第5話

翌朝になり、俺は一応の結論を出した。


昨晩彼女たちから聞いたこととセリーヌがエリザに作成した教科書のおかげでクライフェルト王国に関する事が大雑把ではあるが掴めてきた。懸念していた奴隷制度は一部犯罪者に限り、凶悪で反省の意思がある者には使用されないとの事で脱獄も起きにくいことから、貴族か王族に余程の不敬を働いたり街の治安を著しく損なわない限り、俺が奴隷になることはまずない……はずだ。


それにこの国は完全な三権分立ではないが、ある程度の要望があれば独立した監査組織が調査に入るとのことだ。裁判じみたことの権限は貴族並びに王族が持っているから絶対安全とはいえないが想像していたよりは幾分マシだろう。


このことから一般市民として俺が暮らすことは貰った力を使えばそう難しい事ではない様にも思える。まぁ以前の転移者たちによって単純なゲームとかは作られているだろうし、識字率とか街によっては余裕がないところもあるだろう。メインターゲットは貴族とも思っていたんだが、昨日の話からよりよい相手もいる事が分かったしな。

そうなると俺が選ぶのは多少大変ではあるが後味が悪くならない選択肢だろう。


一階に降りると昨日食事をしたテーブルに既に二人ともいる事に気が付いた。エリザとセリーヌは当たり前だが表情が緊張でかなり固くなっている。俺の判断次第で二人の将来が左右されるわけだしな。


「アマワタリ様、おはようございます。ベッドの寝心地は悪くなかったでしょうか?」

「ええ、ぐっすり寝れましたよ」

「それで、そのいきなり聞くのもどうかと思うんだけど……決まった?」


こんなとき俺が読んできた作品の多くが美少女が潤んだ瞳で見上げてきてそれに同情した主人公が……となるんだろうし、エリザが美少女であることに変わりはないがその瞳には強い炎が燃えているように感じた。きっと彼女は一人でもなんとかしようとして出来る側の人間だ。勿論それには適切な方法が伴わなければいけないわけだが。


事ここに至って俺はエリザという王女を甘く見ていた可能性に気が付いた。平民上がりで商人たちに一歩も引かず値下げ交渉ができる人材を、貴族社会での生き方が出来ないというマイナス面で打ち消してしまっていたが、それは折衝出来る人間がいるだけでもたらされる結果は大きく異なるだろう。


「はい、今より強く決意しました。俺はエリザ様とセリーヌさんの貴族社会での立ち回りをアシストします。いや、ぜひ俺にさせて下さい」


俺自身が強い力を持っているわけではなく、彼女自身が権力を持っているわけでも無い。だからこれは同情でも寄生でもなく、彼女の意思に感化されたのだろう。俺自身日本では何とか毎日を過ごすことで精いっぱいだと思い込んでいたけれど、彼女はこんな状況になってでもまだ負けたなんてこれっぽちもおもっていない。それは瞳をみれば分かる。


「私の事を手伝ってくれるのね?」

「僕にできる限りの事はさせてもらいます。さすがにクゾーレさんと一騎打ちとかはできないですけどね」

「ふふ、バカね。アマワタリにそんなことさせるわけないじゃない」

「よかったですね、エリザ様。アマワタリ様も難しい決断をしていただき、本当にありがとうございます」

「いや、俺はエリザ様なら出来ると思ったから賛同しただけですよ」

「協力してくれるのなら、アマワタリも私の仲間なんでしょう?別に敬語なんて使わなくていいわ。元々平民だったしセリーヌ以外から敬語を使われるの慣れてないの」

「あー……いいんですか、セリーヌさん」

「私たち以外の貴族がいる場合に気を付けていただければ特に問題ありませんので、私にもそう畏まらないで下さい」


まぁ正直エリザには一回敬語を外して話しても無反応だったしセリーヌも何にも言わなかったから大丈夫だとは思ってたけど。セリーヌは使用人とはいえ俺より年上だから敬語を抜くのは何となく拒否反応があるけど慣らしていくしかないか。


