第8話

カレンブッカー氏に絵を渡したはいいもののやはり売りに出すことは金額上難しいからと商館の顔として置くことにするらしい。後日エントランスの壁に掛けられたゴッホの『ひまわり』を見るとすぐ盗まれそうだと思っていたけれど、どうやら防犯設備は目に見えないだけでバッチリらしい。後から聞いた話だが盗みに入った輩を連行しに来た衛兵がその惨状をみてトラウマになったとかならなかったとか……。


帰りの馬車の中でカレンブッカー氏に特大の恩を無理やり押し売りしたから心情はよろしくなかろうとオールオッケーとか思っているとゴードンから窘められてしまった。曰く今回の件はカレンブッカー氏に相当に迷惑をかけており、俺の行い自体がエリザの評判を落とすことになりかねない事を理解した方がいいとの事だ。ぐうの音も出ないとはこの事だな。反省します。……反省はするけれど『ひまわり』を見たゴードンがした表情は一生忘れないで笑い続けていこうっと。


まぁなんだかんだで最終的にはカレンブッカー氏がエリザ陣営についてくれるとの事だから成功っちゃ成功だろう。早いとこエリザにあった事を報告する為に馬車を走らせ王城へと帰ったのだが……。


「ゴードン、この方は?」

「アマワタリ様っ?!」

「はは、別に僕は気にしないよゴードン。アマワタリ君は昨日来たばっかりだから僕の顔も知らないだろうしさ」

「ですが、教皇様にそのようなお気を煩わせてしまう事が」

「ゴードンはまじめだなぁ。なんとなくの適当でどうにかなるっていうのに。あと、僕はもう元教皇だから、そこの所よろしくね」


教皇だとかゴードンがカレンブッカーの商館ですら見せなかった謙り下り方を目の前の人物に行っていることから、いくら俺でもかなり宗教面での権威である事が分かる。てか、元教皇とか自称してるけど全くオーラ的なものが一般人とは違うから説得力無さ過ぎなんだよなぁ……。


「あー、転移したばかりで至らぬ点があるかと思いますが、容赦していただければ幸いです?」


確かこんな感じで良かったような……。うんまぁエリザがよくわかってない事は知ってるから無反応なのは分かるけど、セリーヌが眉間にしわを寄せて頭痛でも堪えるようなしぐさをしてるから、これはやらかし確定か……。


「……ぷっ、あはははははは!」


と思っていると目の前で爆笑されちった。元教皇って案外気さくな人なのか?


「アマワタリ君、なかなか面白いねぇ!どうだいよかったらこれからみんなで食事にでも」


おっとこれは、高度で柔軟な政治的判断が求められるところな気がするぞぉ。ここはセリーヌに指示を仰ぐのが一番だが……あ、はい『一度お断りを行うのが通例ですし、正直お断りしたいところではありますがお受けする以外に選択肢はございません』って言われた気がした。得も言われぬ表情がなんかそんな感じだ。


「そう、ですね。でしたらお言葉に甘えてもよろしいですか?」

「ははは、勿論だとも。エリザちゃんとセリーヌちゃんの準備に時間がかかるだろうから、アマワタリ君は先に馬車に乗るかい?」

「あー、ありがたいお言葉ではあるんですけど、自分も一度着替えた方がいいと思いますので……」

「そうなのかい?特段問題ないような洋装に思えるけれど」

「今さっきカレンブッカー氏のところで油絵を描いてきたので多分においが移っていると思いますよ」


別にこのまま事務作業に突入するのであれば特に着替える必要もないだろうけど、どうせ元とは付きながら教皇が案内する食事だろうから高級フレンチ的な店だろう。そこで油絵のにおいが漂いでもすればかなりよろしくない事態になりそうだ。


「なるほど……アマワタリ君は芸術を嗜むのか」

「そうですね、芸術サブカルは少しばかりですけど」


今期アニメの覇権争いはどうなってるんだろうなぁ……現状アニメはこっちじゃ観れないけどどうにかして方法を編み出さないと供給不足で死んでしまうに違いない。ていうか死ぬ。俺の記憶が正しければ俺ガイルのアニメもそろそろ放映のはずだし、サイコパス3に至ってはもう終わってるんだろうなぁ。


