91:陰キャを出し抜きたい

 夏休み前、最後の授業。

 どこか教室中に、祭りの前の準備中のような浮わついた空気が漂っている。とか考えてるけど、僕もきっとその空気を醸成している一員なんだろう。


 4月の僕に言っても信じてくれないだろうな。この学校で一番美人なギャルの子と毎日のように過ごす夏休みを待ちきれずに、ウズウズしながら一学期の最後を迎える未来がくるだなんて。


 チャイムが鳴ると同時、教室内の空気が一気に弛緩する。終わった! これで一学期は明日の終業式を残すのみ。


「は~い、ホームルームは明日の終業式の後にやりますから、今日はこれで解散ね」


 ちょうど担任の太田先生の授業だったため、そのまま彼女は教壇から指示を出した。


「終わった~。康生! じゃなかった、沓澤クン、行こうぜ」


 星架さん、最近グダグダだよなあ。まあもう僕と彼女が仲良しなのはクラス中の知るところになってしまったから、今更だけど。


 実は僕と星架さんが例のモールデートをしている所をクラスの男女数人のグループが目撃してたらしく。

 まあ、冷静に考えれば、そりゃそうだよねって話。モールはクラスメイトたちもよく利用するし、僕らも別に変装とかしてたワケでもないから。


 そんなワケで、普通に二人並んで教室を出た。クラスメイトたちも、どこか生暖かい目で見送ってくれる。


「帰りさ、夏休み計画表作ろうぜ」


「え?」


「まず、来週にメイク教室だろ。それまでに康生のノブエルが出来るから、エントリーしに行くべ? それからそれから」


 ワクワクを抑えきれないみたいで、星架さんが子供みたいにはしゃぐ。可愛いなあ。あ、そっか、これ素直に言った方が良いんだっけ。


「星架さん」


「ん?」


「可愛いです」


「か!?」


 星架さんの元々大きな瞳が更に大きくなる。2秒くらい固まって、


「あんがと」


 と蚊の鳴くような声でお礼を言ってくれるのも可愛かった。














 <星架サイド>



 康生の不意打ちにまだ胸がドキドキしてる。なんでいきなり、あんなジゴロに進化してんだ?

 ……あ、そっか。アタシが勉強会ん時に、可愛いと思ったら、言って欲しいみたいな注文つけたからか。


 素直な良い子だなあ、ちくしょー。おかげでこっちは、このクソ暑いのに体温が更に上がったよ。


 なんかいっつも不意打ちで良いようにされとるな、アタシ。まあ惚れた弱みってことだろうけどさ。


 けど。毎回毎回やられっぱなしってのも癪だからさ。こっちも秘策を用意してんのさ。明日、目にもの見せてやるからな。のほほんと隣を歩く想い人の驚く顔を想像して、ひとりほくそ笑む。


 今日もマンションの近くまで送ってくれた優しい康生と、例の激近スーパーで軽く駄弁って解散……と見せかけて、アタシは店内にコッソリ戻る。


 ふふふ。忍者になれるかもな。とか康生に言ったら、服部半蔵あたり大喜びで作ってくれそうだから、やめとこ。


「牛すじ肉、人参、玉ねぎは……まだあったハズだから、あとは~」


 食料品コーナーを歩き回って、必要な食材をカゴに放り込んでいく。

 念のためにブクマしてるレシピサイトでもう一度、材料の買い忘れがないかチェックして、お会計。


 ママに頼まれてた牛乳とかも合わせると結構な量と重さになって、スターブリッジ号の前カゴがパンパンだ。別にハンドルを取られるほどじゃないけど……もし康生が居たら彼の自転車で運んでくれたんだろうな、とか考えてしまう。便利使いみたいで感じ悪いか。けど多分、アタシが何か言う前に、当たり前みたいに載せちゃいそうだよね。


『大事にします! 唯一の友達だし、出来る限りのことはして、使える時間は全部使います!』


 康生の言葉がまた脳裏に蘇る。まさに有言実行してくれてて、毎日がパラダイスなんだよなあ。康生に会えると思うと、学校ですら楽しみになってたし。


 やっぱ喜ばせたいよな。アタシの人生をこんなにも幸せにしてくれてる人を。


 家に帰りついて、手を洗って着替えて、さっそく台所に立った。作るのは牛すじカレー。実はオムライス屋で康生に鼻で笑われたデートの日から、コツコツと練習してたんよね。

 まだ野菜のカットとかは不揃いで、包丁も(ママいわく)危なっかしいけど。カレー自体が作ってみると簡単で、って言うかカレールーの偉大さを知ったよね。少々のミスは全て飲み込んでくれる味の濃さよ。


 そして意外とイケると手応えを感じたアタシは調子に乗って、少し変わったカレーを作ることにした。それで選んだのが今回の牛すじカレー。昨日も作って成功したんだけど、他のレシピサイトも見てみると、ワインを使ってみたりハチミツ入れてみたり、凝りだしたらキリがなさそうな雰囲気で。


「なんか、康生がモノ作る時に、やたら細部までこだわる気持ちが分かった気がするんよね」


 いつか、そういう気持ちもシェアできるようになるかな。

 アタシはそんなこと思いながら、鍋に浮かんでくる牛すじの灰汁を掬うのだった。

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