第15話 穿いていない

─── イリス視点  ───


どうしてこうなったのだろう。私にはそんな価値は無いのに。



私は独り言ちる。



使徒様たちは本当に私に寄り添ってくれている。私なんかのために本当に勿体ないことだ。



私、イリス=ナヴァル=ロドラには使徒様に言えないことがいくつもある。一つの嘘と二つの隠し事。



私は敬愛する女神の使徒である彼らを騙しているのだ。



それはただ、私の私欲のためにだ。



そのことが本当に恥ずかしい。



中央の魔術学院に入学して半年が経とうとしていたとき、私は突然魔法が使えなくなった。



体のどこにも異常は無い。ただ魔法だけがうまく使えなくなってしまっていた。



魔力も継承力もそのままなのに、魔法が組み上げられない。魔法が使えなくなる病気はいくつか存在しているけれど、そんな症状は聞いたことも無い。



どんな手段を用いても私が魔法を使えるようにはならなかった。私が使えるのは誰でも扱えるような第一階層の魔法だけとなった。



そこから私はこれまでどれだけ恵まれていたのかを知ることになる。



王国では魔法の力が全てだ。魔法が使える者は全てにおいて優遇され、その逆は冷遇される。他の国でもほぼ同じで、魔法が使えるということが他の全ての物事よりも優先される。



地位も名声も富もなにもかもが魔法という要素が絡んで成り立っている。



とはいえ、魔法は軍事的な側面が強い物だ。生存圏を脅かす魔物の脅威や他国との戦争や交渉に力を発揮する。もちろん、市民生活にも魔法は大きく関わっているのだけれど、そこまで魔法に依存した生活をしているという訳でもない。



魔法は戦いの手段なのだ。



私たちは常に戦いにさらされている訳では無い。それでも戦う力としての魔法は優遇されている。



その大きな要因は女神様の教えにある。



私たちの唯一神である女神様は魔法による戦う力を尊ぶ教えを説いている。国が成り立つよりも昔からある教会は、その教えを全ての人種に根付かせている。人もエルフもドワーフも等しく女神様の教えの下、魔法を研鑽している。



強大な魔法で魔物を打倒した英雄譚が語り継がれ、英雄と共に国が築かれた。



この世界はそうやって歴史を積み重ねて来た。



人種の歴史は偉大な魔法使いの歴史なのだ。



かつての私もその歴史に名を連ねることになると期待されていて、私もその期待に応えられると思っていた。



しかし、運命とは残酷な物だ。



私は一瞬にして多くの物を失ってしまった。



地位や名声にこだわっていた訳ではない。ただ他に生き方を知らなかった。



私の未来は真っ暗で、どうすればいいのかわからなくなった。



どこで選択を間違ったのだろうかと、何度も何度も自分に問いかけるが何もわからなかった。



どうして私がこんなことに…、と何度も嘆くが何も変わらなかった。



いっそ目が覚めたら全てが夢であったらいいのに、と何度も願うけれど、その願いが叶うことは無かった。



次第に私は眠れなくなっていた。



失ってから気づいたこともある。



私は元々、自分で何かを選んだり欲したりして生きてきた訳では無いということだ。



ただ、高位の魔法を使えるということが全てで、お父様から言われるがままに生きてきた。



魔法が使えなくなって、王子との婚約が破棄されて中央から出されたときもそうだ。お父様から言われた通りに屋敷を出て、サングリッドの領主代行となった。



私と王子との間に恋慕の情なんて物が無かったのはせめてもの救いかも知れない。私たちはその必要があったから婚約者となり、その必要が無くなったから婚約は解消された。王家からは書簡が一通届いただけで、王子は顔も出さなかった。私も手紙で簡単な謝罪をしただけ…。私たち王族や貴族はそういう物なんだろう。与えられた役割に準じて生きて役割に準じて死んでいくのだ。



丁度、そのころだと思う。お父様からアデルモ侯爵との婚約が伝えられたのは…。



彼のことは良く覚えている。王宮であった貴族たちの晩餐にやってきた侯爵は、私にじっとりと品定めするような視線を向けて来た。両手で私の手を握るとニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるような人だった。苦手な人だと思ったのを覚えている。



苦手でも嫌悪感を持っていてもしょうがない。私のように魔法の使えない者にでも価値があるのなら、その役割を全うしなければならない。それ位しか私に出来ることは無いのだから。私のような者に恩情を与えてくれたのだと考えるべきだ。そうするべきなのだ。



