第10話 秘め事

─── 酒田健太視点  ───


七星高校2-B、酒田健太。バスケ部所属。



趣味は音ゲーとデュエリストカード。



俺たちは10月の修学旅行中に異世界に召喚されて、勇者みたいな扱いの使徒なんて呼ばれて、絶賛魔法の修行中だ。



もともと半信半疑だったけれど、実際に魔法を扱えるようになると信じざるを得なかった。



魔法は凄い。なにが凄いってテンションが上がる。17にもなれば本気で魔法を使うだとか、闇のゲームが始まるとか、美少女姉妹の家庭教師なるだとか、現実に起こるとは思っていない。フィクションとして楽しむ物だということは分かっていた。



でも現実に俺の手から炎が放たれたときは感動した。夢が現実になったと言っても過言ではないんだろうな。



修学旅行はおそらくダメになったが、それ以上の体験をしていると思う。



生活環境もなかなかに快適だ。料理はうまいし、部屋は綺麗だし。異世界生活で不便があるかと思えば生活には支障が無いことが逆に驚きだ。朝倉がもともと魔法で発展した世界に、俺たちより前にやって来ていたと言う使徒達が、自分達が生活しやすいように改変していったのだろうとかなんとか言っていた。確かに、エナドリもプロテインも漫画もボウリングもタンクトップも高反発まくらもある。トイレも水洗だ。それぞれどんな手段で作られているのかは全くわからないが、中世だとは思えないような生活水準で生活できている。



トイレに貼られている「成功の道を進め、人には勝手なことを言わせておけ」とかいう筆で書かれた格言みたいな物はなんなのかはわからなかったけれど。概ね俺たちが元居た世界の生活と変わらない水準での生活が出来ていた。学生の身分としては十分すぎると言ってもいいかも知れない。



問題があるとすれば、そこはやっぱりインターネットが無いことだろう。スマホはある。充電も出来る。しかし、インターネットが無ければ、その機能は10分の1にも満たない。とりあえず携帯しているが、ここ数日開く機会も減ってしまった。



そして、元の世界に帰れる見込みがいまのところ無いことも問題だ。異世界に来れたのだから帰ることも可能なのだろうとは思うけれど、いまのところその手段は明言されていない。しごきの時の持久走みたいな物で、終わりの無いレースほどメンタルをやられる物は無い。なにをどうしたら、いつまで待てばゴール出来るのかがわからないと、ストレスは通常の何倍にもなり、まともなパフォーマンスを発揮できない。そこに俺たちが戦わなければならないらしい魔物達との戦いに勝てるかどうかわからないことも加わり、俺たち男子達はそこまででも無いが、女子達の中にはみるみる元気が無くなってきているやつもいる。



俺たちはそこそこ限界が来ているのかも知れない。俺たちは帰れないのでは無いか?このままでは魔物達に殺されるのでは無いか?元の世界で親とか兄弟は心配してるんじゃないか?部活のみんなは?バイト先の友人なんかも。誰にも知られずにこのままこの世界で消えてしまうんじゃないか?誰も口には出さないが、心の中ではそういう暗い想像が頭をよぎることもある。



本気で何も考えていなさそうなヤツも結構いるが、いまはそれは置いておこう。



先生は「必ず全員を帰らせる」と言っていた。普段はなんか頼りない先生だけれど、こんな時は頼ってしまいたくなる。根拠は無くても言い切ってくれることで、俺たちは前を向くことが出来ているのだと思う。俺も来年は3年になる。部の後輩にはそういった姿を見せていくのは必要なことかも知れない。始めて黒羽先生から学びを得た気がする。普段はだらしなくシャツとかはみ出してるから、あまりそういう目で見てこなかったけれど、やっぱりそういうとこは大人だよな。



