第6話

今俺の目の前にはシルバーグレイの髪にモノクル、執事服をビシッと着こなしたもはや執事という概念を体現したかのような老紳士がいた。なんだこの感情は……コスプレ衣装として見る執事ではなく仕事着として自分のものにしている存在を見たが故の衝撃は言語化しがたい。

セリーヌを見たときは多分転移したこととか他の情報が多すぎて落ち着けてなかったから驚く余裕がなかったけれど、今こうして執事を見ると凄いな。俺のオタク魂が荒ぶっている。


「アマワタリ様、本日はよろしくお願いいたします」

「あ、ああ。よろしく」

「私はゴードンと申しますので、何かお気になることがありましたらご遠慮なさらずお申し付けください」


セリーヌに割と強めに注意されたから敬語は使わないようにしている。俺が使用人に対して敬語を使うと貴族社会が分かっていないとエリザが舐められるとの事だ。ただでさえエリザへの風当たりは強いんだから俺がさらにそれを強めるわけにはいかない。本当に注意しないと。


「早速で悪いが、街の事について知りたいんだ。案内を頼めるか?」

「畏まりました。馬車の用意が出来ておりますのでご案内致します」


ゴードンに案内されついて行くと道中色とりどりの花が咲き乱れた庭園が目に入った。奥の方でメイドと上等な甲冑を身に纏った兵士が数人壁になり目張りをしているようだ。なるほど、茶会の最中なのか。城の中ですら安心できないというのはカルチャーギャップを感じるな。


「こちらになります」

「なかなかいい馬車だな。気に入ったよ」


用意された馬車は実用性重視で見た目はそれほど豪華ではなく、馬は世紀末覇者が乗ってそうなでっかい黒い馬だ。車内に乗り込むと外見とは異なりこちらはかなり高そうなソファが向かい合って設置されている。馬車の良しあしなんて分からないけどとりあえず褒めておけば大丈夫だとエリザが言っていたしこれでいいよな。

馬車に乗っている最中にゴードンから軽く街の様子を聞いた。大体の市民は月に稼ぐ額と使う額がとんとんらしい。日当で暮らしている者が多く貯金などはしていないとの事だ。


なぜそんな事になっているかというと、税制度上あまり財産を蓄えていると貯蓄税がかかり稼ぎ以上に金を取られるらしい。なかなかクソみたいな制度だが貴族からすれば願ったり叶ったりのルールなんだろう。何もしなくても市民は金を稼ぎ納税し別の領地へと行く金を貯めようにも税金で奪えるのだからな。

かといって他国に逃げようにも東は広大な海で西は険しい連峰があり越える事は現実的ではない。北の大地は不毛の地であり南は魔物の巣窟となった森林地帯だそうで……。なんで初代はこんな所で建国したのだろうか。


そうこうしているうちに馬車は城を出て貴族街を横断し市民街に着いた。地図としては歪な楕円の中心に王城がありそれを囲うように貴族街、その外側に市民街が広がっているようだ。


馬車から見る限り貴族街は閑散としていて市民街は人が多く煩雑とした熱気を感じる。こうバザーとか同人イベントとかと同じ匂いがする……。


さて、市民街に到着したは良いがどうやらゴードンは主人から仕事を言いつけられているらしく、自由に街を見ることは出来ないようだ。

街並みはレンガ造りの建物が多い中で割と木造やコンクリートで作られたものもちらほら見てとれる。なんというか異世界ファンタジーというよりかは発展途上国に来た感じか。街を彩る人々の中にあからさまな獣人とかがいないのも一因なんだろうな。というかこれホモサピエンスしかいなさそうだな。


「アマワタリ様には大変ご迷惑をおかけしますが、本日は私と共に行動していただいた方が安全かと思われます」

「じゃあ、ゴードンの仕事を見学させてもらおうかな」

「こちらの都合で申し訳ありません」

「あまり気にしないでくれ。それより仕事ってどんな事なんだ?」


多分俺の態度はゴードンからすれば頼りなく見えるはずだ。慇懃無礼とまではいかないがあまり好意的ではなくあくまで仕事の一環として俺と会話している。ぶっちゃけ子守と変わりないから仕方ないんだがその態度の一因がエリザの一件なのかと思うと少しはやるせなさもある。