「そうかそうか……おっと、すまないね。私から準備に時間がかかるだろうと言いながら、アマワタリ君との話に花を咲かせてしまったよ、ははは」


俺がサブカルに思いを馳せていると教皇がすごい白々しい笑い声をあげて家を出ようとしていた。


「じゃあ、アマワタリ君また後でね。ちゃんとエリザちゃんをエスコートしてあげるんだよ?」

「分かりました、少しばかりお待たせすると思いますが……」

「いいよいいよ、年寄りは待つのが得意なんだからね」


ひらひらと手を振りながら護衛二人に前後を挟まれて家を出ていく姿が、まるで映画のワンシーンみたいでマジバイブス上がるわ。いや、ラップはヒプノシスしか知らないんだが。


「で、こんな感じで大丈夫だった?」

「そうですね、総評といたしましては五点かと」

「何点満点中ですか?」

「千点満点中です。もしもアマワタリ様が教皇様に気に入られていなければ今頃私の足元に真っ二つにされた頭蓋が転がっている程に危うい状況でした」

「なるほど、つまり気に入られていたからなんとか最悪の結末は免れたと」


おおう、かなり気安そうな性格に見えたけど割と危ない状況だったんだな。ていうか真っ二つの頭蓋ってことは斬首じゃなくて頭叩き切られるってことか?


「最悪の状況は免れたかもしれないけど、正直これからの食事で絶対何か仕掛けられると思うわ」

「え、やっぱりそうなの?」

「あのね、アマワタリが軽く口を滑らすからでしょ!」

「あー、ごめん……」


確かになんとかしようとして要らないことまで喋った気はする。カレンブッカーの商会の件は正直まずった。どうにかしようにももう言っちゃったんだよな。


「うっ……はぁ、仕方ないわね」

「エリザ様の言う通り過ぎてしまったことを取り返すには、更なる利益を上げる以外に手段はないでしょう」


エリザがなんか勝手に反省して、セリーヌがカッコいい事言ってるけどそんな台詞エリザは言ってないよな?


「それに加えてエリザ様曰く彼を知り己を知れば百戦殆からずとの事ですから――」

「ちょっと落ち着きなさい、セリーヌ」


エリザがセリーヌの肩を掴み強引に椅子に座らせた。確かに情報は時に強大な兵器よりも人の生死に直結するからな……というかその格言は孫子の言葉じゃなかったか?


「ほら、水を飲んで……落ち着いた?」

「申し訳ございません。冷静でいなければいけなかったのですが……」

「それは仕方ないわよ。あんなタイミングでまさか教皇様が来るだなんて思ってもなかったんだから」

「あんなタイミングってどういう?」


エリザとセリーヌから俺がカレンブッカー氏の商館で『ひまわり』を描いている間に起きたことについて一通り聞いた。争点としては転移者が選ばれ者か凡人かのどちらからしい。

だが、きっとこの問題の解決方法はそこにはないだろう。というか多分二人の推測をあの飄々としたようで政治的な元教皇に聞かれたところで問題はない。俺が考えていることがあっていればだが。


「とりあえず、そのことについては俺に任せてくれ。セリーヌ、一般的な準備時間ってどれぐらい?」

「従者の程度にもよりますが、おおよそ一時間から二時間かと」

「もう今の時点で三十分は過ぎてるわね」

「そうだな……どちらにせよあまり待たせすぎるのもよくないだろうし、先に準備をしてしまおう。それと宗教について軽くでいいから教えてくれ」

「分かったわ。私はあまり詳しくないけれど、セリーヌがある程度知ってるはずだし」

「じゃあ、まずは着替えてしまおう。セリーヌ、エリザの準備にはどれくらいかかる?」

「三十分もいただければ完璧に仕上げてみせましょう」

「ならここを出るのを一時間後を目安にしようか。それまでに対教皇戦の準備を整える」

「なんだかまるでこれから戦いにでも行くみたいね」

「……エリザ、まるでじゃない。これから俺たちがするのは化かしあいになる。あの掴みどころのない元教皇から参ったの一言を聞き出せなければ負けなんだ」


実際にはマウント合戦になるだろうな。この世界で地盤も知識もない俺と一宗教団体の教祖。こんな戦いまずもって同じ土俵に立てすらしない、蹂躙以前の問題だ。争いは同じレベルの者同士でしか発生せず、勝負の結果は目に見えている。