とにかくここ数日落ち着かないせいで俺たちのメンタルは疲れ気味だ。



そんな中でも癒しがあった。



この街の領主代行のイリスちゃんだ。綺麗なブロンドヘアーに蒼い瞳、肌は真っ白で手足は細く華奢な美少女。俺たちの世界だったら40何人くらいのグループで前の方に立てるんじゃないかってくらいに整った顔立ちをしている。性格も穏やかで優しく、話す言葉の端端に純粋さが見える。



彼女が何故、こんな危険地帯の領主なんてやっているのかはうっすらとしか聞かされてはいないが、俺たちと変わらない年の子が重責を背負っているのを見ていると尊敬というよりは可哀そうになってくる。そのこともあってか時々見せる憂いを帯びた表情に何度も見惚れてしまった。



『守ってやりてぇー』



そんな感情を抱かせるには十分に魅力的な少女だった。



絶対に口に出して言えないが、うちのクラスの女子たちとは大違いだ。俺を含めた男子のほとんどはイリスちゃん狙いと言っても過言では無い。



婚約者がいると聞いてショックを受けたが、貴族達の愛の無い政略結婚だと聞き、安堵するような不憫なような、なんとも複雑な気持ちになった。就寝時に男たちで集まってする妄想話では、愛の無い政略結婚をさせられるイリスちゃんをいかにして救うかが定番の議題になっていて、誰が手を出すかで揉めて話がまとまらずに眠るというパターンが出来上がっていた。



妄想話とは言っても、俺たちは使徒と呼ばれる異世界チート持ちで、この世界ではかなりの地位が約束されているのは感じる。一概に妄想話とも言い切れない。魔物の軍勢との戦いで活躍したヤツがイリスちゃんと付き合う権利を得る。本人の了承の無いところで、なんとなくそういう不文律になっていた。



今日は異世界に来て5日目の朝。俺と朝倉と北山が連れ立って食堂に向かっている途中、あくびをしているイリスちゃんと出会った。



「おはようございます、酒田様、朝倉様、北山様」


「おはようイリスさん。なんか眠そうだけど?」



何気ない挨拶だった。俺はイリスちゃんを気遣ってるぜアピールでもあった。



返ってきた答えは衝撃的な物だった。



「ごめんなさい。昨日は黒羽様が朝まで寝かせてくれなくて…」



と言うと、イリスちゃんはもう一度大きなあくびをした。



「ね、ねね、ねねねねね、寝かせてくれないって?」


「どういうことですか?」


「あの男は何やってんだ」



俺たち3人は男子たちの中でも有数のイリスちゃんのモンペだ。当然の如く動揺した。まさかあの男、こんな美少女とやりやがったのか?それよりも教師がそんなことしていいのか?しかもこんなよくわからない危機的状況下で?ふざけるな卑怯者!



「はい。でも、私も嫌という訳ではなくて…。出来たら少し心の準備が欲しかったというか…。でも頑張ったので満足して頂けたみたいなので本当に良かったです」


「ま?満足って?」


「はい、朝まで何度も何度もなさいましたので」


「まさか…」


「私もすぐ限界に達してしまって、黒羽様にはもう無理ですってお伝えしたんですけど、許してくれなくて…」


「あの野郎……。やりやがったな」


「でも、最後まで出来て私も嬉しかったです」


「さ、最後まで?」



イリスちゃんは少し嬉しそうに俺たちに報告した。そのことが更に俺たちを絶望に叩き落した。



俺たちのクラスに失われた清楚。イリスちゃんを!あいつはやりやがった!これは万死に値する。



はにかんだ笑みを見せるイリスちゃんをなんとも言えない表情で見つめていると、うちのクラスの女子たちが騒がしく現れ、イリスちゃんを連れて食堂に向かっていった。



俺たちはしばらく放心状態でそこに立ち尽くしていた。



「「「あいつぜってー許さねー」」」



俺たちは一致団結すると、猛ダッシュで食堂へ駆け込んだ。



しかし、そこには黒羽の野郎の姿は無かった。



そのことに関して食事の前にイリスちゃんから説明があった。なんでも黒羽の野郎はほとんど寝ていないため、食事は部屋で取るらしい。あいつ逃げやがったのか?