とりあえずは彼の信頼を得る事が今できる最善ってやつだろう。


「本日の予定はピエログリフの習作の取引となります」

「あー、ピエログリフって何した人なんだ?」

「15年ほど前に亡くなった画家となります」

「じゃあ今日の取引は油絵か何かか?」

「彼の絵は水彩画だけですので……」


ゴードンからの視線がより厳しくなったように感じる。いや異世界の画家事情とか知る訳ないし例え興味があったとしても俺は昨日来たばっかりなんだが……。

まぁ今はこれでもまだマシって事さえ分かっていればいいのかな。流石に料理に毒とか盛られたら困るけど。


「そうなんだな。ゴードンの主人はそのピエログリフの絵が好みなのか?」

「旦那様は様々な絵を好まれますのでピエログリフの絵もそのうちの一つでしかありません」

「あー、じゃあ絵画オタクってことか」

「あまり俗な言い方をしないでいただけますか?」


あまりに俺が気を遣わないからかモノクル越しにじろりと窘められてしまった。うーん、仲良くしたいだけなんだがあんまりうまく進んでなさそうだ。

とはいえ彼の言動の端々から読み取れる主人への畏敬の念は本物だろうからそこを上手い事くすぐるしかないかなぁ。アプローチを間違えたら大幅に減点されるもろ刃の剣だから慎重に行かないとな。


「気に障ったのならすまない。他意はなくて俺もオタクだからそういう考え方も分かるなって共感しただけで」

「そうですか。では以後お気を付けしていただければ問題ありませんので」

「悪いね」

「一旦馬車を預けます。ここからは徒歩となります」


そんな会話をしながら馬車を街の駐車場的なとこに預けて歩く。直接商会に行かなかったのは人でごった返しているからだろう。割と渋谷のスクランブル交差点みたいなところもあれば閑散とした道もある。違いはもちろん出店の数だろう。大多数は市場のような活気あふれる印象だが一部の出店からは店員の怒号と客の罵声が飛び交っていて正直割と怖い。この時間帯には今後近寄らないようにしよう。


「それでその商会にはあとどれぐらいかかるんだ?」

「もうすぐ見えてくるはずです」

「となると……かなり大きい建物が見えるんだがまさかあれが?」

「ええ、本日はカレンブッカー商会での取引となりますので」

「なぁゴードン。俺の気のせいじゃなければそのカレンブッカー商会だけでここの出店の十店舗以上の敷地面積に見えるんだけど間違いか?」


パッと見ただけでも分かるのはその大きさだ。いくら城下町のはずれの方とはいえかなりの好条件な土地にあれほどの大きさの店を構えようとするとそれだけで日本なら数千万は下らないだろう。そんな所に俺みたいなただのパンピーが行ってもいいのか少々不安になるものの、ふと見える路地裏の治安の悪さが退路を断った。


仕方がないのでゴードンの後ろを出来るだけ目立たないようについて行き商会に入りはしたものの、見るからに高そうな絨毯にシャンデリア、品のよさそうな受付と豪華な調度品が俺の小市民な部分をこれでもかと刺激してくるんだが……。この絨毯土足で踏んで良いのだろうかめちゃくちゃ不安になる。


「ゴードン様、よろしければお隣の方を紹介していただいても?」

「……こちらは転移門より参られたアマワタリ様となります」


俺が目の前の光景を受け入れるのに頭のリソースを割いているうちに話が進んでいたようだ。受付嬢とゴードンが話しこんでいたのでまさかこっちに飛び火するとは全く思ってなかったんだが……。


「あー、ここの商会が素晴らしい店づくりをしていたので目を奪われて話を聞いてなかったんだが……」

「当商会に入るや否や辺りを見回していたのはそういう事だったのですね。てっきり私は田舎者なのかと勘違いしていました」

「ゴホンっ……マクィレア様、本日の商品の用意は完了していますか?」

「ええ、それは勿論でございます。今回も数点ご用意させていただきましたので満足していただけるかと」


このマクィレアって受付嬢は初対面の俺に対して思ったことをはっきりいうんだなと面喰っているとゴードンが気を遣ってくれた……。いやまぁ仲良くなりたいとは言ったけど……これはなんか違うんだ。


それはそれとして、裏表のない受付嬢の案内で俺とゴードンが案内されたのはこれまたふかふかのソファと黒を基調とした高そうな机、その上にはなんだかよく分からないけどきっと高いであろう果物が数点あった。