だが、それでも相手は待ってくれない。勿論それは当然の事だが、当事者になった身としてはLv.1のままラスボスと戦うようなものだ。もしこの状況で仲間がいなければ、俺はさっさと逃げているに違いない。


ああ、やりたくもないはずの戦いに挑むというのにモチベーションはこれっぽちも下がらない。逆に燃えるまである。勝ち筋はたった一つだけ。成功率すら不明の博打にオールインしようっていうんだから、頭がおかしいとしか思えない。


ふと、疑問が脳裏に浮かぶ。いつから俺はこんな風に変わったのだろうか。日本で毎日過ごしていたころはこんなハイスクールハイリターンの選択肢は選ばなかった。上司に恨まれようが、他人から嫌われようがどうだってよかった。自分自身が後悔のない選択をしたいと思いながら出来ない毎日を過ごしていた。


きっとあのまま年を取っていけば身体を壊し、日々を漠然と消費していくしかなかったのだろう。実際死因は心臓病のようだし。親に迷惑をかけ、最後の最後に最大の不幸を残してしまったから、あの世界には未練しかない。


だからこそ俺はこの世界では後悔無く生きていたい。きっと、こんな考えが芽生えたのはエリザの熱に当てられたからだ。俺自身誰よりも薄情な性格で友達は作れても親友が作れないやつで、人に気に入られても自分自身を見せることの出来ないやつで……。憧れと同時に羨望したんだろう。エリザはきっと強い人間だ。俺じゃなくても協力してくれる政治に詳しいやつか、地盤を持った人材がいれば大成するに違いない。

なのに、そんな俺とは違うやつが俺を必要としてくれたんだ。今の今まで面倒ごとを任されたことはあったとしても、一緒に戦ってくれる仲間はどこにもいなかった。応援こそしてくれても同じラインで協力はしてくれなかった。

結局打算と欲望に裏打ちされた人格の俺が、心の底から信頼できる人間なんてどこにもいなかった。無償の善意なんて信じられずに前の世界では死んでいった。

頑張れば頑張るほどに邪悪な人型のごみばかりが目についた。努力を重ねている人間が足を引っ張られ、失敗する姿ばかりが目に入った。希望を胸に抱き挑戦する者を嘲笑する愚者ばかりが目障りだった。


そんな奴らが嫌で嫌で、見て見ぬふりをする自分も嫌いだった。どうしても薄くこびりついたその空気を拭う事は出来なかった。誰かを自己満足で救ったところで、その場しのぎの結果にしかならなかった。


だから、だからこそ。エリザは俺が支える。支えなくちゃならない。


それこそただの自己満足で、結果が追い付かずにエリザも俺も共倒れに終わるかもしれないけれど、例えそうなったとしてももう一度立ち上がればいいだけの話だ。そう難しい話じゃない。


「準備は、全部終わったかしら?」

「微力ではございますが、全力で作業を行いました」


エリザはセリーヌの手によって、青を基調としたイブニングドレスに身を包んでおり、さっきまでは付けていなかったイヤリングとペンダントによって大人っぽく見える。

セリーヌはいつもと変わらないメイド服に見えるが、端々の刺繍がいつもと違い、より高貴な者に仕えるメイドに感じた。


俺はというと、一言でいえばタキシードだ。髪をどうするかはセリーヌにお任せした所、ファッション誌の表紙にでるモデルみたいな髪型になった。鏡で手順を見ていたが、セットしろと言われても全くできない。


