても無視しておけばいい。大丈夫」
うん、今そんなんに構ってる場合じゃなかったよね。
自分に必死に言い聞かせてる康生に体を密着させた。手も固く握り直して、頑張れと念を送り続ける。
やがて電車が来る。アタシは康生の横顔を穴が開くほど観察していた。無理そうならすぐに止める。少しの兆候も見逃さない。そんな気概でいた。
「大丈夫? 次の電車でも全然良いよ? それか今日は改札通れただけで大進歩だから、それで」
「ううん。行きます」
その健気さに胸が締め付けられる。どうにかして、少しでも彼の辛さや怖さを分けて背負ってあげる方法はないもんか。
「向こう着いたら、芳樹さんたちも居るから、頑張ろうな」
コクンと頷く康生。まもなくの発車を告げるアナウンス。多分アタシたちが乗るのか乗らないのか判断しかねてるのもあるかも。
康生がグッと足を踏み出した。電車内に一歩、二歩と進んで、やがて体全部が中に。アタシも慌てて後に続いた。
そのすぐ後に、
「ドア閉まります」
という抑揚のないアナウンスが聞こえ、背後でドアが閉まった。
座席に座ると、アタシは康生と腕を組むように体を密着させ、横顔を見つめた。緊張に強張ってはいるけど、今すぐ吐きそうなほど青白いとかはない。アタシの視線に気付くと、弱々しくではあるけど笑ってくれた。
あの電話の後、お休み(芳樹さんも運良く平日休みを取っていた)を満喫していたご家族に、二人で事情を話した。慎重なヒアリングの末、康生本人の、行きたいという意思を尊重し、信じることで全員が合意した。
そして同乗の役目はアタシが選ばれた。アタシで良いのか? という不安より、一番傍で支えてあげたいという想いの方がはるかに強かったから、二つ返事で受けた。
芳樹さんと春さんは、先行して横中東の駅まで車で向かってる。何かあった時に電車ではなく、乗り慣れた自家用車に駆け込めるように。
「まだ早いかも」
明菜さんはそう言った。その危惧ももっともだ。けど、同時に思ったんだ。お休みで家族全員が揃ってて、微力ながらアタシも傍についてる。本人の意思も固いし、受賞というご褒美もある。今日は、かなりの好条件が揃ってるんだ。
そして、最終的に。
「早いか遅いかなんて、誰にも、本人にも分からない。でもいつかは乗り越えないといけないことだけは分かってる」
という芳樹さんの鶴の一声で決まった。
気が付くと横中東の手前の駅に着いていた。少しだけ康生の体が強張る。そしてそのまま、立ち上がった。アタシも何も聞かずに倣う。
出口側のドアの前まで歩き、1駅分を立って待つ。
到着すると、ドアが開いた瞬間、飛び出すように降りる康生。手を繋いでるアタシも引っ張られる。ホームから乗り込んでくる女性のビックリした顔が見え、次の瞬間にはすれ違っていた。
「康生」
ホームの中央あたりで止まった康生の腕を優しくさする。
何となく気持ちは分かった。怖いからこそ、いの一番に済ませたかったんだろう。ジワジワ進んで、開いたドアに向かう方が勇気が要る、と。
少しだけ深く息を吐いた康生は、それでかなり落ち着きを取り戻していた。「行きましょう」と小さな声で言って、やはり自分から歩き出す。
駅舎を出ると、ロータリーに沓澤家の車が停まっているのが見えた。アタシは軽く手を振る。助手席の春さんが手を振り返してくれた。
そのまま車は発進して、大通りへ。グルッと迂回して、例の雑居ビルの建ち並ぶ区画へ先回りしてくれる手筈だ。
アタシたちも徒歩でそこへ。道中、俯いて顔を隠すようにして歩く康生を、心の中でずっと励ましていた。
そして……拍子抜けするくらい呆気なく、目的のビルに着いた。ドアをくぐり、エレベーター脇の自販機コーナーに入る。プラスチックの簡素な椅子に康生を座らせて、その顔を胸の中に掻き抱いた。
「よく頑張った。よく頑張ったよ」
康生も抱き返してくる。
「星架さん」
「ん?」
「大好きです」
「ふふ。アタシもだよ」
康生が落ち着くまで、ずっと頭を撫でていた。
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