商会の代表が来るまで待つこと数分。ゴードンから果物の名前を聞いたりここの商会の規模について確認して後悔したりとしていると、すらっとした赤色のスーツをきっちり着こなしたイケメンが現れた。身長は優に180は越えているであろう体躯は筋肉が程良く付いている事がスーツ越しにも分かる。なんかこうTHE・有能みたいな若者だなぁと思いながら話を聞くとどうやらこの商会の代表らしい。


今の俺の気持ちを例えるならば、IT企業の若社長のインタビューを聞いているみたいな感じだろう。この若さで俺の生涯年収超えるような取引を行う彼らを見ると、嫉妬とかは全くなくただただ別世界の人間だなぁと感じいるのみで。


「さて、本日ご用意させていただきましたのはピエログリフの習作の中でも名高い『煌めく掌』になります」

「これはまたすばらしい作品ですな……この色遣いからピエログリフの孤独と願いが感じられます」

「さすがゴードン様お目が高い。こちらの作品は色遣いもさることながら彼の独特なセンスが額縁から溢れそうな所も評価の対象になるかと」

「ははぁ……なるほど言われてみれば確かに今までの作品よりも自由さを感じますね」


気が付けばオタクがオタトークを始めていた。正直俺にはそのピエログリフの絵の良さは全くもって分からないけれど何かこう不思議な感覚に襲われるのは確かだ。それこそがこの芸術家の望む所なんだろうが。

さて、まさかここでゴードン様の仕事をただぼーっとみているだけではエリザの立場改善、延いては俺の身の保証にも繋がらない。つまるところ多少はコネを作っておかないといけない事になる訳だ。結果的にはこのカレンブッカー氏の商会に来れた事は良い事だったのだろう。それに加えるとすれば彼が芸術に精通していることもプラス要素か。


「二人の会話を邪魔して申し訳ないのだが、実は自分も絵を描く方でね」

「……アマワタリ様、もう少々お待ちいただくことはできませんか?」

「ゴードン様、当方も気になっていたのですが、こちらは転移門より参られた方でよろしいんですよね?」

「カレンブッカー様、申し訳ありませんがアマワタリ様はこちらの常識に疎いので大目に見て頂けると幸いです」


思いっきりゴードンから黙ってろって視線が来たがここで引く訳にはいかない。正直もう少しやり方はあっただろうと自分でも思わなくはないが緊張しているから仕方ない。ここは押し通すまでだ。


「いえいえ、ゴードン様。当方アマワタリ様の絵にも興味がありますのでぜひとも拝見させていただければと思うのですが。本日は何か絵をお持ちで?」

「重ね重ね申し訳ございません。本日は用意の方を行っておりませんのでまたの機会に披露させていただくという形で……」

「それは残念ですねぇ。でしたらアマワタリ様後日参られる際は是非とも絵の方をご持参いただいてもよろしいでしょうか?」


ゴードンが何とか会話を軌道修正して纏めようとしているがそうはいかない。もしもこの機会を逃してしまうと次に街に来れるのがいつになるのか分からないし、それに俺もエリザの派閥だ。このままゴードンと一緒に帰ると少なくとも彼は俺について来てくれなくなるだろうしな。


「いえいえ、カレンブッカー様。今ここに絵はありますとも」

「……といいますと、どちらにあるのでしょうか?」


海外ドラマの吹き替えを思い出せ。彼らのユーモアセンスと自分からハードルを上げる度胸を真似てみよう。多少は俺でもそれっぽく自信満々にみえるような言葉を紡ごう。


「それはもちろんこれから現れるんですよ」

「すみませんがアマワタリ様、当方には見当もつきません。どのような方法で絵をご用意されるのですか?」

「今から俺がこの場で世紀の名画を描いてみせましょう。お時間はとらせませんので是非とも見て頂けませんか、カレンブッカー様」


もしも俺がこんなことを言われたとしたら頭のおかしいやつだと近づかないだろうが、今はこれに賭けるしかない。頼むカレンブッカー氏、とりあえず書かせて見せてくれ。


「……それはそれは、中々愉快なことをおっしゃる方ですね」

「本当に申し訳ありませんカレンブッカー様……」


ゴードンが死にそうな表情をしていて、カレンブッカーが割とキレかけてる……。

あれぇ? まずったかなぁ。


「……まぁ、いいでしょう。これから世紀の名画が見れるのですからねぇ」

「申し訳ございません……なにとぞ、御慈悲をっ」


よし、とりあえずは言質取ったはいいけど……ゴードンのストレスがマッハだから帰りに胃薬買ってあげよう。ストレッサーの俺が言えた事じゃないんだけどな。


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