「じゃあエリザ、セリーヌ。迷惑かけるかもしれないけどこれからよろしく」

「こちらこそよろしくね!」

「身の回りの事はお任せください」


ひとまずの意思決定はされたって事で実務的な内容については朝食後となり、セリーヌが昨日と同じように食事の用意を行いエリザは今日届いた書類に一通り目を通すと部屋に戻った。

それにしてもよくよく思い返せば日本では生きてる実感なんてあんまり湧かなかったし、異世界に来たとは言えかなり世知辛い現実と向き合ってよくこんな決断ができたなと俺自身で不思議に思う。いいように考えれば少しは変われたなんて思えるけれど、エンターテインメント性の為に魂管理局によって自分自身の考え方を変えられたりしたのかなとも思ったり。自分自身が成長したと考えた方が精神的に楽だからそう思う事にしよう。


まぁどちらにせよ現代だろうが異世界だろうが生きるためにやることはそう大差ないって事は分かってしまったな。そういうチートを望まなかったってのもあるだろうけどこのクライフェルト王国のように転移者の暮らしをある程度は保証してくれないと、最近増えてきたラスボスを倒した後に主人公が守ったはずの人達に恐れられて始末される展開にならないとも言えないし。雨風がしのげて仕事がある時点で問題ないはずだ。漫画もアニメも俺の能力で見れるしな。


一人で現状確認というか自分で自分を説得するという風な微妙な悩み方をしていると部屋からエリザが戻って来た。


「特に緊急の問題も今のところないみたいだし、ここの所平和だから大丈夫だと思うわ」

「気になってたんだけどエリザの書類仕事ってどんなことしてるんだ?」

「あれよ、例の値段交渉から軍部以外の商品については大体私が確認してるの」

「えっ、それって承認とかをエリザが出してるって事か?」

「まさか私にそんな権限もたせるわけないじゃない。ただ商人たちから必要以上にぼられてないかの確認よ」

「でもエリザって元平民だから貴族たちが使うような物の相場とかって分からないんじゃ?」

「そこはほら、セリーヌがいるし。それでもある程度歩き回らないと食品の相場なんて特に分からないけどね」

「……大変な仕事だな」

「嫌われてるから直接文句を言われないだけましな方よ? あくまで私は他の小麦の方が安いですよとか情報を出すだけだからね。判断は向こう任せよ」


その情報を集められるのがすごいんだが、エリザの口調からみんな出来て当たり前ぐらいに聞こえてしまう。クライフェルト王国の国民はみんなしてこんなに優秀だとすると俺に出来る事が少なくなるんだが……。


「エリザ様は何でも無いようにおっしゃいますが、以前に比べると格段に必要なものが楽に申請できるようになりました。これまでは何人もの方から許可を頂かなければ申請できなかったのですが、エリザ様が取捨選択を行い纏めて役人に提出されますから申請者と役人双方が楽になったのですよ」

「そんなすごい事をした訳じゃないわ。ただ面倒で不必要な手順を省いただけよ」

「いや、それを当たり前の様に効率化した事がすごいんだけど……」


それにいえば一度マニュアル化してしまうとどう考えても楽になる方法があったとしても変更するのは色々と調整がいるからな。エリザの王女デビューは失敗したのかもしれないが、使用人などの末端の人間からの好感度は悪くないんじゃなかろうか。


「お待たせいたしました。お食事の準備が整いました」

「あら、朝からお肉があるのは珍しいわね」

「アマワタリ様がエリザ様に協力して下さるとのことですから、朝食なのでサラダに少しですが用意させていただきました」

「それは責任重大ですね。少なくともこのお肉分の働きはしてみます」

「ふふっ、なによそれ。それに私からはすぐに敬語外したくせにセリーヌには付けっぱなしなの?」

「私はエリザ様の従者ですので、エリザ様以上の言葉遣いは流石にどうかと」

「ああ、ごめんなさい。いやほんと気を付けます……あ、気を付けるよ」


今の今まで社会経験の中で構成されてきた年功序列の既成概念とセリーヌの出来るオンナ感で自然と敬語になってしまう……。これは外で同じことしたらかなり不味いからマジで気をつけないと。