「間に合わせの追っ付けではあるけれど現状できる準備は整った訳だ」

「そうね、まさかアマワタリが来て二日目にこんなことが起きるなんて思ってもみなかったけど」


エリザが冗談っけたっぷりに文句を言い、俺とセリーヌは笑った。緊張していない訳じゃないが、がちがちに固まってもいない。理想的なコンディションに近いはずだ。


「俺だって、まさかお姫様のエリザとこんな仲良くなれると思ってなかったな」

「なりたてだけどね」

「エリザ様、貴方はもうすでに王女なのですよ?」


軽口を言い合い、セリーヌからお小言を貰い、またみんなで笑う。

そうして心の準備も出来たところでようやっと俺たちは家を出る。勿論タイムは目標の一時間以内だ。


「さて、まずは元教皇を丸め込みに行きますか!」

「おー!」

「丸め込むんですか……はぁ」


お、珍しくセリーヌが俺の前で素を出した。これは勝利の女神が微笑んでいるのでは??



★☆★


己が宗教は清貧を重んじることが初めの教義であったと聞いている。しかしながら、現状の上層部はまったくもって度し難いほどに腐っている。金を集め、権力の為に教義を利用し、弱者から死んでゆく。その結果が己が教皇を追われた理由だ。責任を取って辞任したと言えば聞こえはよいが、ただ他者に押し付け逃げたにすぎん。まぁ、己が粛清をおこなえばその禍は国中に広まるだろうが。


「よろしかったのですか?あのような口の利き方を許して」

「なんだ、気づいてなかったのかい?アマワタリ君は元教皇の立場と私自身を図る為にわざとああしてたんだよ?」

「……であらば、今すぐ首を持ってきましょう」

「やめなさい。これで私はアマワタリ君のことを面白そうだと思ってね」


気に入っているというのは嘘ではないが全てではない。己が望めば彼の生死すら掌の上だ。立場が違いすぎるが故にただの玩具として弄ぼうとしているのかもしれん。


「教皇様……私共の前で無理にそのような口調を行う必要はないかと愚考します」

「……言われてみれば、変えておらなんだか。慣れというものは恐ろしいものだな」


己は望まずして現状の地位を手中に収めた。だが、権力は強大であり溺れぬために枷としての表面を作り上げ己が信を寄せる者以外にはこれを通すと決意した。

そうして作り上げた虚構の己が本来の己との境目を曖昧にしてゆくように感じる。畢竟、己が業による結末故受け入れる他なかろうが。


「……彼の業は確認できたのか?」

「どうにも信じがたいのですが、上手い絵を描けるとの事です」

「それは、個人の能力ではないと?」

「はい。通常油絵は下絵から作業を行い、色を乗せる際は乾燥の為に日を開けての作業が必要ですが、アマワタリ様がカレンブッカーの商館にておおよそ数分の内に絵を完成させたと聞き及んでおります」

「それはまたぞろ……戦闘能力はありそうか?」

「未だ全容が見えぬうちに結論を出すことになりますが、恐らく何がしかはあるでしょう」


神の坐す世界より参られた御子として転移者たちは今の今まで認識されておる。しかしながら、万が一にもエリザ殿下の推測が正しく御子が我らと変わらぬ人だとするならば―――


「最悪でなくとも己は殺されるか」

「……私共があなた様をこの命に代えてお守りします」


教義が誤っていようとも世間がそれを受け入れるのであらば、問題など起きえず己は生きながらえるだろう。だが、真実は時として劇薬であり、どうあがいたところで止めようはない。出来るとすれば情報操作程度になるか。


「そうならんように努めるのが先だろうて。取り急ぎ彼の業を次の転移者会合前までに調査しておけ」

「はっ」


はてさて、これからの会食で蛇が出るかヘビが出るか……。いずれにせよ食事を楽しむとはいかんのだろうが、それの程度で彼を見極めるのであらば良いだろう。


「教皇様、エリザ様及びアマワタリ様のご準備が整ったとの事です」

「そうか、では己の馬車で先導せよ」

「畏まりました」


後の事は今はまだ『神のみぞ知る』か。

少なくとも痛み分け程度には収める必要があるが……どうなることやら。

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