そして、魔物の襲撃が起こった。王国と魔物の領域との境界にあった城塞都市が一晩で落とされ、中央に向けて進軍を始めた。



私はすぐにお父様に救援を求めた。サングリッドはロドラ家の領地で最も魔物の進軍ルートに近い場所であった。名ばかりとはいえ、お父様から与えられた領主代行の任として、お父様に判断を仰ぐ必要がある。援軍を寄こしてくれるのか、住人全員で逃げるのか。



お父様からの返答は「援軍は出さない、逃げることは許さない」という物だった。



貴族として領地と領民を守るために戦わないという選択は無く、戦略的に中央を守るためにサングリッドに送る援軍は無いという。



お父様は「貴族の役目としてここで戦いここで死ね」と言っているのだ。



私は泣いた。



魔法が使えなくなってから何度も泣いて、もう涙も枯れたと思っていたのに。



それでも涙は次から次へと沸いてきたのだ。



私は愛されていなかったのだろう。



魔法を使えない娘に価値など無かったのだろう。



厳格だったお父様の顔が脳裏に過る。



それももうどうでもいいことだ。私の命も残り数日で終わる。



私は屋敷の者と街の住人たちに魔物の侵攻を伝えた。お父様はここで戦えとは言ったが、私以外の者が付き従う必要は無い。彼らには「ここで死ぬ」という役割は与えられていないのだから。私は貴族としての役割を全うして最期まで戦うという役割が与えられている。それを全うするだけなのだ。



街は大混乱に陥った。我先にと逃げ出す者たちで街の道路はいっぱいになった。



2日もすると、屋敷からもすっかり人がいなくなっていた。特に魔法に秀でた騎士たちはお父様の所に招集された者も多く、2000人いた街の騎士が20人を残していなくなっていた。執事やメイド達も逃げる場所がある者は全ていなくなっていた。別れの挨拶に来てくれる者もたくさんいたが、それよりも黙っていなくなる者の方が圧倒的に多かった。彼らからしても私の価値なんてその程度だったのだろう。



腹がたつという訳では無い。悲しかっただけ。



すっかり静かになった街を見下ろすと、未だ多くの人がそこで生活しているのが分かった。



彼らは他所にいくあても無く、ここで生きるしか選べない者たちだった。



私とおんなじだ。



屋敷には未だ多くの食料や十分なお金もある。どうせ滅んでしまうのなら最後の夜には盛大に振る舞うのもいいだろう。私は飲まないけれど、お酒もたくさんあったはずだ。最期なら私もちょっとだけ飲んでみるのもいいかも知れない。



そう自虐的に笑うのが、今の精一杯だった。



そんな時、彼らが現れた。近隣で名を轟かせている冒険者チーム・マグドのみなさんだ。



私は彼らからとんでもない提案を受けた。



それは「使徒様を召喚する」という物だった。



王国では使徒様の召喚は禁忌であり、召喚魔法は禁術とされている。それに関わった者は王国の法では例外なく絞首刑になる。これは200年前に王国に現れ、一代でいまのような大国にまで押し上げた使徒ショーイチ様の定められた法で、王国民が魔法を習う際に絶対に教えられる絶対の法であった。



魔物の大群によって住処であるアレゼルの森を焼かれたエルフのカレナリエルさん達は、このままでは森のエルフ達だけなく、人種の存亡を掛けた戦いであると、魔法による伝文でカルガイア王に使徒召喚を要請した。その要請は却下され、更に犯罪者として投降しろとまで言われている。



中央に向かっている最中に、冒険者チーム・マグドのノーランと会い、事情を説明して協力関係となった。そして、私のところにやってきた。



彼らがわざわざ私のところにやってきたのは、私の血が欲しかったから。



使徒様を召喚する魔法は王国では禁忌とされているけれど、エルフ達には伝えられている。カレナリエルさんの兄が召喚魔法の研究者であり、使徒様の召喚魔法を研究していた。その魔法は一般的な魔物を召喚して使役する魔法とは全く違う規模の大きな儀式魔法。3種族3人での合同詠唱を用いた召喚魔法で、キーとなるのが「王族の血」が必要という物だった。



公爵家と王家との血のつながりは濃い。



私の亡くなった祖母はカルガイア王家の出で、私もその血を継いでいる。そのことをカレナリエルさんが知っているかどうかはわからないけれど、上級の貴族が王家と近いというのは周知のことでもある。