「あー、それでこれからについてなんだけど」

「話を逸らしたわね」

「その、確認したいんだけど、エリザがまともにやりあった貴族って何人いるんだ?」

「……面と向かって文句を言われたのは二人かしら」

「御二方は同じキタガミ派閥に最近入られた方でしてその場にキタガミ様の従者もいたかと思われます」

「最近っていっても3年ぐらいは経ってるかしら」

「その二人の貴族経由でそのキタガミ様に会う事って出来る?」

「まず不可能かと。謝罪に行くには機を逸していますし……」

「それにキタガミ様は割と領地経営とかやり手の貴族みたいなんだけど、サリクレスとテルマは領民からの評判があまり良くないの。いくら私が礼儀作法に欠けていたとしても、あそこまで直接的に言われたのはあの二人だけだし」

「なるほど……エリザの一件も恐らくキタガミの狙いが何かあるはずなんだ。それを判断する為の情報がまだ足りないのが現状だな」


やり手貴族であるならばなぜイメージの悪いサリクレスとテルマを派閥に加えたのか。二人の貴族の方が爵位が高いとか? そんなわけないか。


「確認したいんだけど、その二人の貴族の爵位って高いのか?」

「二人とも第五級貴族だったはずよ」

「第五級って言うのは上から五番目って事でいいのか?」

「アマワタリ様でしたら男爵とお伝えした方が分かりやすいかもしれません」

「貴族制度が公・侯・伯・子・男で区別されてないのか」

「諸説ありますが、建国時の王がそれらが分かりづらいと級位制にされたとの事です」

「へー、そうなのね」


エリザが今知った風って事は今だと完全に級位の方が主流なんだな。エリザ用の教科書にも書いてなかったし今となっては当たり前で完全に過去の歴史って事か。それにしても初代国王は建国まで出来る天才だったんだろうが、分かりづらいからって級位制に変えたというのは中々愉快な人だったに違いない。


「その二人が第五級ならキタガミは何級なんだ?」

「キタガミ様は第二級貴族よ。私は一応王族だし立場的には上だけどキタガミ様は今まで第五級だった家をたった一代で第二級まで押し上げた傑物だわ」

「男爵から侯爵までって事か……一応聞くけどクライフェルト王国って貴族の爵位って上がりやすいのか?」

「町で暮らしてた頃から上がったって聞いたことがあるのはキタガミ様くらいね」

「ここ五十年程で階級が上がられた貴族家は三家ほどございます。その内二家は一級分の昇格です。三級もの昇格はキタガミ家のみとなります」

「現当主がそれだけ敏腕って事だな……正直想像を上回った感はあるけれど、利益を伴う方法ならどうにかできるとは思う」

「現状をどうにかできる方法なんて本当にあるの?」

「まぁなくはないと思うよ。具体的な方法はまだ思いついてないから、考えるために情報が欲しいんだ。エリザとセリーヌにはいくつか調べて欲しい事がある」


何となくと考えと貰った力をうまく利用すれば次につなげるための場つなぎぐらいには出来るはずだ。それが出来なければ今回は失敗だけれども、逆に言えば交渉で失敗したところでそれさえできれば何ら問題がない。エリザの一件もあるからこれ以上失点を重ねるわけにはいかないけれども。


取り急ぎエリザには過去の申請書類を、セリーヌにはキタガミ家とサリクレス家とテルマ家の関係を調べて貰うことにして、その間に俺はこの世界をちゃんとこの目で見る為に街に出ることにした。彼女らが言うには服さえ着替えれば俺の見た目でも特に騒がれることもなく、路地裏に入らなければ治安上で危険なことは無いらしい。とはいえ一人で行かせるのは心配だからとセリーヌが比較的エリザに反感を持っていない使用人を付けてくれるとのことだ。


あくまで仕事として市場調査の為ではあるが、初めて見る異世界の街に俺は少しわくわくが抑えられなかった。


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