93:ギャルと信号待ちした

 ヒューヒューと、口からヤバめな息が漏れている。さっき軽い傾斜を立ち漕ぎした時、ゴキュッみたいな音が膝から鳴って、それ以来ずっと痛いし。


 前を行くスターブリッジ号が、心なしか涼しげにさえ見える。


「おら~、チャキチャキ漕げよ。車輪天使」


「それやめろ」


 二人のやり取りも軽快だ。まあ実際は星架さんは結構しんどいとは思うけどね。


 やがて幹線道路の信号待ちで二台とも止まる。洞口さんがピョンと飛び降り、カバンから携帯扇風機を出して、星架さんに当ててあげる。何のかんの言っても友達想いだよね、洞口さんも。


 と、こちらの後部座席の姫も、カバンをゴソゴソやり始める。あ、流石に扇風機くらいは当ててくれるのか。そう思って振り返ると……彼女はスーパーのレジ袋から個包装のお菓子を取り出していた。


「ドーナッツ! 魅惑の円環ドーナッツ!」


 この期に及んで、まだ太る気なのか。僕の膝を再起不能にする為に。


「あ、沓澤クンも食べる?」


 優しさの方向音痴! 今そんなの食べたら喉に詰まって死んでしまう。


「康生」


 星架さんが、歩道脇の自販機で買ったペットボトルを渡してくれる。中身はスポーツドリンクだ。僕はお礼を言って、3口ほど頂いた。くう、染み渡る。


 星架さんもすぐ飲むだろうと思って、蓋を開けたまま返す。すると案の定、彼女もそのまま口をつけた。


「……」


「……」


 視線に気付いて、僕も星架さんもバツが悪くて、軽く離れた。間接キス、いつの間にか日常になって久しいけど、第三者から見たら、そりゃそうだよね。


「あ、いやいや。我々のことは気にせず、続けたまえ」


「つ、続きなんかねえよ!」


「あれ? ほっぺにチューしたって……」


「ぎゃああ! 何言ってんの、アホ!」


 洞口さんに殴りかかるポーズをする星架さん。うわあ、そっか。星架さん、洞口さんに話しちゃったのか。女子はこういうの平気でシェアするとは、噂には聞いてたけど。


 つい重井さんの方も視線で確認すると、ホクホク顔で頷かれた。あ、これは彼女にも話してますわ。


「てか、ドーナツは?」


「もうないよ~、そんなの」


 一袋丸々持ってた筈なんだけどな。「妖怪ドーナッツペロリ」でも現れんだろうか。イヤだなあ、怖いなあ。


「あ、信号変わるよ! ほら、千佳! 乗った乗った」


 星架さんが、わざとらしい大声で空気を変える。

 ここの信号、待ちは長いクセに渡る時はメチャ短いからね。実際、急いだ方が良い。

 

 僕も膝に力を込め……もう一度イヤな音を聞いた。














 もはや慣れ親しんだ溝口家。今日はお母さんの麗華れいかさんも在宅のようだった。どうしても誠秀せいしゅうさんの顔がチラつく。星架さんいわく、互いに想いが尽きたワケではないそうだが……


「あら、康生くんも? いらっしゃい」


「お邪魔します」


 子供4人に麗華さん。広めのリビングとはいえ、流石に手狭だ。

 女の子たちとぶつからないように(特に一名、表面積が大胆だから)慎重に動いて、テーブルにつく。


「待ってて、今カレー温めなおすから」


 星架さんだけ台所へ。

 しかし、なるほど。カレーか。確かに料理初心者でも手が出しやすい上、お茶漬けと違ってバカにされない。良いチョイスだと思う。


 温まりを待つ間、星架さんは鍋でエビを茹で、レタスを千切って皿に盛り、その上にスライスアボカドを散らした。茹で上がったエビをそこへ乗せ、付け合わせのサラダも完成させる。


「すげえ、星架。いつの間に、そんな」


「ふっふ~。特訓したかんね。誰かさんに、お茶漬けを鼻で笑われてから、さ」


 そんな冷血な町工場のせがれが? 居るというのか?


「おかげで私はカレーは当分見たくないけどねぇ」


 麗華さんが遠い目で、キッチンから顔を背けた。


「あはは、御愁傷様~」


 重井さんのノホホンとした慰めと同時くらいに、


「出来たよ!」


 と星架さんの高らかな宣言。


「運ぶの手伝います」


 僕は立ち上がってキッチンの方へ歩き出す。せめてそれくらいは、と思ったけど、星架さんに手で制された。

 最初から最後までやり遂げたいということだろう。その気持ちを汲んで、僕は再び椅子に座り直した。


 やがて、全員の前に皿が配られ、


「いただきます」


 みんなで行儀よく手を合わせた。そして実食。スプーンでルーとご飯を半々ずつ掬って、牛すじ肉も乗っける。

 隣に座る星架さんから、横顔に強い視線を感じる。いざ。

 僕はスプーンを口の中に入れた。

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