*9* 消えない傷あと
「ねぇ、あの子じゃない?」
「『適性検査』で、測定器を粉々にしたっていう?」
「やだ、可愛い顔したぼうやじゃないの。うちのパーティー、ゴリゴリの野郎ばっかでうんざりしてたし、ちょっと口説いてこようかしら」
ヒソヒソ……と、ささやき声がもれ聞こえる。
ギルドを訪れていた冒険者。それも、若い女性たちの好奇の目が、ノアに集中していた。
ノアはわたしと向かい合ってるけど、サファイアの視線は、わたしの足もとに落とされている。
じっと耐えるような沈黙。強張った肩。こめかみにうっすらと冷や汗をにじませた表情の奥には、じりじりと燻る嫌悪感がかいま見える。
「こっちおいで、ノア」
意識して声を和らげると、ハッとしたようにノアが顔を上げる。
にっこりと笑って手まねきをすれば、ぐ、と唇を噛んだノアが一歩、大股で距離を詰めた。
そんなノアを、いままで着ていた一張羅、黒のローブをばさっとひろげて包み込む。フードもまぶかにかぶらせた。
わたしより数センチ背が高いくらいの華奢なノアだから、ゆったりサイズのローブがちょうどよかった。
「見たくないものは見なくていいし、聞きたくないことは聞かなくていいよ」
ノアへ関心を寄せる彼女たちに、悪気はないだろう。
でも、女性に身体を売ることを強制される娼館で、生傷だらけになるくらい折檻を受けていたノアが、女性に恐怖や嫌悪感を示すのは当たり前のことで。
よくよく考えてみれば、ノアがわたしに気を許してくれてるのは、奇跡みたいなことなんだよね。
「ノアは自由になったんだから、楽しいことを考えて、好きなようにしてね」
「リオ…………う、ん…………うんっ……」
声をふるわせたノアが、ぎゅうっと抱きついてくる。
「……リオなら、いい……リオが、いい……もう、リオしか、いらない……っ」
声を押し殺してすすり泣くノアの丸まった背を、なでさする。
そのうちに、急に泣き出したノアにびっくりしたのか、さすがに空気を読んだのか。
詳しいことはよくわからないけど、いつの間にか人だかりがなくなっていた。
あとには滞りのなく闊歩する冒険者たちのブーツの音が、小気味よく響くだけだった。
* * *
「部屋は、リオとおなじがいい……」
うるうるとそんなおねだりをされて、今夜のお宿は決定した。昨日よりグレードの上がった豪華な食事つきの、広々としたツインのお部屋だ。
年ごろの男の子だし……とはじめこそ遠慮したけど、ノアは独りで眠ることを怖がってるみたいだった。
昨日はわたしの看病をしてくれていたし、寝不足だろう。
ノアが寝入るまで頭をなでてあげて、夜が更けたころに、じぶんのベッドへ入った。
「──んっ……はぁ……」
なんだか、息苦しい。
なんだろう……? 起きようとするけど、鉛みたいにまぶたが重くて、持ち上がらない。
「……リオ、リオ……っ」
仰向けのわたしにのしかかった『影』がゆらめく気配を、まぶたの裏で感じる。
「リオのくちびる……やわらかくて、あまくて、おいしい……ずっと、食べてたい……んっ」
蕩けきった吐息のあとに、ちゅ、ちゅ……と、何度も唇をくすぐられる。
真っ暗闇に突き落とされたおぼろげな意識の中で、ようやく重いまぶたを持ち上げた。
そうして、見上げた先には。
「おれの……リオはぜんぶ、俺のもの……っ!」
闇夜に妖しく輝く、サファイアの瞳。
コウモリが翼を広げたようなかたちをした『影』が、わたしに馬乗りになっている。
霞んだ視界で、ぼんやりと、それだけは目にした気がした。
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