私は王族では無い。その事はもちろんカレナリエルさんも分かっているはず。



それでもカレナリエルさんは私に掛けたいと頼み込んできた。彼女たちがどれほどの物を見て来たのかはわからない。でも、人種が滅ぼされるほどの脅威であると確信し、私に掛けたのだ。



彼女は私が魔法を使えないことも知っていた。それでも私しかいなかったのだ。



他の誰でも無く私を頼ってくれたことが嬉しかった。多分、他の上級貴族たちに断られたからかも知れないけれど、それでも誰かに必要だと言って貰えたのは初めてのことだったから。ノーランさんが「ちょろ…」と言っていたのを私は聞き逃さなかったけど、それはいい。



魔法が使えないし、王家の人間でもない。不安な要素が多い召喚の儀式魔法だったけれど、それは成った。



私とカレナリエルさん、マグドのメンバーのオグニルさんで行った召喚魔法によって、23名の使徒様が召喚された。



これは歴史でも聞いたことが無い人数だった。



ただ座して魔物に殺される運命にあった私に女神様が奇跡を齎してくださったのだ。



これまで灰色に見えていた世界が、使徒様たちと触れ合っていると色を持ち始めた。生きられるという希望が私に力を与えてくれた。



でも、その先に私に自由などありはしない。



使徒様のお力で魔物の軍勢を退けたとしても、禁術を使った私は王国の裁判で裁かれる。もし、処罰を受けなかったとしても侯爵の元に嫁ぐことが決まっている身だ。希望を持った分だけ絶望の色が濃くなった。



それに使徒様に私は嘘をついてしまっている。使徒様たちは使徒様たちの世界への帰還を望まれている。これまでの歴史書を紐解いても、使徒様が元の世界に帰れた事例は存在しない。カレナリエルさんからも「見当もつかない」と言われている。その長い寿命で魔法の研究を続けているエルフ達が知らないことだ。人の短い一生で見つけられるとも思えない。



私は全てが終わったら帰還する方法を教えるとお約束している。



私のついた嘘だ。これが使徒様に知られたときに私はどんな目を向けられるのだろう。



そのことが堪らなく恐ろしい。



きっとすぐに出ていかれてしまうだろう。使徒様たちが私のために死んでくれるはずがないのだから。きっと王国の中央にいかれてより手厚い援助を受け、魔物達を打ち滅ぼしてくれるのだろう。



でも、そのとき私は生きてはいないのだろう。



私は先生に二回、頭を撫でてもらった。これまで周囲からの賛辞と称賛は数えきれないほど浴びて来たけれど、そんな風に近しい人に褒めてもらったことなんて一度もない。お父様からもお母さまからも褒められたことはもちろんある。でもそれは私の魔法の力を通してしか見られていなかった。



こんな体になるまではそれが当たり前のことだったし、私もその中で生きて来た。



私は市井の親子が普通にしているような愛情を受けたことがない。親が子に対して持つ無償の愛情という物。ただ存在を認めてくれるような何の不安も心配もない愛情。



それが貴族として当たり前のことなのはわかっている。



もし、一度でもお父様やお母さまからそんな愛情を受けることが出来ていたなら、こんな気持ちになることも無かったのかも知れない。



「お父様にも撫でられたことなかったのに…」



私は誰に聞かれることも無く呟いた。



これが私が使徒様についている一つの嘘と一つの隠し事。そして最後にもう一つの隠し事がある。



それは女神の聖痕。



高位の魔法使いに現れる特殊な行動の名前だ。



館にいるマルコはかつて勤勉で優秀な魔法使いとして宮廷にも仕えていたことがある高位の魔法使い。その才能と人格で多くの者から尊敬を受けていたらしい。しかし、第三階層の魔法を継承したときに女神の聖痕を与えられた。



それが「幼い少女に執着」をみせるという物だった。



女神の聖痕は、基本的には礼節をもって受け入れられる物なのだけれど、彼の場合は王宮に仕えるには大きな問題があった。第五王女ダリア様が彼の付きまといの被害にあったのだ。その後、紆余曲折があり、ロドラ家に仕えるようになった。