そして、クラスの全員、朝食を取ったら指定された部屋に集まるようにとのことだった。俺たち3人はそこで黒羽の野郎を糾弾することに決め、朝食をかき込んだ。



◆◆◆



指定された部屋というのは、魔法の訓練をしている中庭のすぐ側にある騎士さん達の会議室のような場所だった。等間隔にテーブルが並び、正面には黒板が備え付けられている。まるで教室のような場所だった。本来ならば騎士さん達はここでブリーフィングなんかを行っているところなのだろう。そして、黒羽の野郎は未だそこい居なかった。佐藤ちゃんは正面の教壇の横にある椅子に座ってオロオロしている。たぶん、何も聞かされていないのだろう。佐藤ちゃんはそういうところあるよな。



俺たち全員が適当に席に座ったところで、ボサボサの頭をした黒羽の野郎となんだか昨日よりツヤツヤした顔のエルフのお姉さん達が入って来た。イリスちゃんと騎士さんも遅れて入ってきた。



まさか、エルフのお姉さんたちまで毒牙にかけたんじゃないだろうな!完全に異世界ハーレム野郎じゃねえか!裏山…じゃない!許せねぇ!



「おーい、全員集まってるかー」



俺たちの気も知らないであいつは気の抜けたように部屋に入って来た。



「全員いるなー。じゃあノーラン。あれを全員に配っちゃって」



ごついおっさん冒険者のノーランさんが俺たちに黒い板を配り始めた。俺たちはこれを知っている。黒くて液晶が付いてて開くとキーボードがある。学校で使ってるタブレットだ。



「んじゃ全員タブレット電源入れてー。wifi接続してデスクトップの882選んでパスワードはこれ打っとけー」



そう言って黒板にパスワードを書き出していく。



「わかってると思うがwifi繋いでもインターネット回線はもちろん無いからなー。木村ーガチャガチャやってるけど出来ないもんは出来ないからなー。やめなー」



黒羽の野郎の言う通り、この世界にはインターネットが無い。ならなんでwifiなんて使おうとしてるのか?



「ほい。wifiはローカルでデータ共有するのにしか使えないから、なんも出来んぞ。じゃあ、共有ファイルのデータをコピーしてデスクトップに貼り付けろー。ちゃんとコピーしろよ。元のデータは絶対消すなよー。わかんないことあったら聞けー」



俺は言われた通りにデータをコピーしてデスクトップに貼り付ける。



黒羽の野郎は「わかんないことがあったら聞け」と言った。じゃあ聞いてやろうじゃねーか。



「先生!一個聞いてもいいですかねぇ」


「なんだ酒田。普段質問なんてしたことないヤツが手を挙げるなんて。やるやん。あれか異世界バフか?テンション上がっちゃってるのか?」


「テンション上がってるのは先生の方なんじゃないすか?昨晩はイリスさんとお楽しみだったそうじゃないすか?朝までなにやってたんすか?」



俺は湧き出る怒りを抑え、絞り出すように糾弾した。俺の発言は教室に激震を走らせた。



「なぁにぃ!?」「先生!いまの本当ですか!」「マジか」「イリスちゃん!?」「嘘…?」「やっちまったなぁ」「先生も男って、こと?」「吊るせぇー」騒然となる教室。



さあ、断罪の時だ。



「ちょうどいまそれの話をしてるだろ?ファイル開いてみれば分かる。ほれ、開いてみろ」



黒羽の野郎は悪びれもせずファイルを開けと言ってくる。俺は言われるがままにファイルを開いてみた。



ファイルはテキストファイルが十数個あり、それぞれ「現代文」「古文」「数Ⅱ」「生物」「英Ⅱ」「科学」「地理」「世界史」「日本史」など、完全に見慣れたタイトルが付けられていた。



「先生…。これは…?」


「見たらわかるだろ?教科書だよ教科書。これ作るのに昨日は徹夜してなー。マジで眠い。ほんと眠い。あーイリスもありがとな。お前の充電魔法が無いと始まらないからな。付き合わせて悪かったけど、間に合ってほんとに良かったぜ」



イリスはパッと表情を明るくし、「お役に立てて嬉しいですっ」と声を弾ませている。あれ?本当にこの為だった?