聖痕にはその者によって、多様な顔を見せる。



吸ったことも無い煙草を吸うようになったり、必ず右足が前に出ていないと落ち着かなくなったり、髪を伸ばし続けたりとその者の性格に全く関係なく与えられる。



マルコのように聖痕によって人生が変わってしまう者も少なからずいる。



使徒様もこれから高位魔法を求める事になる。このことをお知らせしておかなければならない。



そして、私の隠し事。



私はロドラ家に伝えられる公爵家の秘匿魔法を継承している。その力は強大で、その分だけ大きな女神の聖痕を与えられている。



継承された魔法を使えない私にはもはや呪いのようだと、不敬なことを考えてしまう。



このことはきっと話しておかなければならない。



私は女神の祝福によって下穿を身に着けることが出来ない体になっている。



これは魂に刻まれる証で、どれだけ試しても精神が拒んでしまう。



使徒様も同じように



丈の長いスカートを穿いているから誰かに見られることは無いのだが、私は使徒様の前にいて常に身に着けずに普通の顔で振る舞っている。



これ以上、使徒様たちを騙し続けることは出来ない。



私の嘘と隠し事を話し、許しを請おう。



使徒様たちは本当に私によくしてくれている。こんな私にも気さくに声をかけてくれる。あんな風に「女子会」という年代の近い者どうしで気軽に話をするなんて初めての事だった。



私は使徒様たちには誠実でありたい。



そのことで彼らが去ることになっても受け入れなければならない。



打ち明けよう「私はノーパン」であると。



私は意を決して使徒様たちの授業の前に時間を頂き、皆様に全てを打ち明けた。



私のこれまでの半生、使徒召喚が禁忌であったこと、帰還魔法が存在しないこと、私が穿いていないこと。



使徒様たちは私の話を静かに聞いて下さった。高坂様、三ノ宮様、藤川様は昨晩、おおまかな話をご存じではあったが、衝撃を受けているようだった。



そして、なぜか私が穿いていないところで急に空気が変わり、使徒様方が二つに分かれて言い争いを始めてしまった。



「我々はイリスちゃんを守護る会イージスを発足する!これより男子たちのイリスちゃんへの接触を禁じる!」



中村様と女性を中心に私を守るグループが発足されてしまった。



「ふざけるな!我々の夢と希望を胸に戦う組織、イリス隊こそが真の親衛隊だ!俺たちの軍門に下るなら隅っこで存在することを許してやってもいい」



田所様を中心に男性の使徒様たちが別のグループを作られ、争いが始まってしまった。



「神聖にして不可侵の金髪美少女令嬢を、汚らしい目で見るような不埒な輩が、親衛隊を名乗ることを許されると思っているのか」


「汚らしいとはなんと言ういいがかりだ!ロマンを理解していない頭の凝り固まった老害のような言い方しか出来ないのか!イリスちゃんのパンツはその存在が確定していない不確定の存在。そして、我々はそれを確認することはしない。永遠に確定しない是か非かの可能性を持った奇跡の存在だ。つまりはシュレディンガーのパンツだ。しかし、俺たちはその不確定性の崇高さを理解している紳士である。開いて結果を知りたいという欲求よりも、美しい不確定を愛する者たちの集まりなのだ」


「貴様ら、そんな戯言が通用すると思っているのか!」


「戯言かどうかは貴様の目で確かめることになるだろう」


「その前に貴様の口をパテで埋めてしまう方が先だ!汚い口を閉じるがいい」


「フハハハハハハハ!威勢のいい子娘だ!手始めに貴様から血祭りにあげてやろう!」



使徒様たちはクラスを二分していがみ合いを始めてしまった。この争いに参加していない方もいらっしゃるので、クラスを三つに分けたような形になっている。



「これ、あれだな。私のために争わないでーって言うやつじゃね?」


「黒羽先生っ!呑気なこと言ってないで止めてください!」



黒羽様が普段と変わらない口調で話し、佐藤様があわてていらっしゃる。いつもの光景だ。



そう、いつもの光景だったのだ。



私は受け入れられたのだ。



「黒羽様、お怒りになられないのですか?」


「いまの話の流れで怒るような感性は持ち合わせてないよ。確かに帰還魔法に関してはショックっちゃーショックだけど、そうじゃないかなーとは思ってたからね」


「ごめんなさい。言い出せなくて…」


「だから何回も言ってるけど子供がそんなこといちいち気にしてんじゃねーって。もっと大人に頼るのが俺たちの世界の常識なんだぜ」


「ありがとうございます。本当にありがとうございます」



本当に使徒様たちは暖かい。私の知らない暖かさだった。この感情を私は知らない。



自然と感謝の言葉が溢れてくる。



「ちなみに…ほんとに穿いてないの?」



黒羽先生の言葉に教室中の全員が超反応する。



「「「ばかやろー」」」



すぐさま黒羽様は生徒達に取り囲まれてもみくちゃにされている。



私は使徒様たちに向けて叫んだ。



「私のために争わないでー!」

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