騒然となっていた教室も疑問に疑問が重なり、事態についていけず混乱して逆に静かになってしまった。



え…と、勘違いだったなら良かった。イリスちゃんは守られていたということか…。



俺は安心したような、勇み足で恥ずかしいやらよくわからない上に、なんで教科書作ってるんだという疑問で訳が分からなくなっていた。



「じゃあ今日は月曜だから現代社会から始めるぞー。テキスト開けー」


「いやいやいやいやいや、おかしいだろ!異世界にきてなんで普通に授業始めようとしてんだよ!」


「それはな…」



黒羽先生は佐藤先生の方をチラっと見るとその理由を話し始めた。



「これはな、佐藤先生が言い出したことなんだ…」


「えっ?わ、私ですか?」



佐藤先生が驚いて上ずった声を上げる。どうやら違うようだ。



「佐藤先生はな、お前たちのことを本当によく考えてくれていてな。お前たちが不安にならないように心を砕いて下さっているんだ。優しいよね?」


「あの、なんのことですか?」


「そう、お前たちが一番心配していること、それは授業が遅れてしまうことだろ?2年とは言えこの時期に授業が遅れると受験に響くからな。こんな状況下で正式な形での授業は出来ないが、そこは安心しろ!俺が校長にでも教育委員会にでも話をして単位を認めてもらえるようにしてやるからな!そしてもちろん授業にも手は抜かない!きちんと単位取得に十分なレベルで授業してやるからな」



俺たちは一斉に佐藤先生を見る。佐藤先生は動揺している。これは絶対に違うやつだ。



「わ、私そんなこと言ってません!生徒たちも不安だろうからケアしていきましょうって言ったんです」


「そう、優しいよね。だからちゃんと授業してやるからな。佐藤先生は副担任としてサポートお願いしますね。期末テストも作らなきゃですし。小テストなんかもお願いしようかな」


「え、わ、わかりました」



佐藤先生は流されてしまった。いや授業なんか受けてる状況じゃないだろ。



「先生!魔物が来るとかってときに授業なんかしてる暇ないんじゃないのか?」


「お、酒田あれだなー意外とマジのメーだな。若いのに頭の固いのはモテへんでー」


「わけがわかんねーよ」


「いやな。若いんだからもっと欲張っちゃってもいいんじゃない?可能性は無限大なんだからさっ」


「先生、どんなキャラなんだよ。ちょっとイタイぜ」


「うっ」



黒羽先生は一瞬怯んだが、すぐに立ち直った。



「俺たちは教師だからな。お前たちがどっちも出来るようにサポートしてやるのが仕事だ。文武両道ってやつだな」


「いや、だから死ぬかもわからないこんな状況で授業なんか受けていられないだろっ」



俺は言った後に後悔した。これはクラスの全員が分かってはいるが、口に出さなかった言葉だった。「魔物に負けて死ぬかもしれない」これは全員が分かっていて、認めたくないからこそ口に出さなかった言葉だった。



案の定、一瞬にして教室の空気が凍り付いた。



「お前、あれだな。今日、失言王だな」


「いや、でも、そうでしょうが」


「大丈夫。こういう状況をなんとかするのが大人の仕事ってやつだ」



黒羽先生はそう言いながら俺の席の側まで歩いてくると、肩をポンと叩いた。そこには大人の余裕が見えた。紆余曲折したけれど、黒羽先生はやっぱりしっかりした大人なのかも知れない。



「じゃあ、ダウンロードしたテキストの『人生を変える速読法すごいこれで大東に合格しました』を開いてくれ」



いや、やっぱりこいつふざけてるだけかも知れん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る