第73話 地上への帰還

 再会の喜びも束の間。

 今度こそ決してミスをしないようセーフゾーンで丸々一晩休息を取ってから、俺たちは無事地上へと帰還した。


 地上に戻ってきた途端、俺と浅海は倒れ込むように意識を失った。

 迫る死からも、魔物の蠢く音からも解放され、脳が休止信号みたいなものを出したんだと思う。下層にいる間は、眠る度にこれが夢であってくれと願い、目覚める度に絶望していたから。

 そのままメアたちが雇っていた冒険者に担がれ宿屋に運ばれて、俺たちが起きたのは丸2日後の事だったらしい。


 ……というのを、ちょうど今宿屋に併設されている酒場でメアと石紅から聞かされたところだ。

 

「それにしても……本当によかった」


 メアが潤んだ目でほっと息を吐く。

 ――その横で、俺と浅海はひたすらに飯をかっ喰らっていた。


「……私今いい話してましたよね?」


 メアがジト目を向けてくる。

 いつもなら後のお仕置きが怖いのでご機嫌を取るところだが……今はそれも気にならない。

 ほぼ一か月ぶりのまともな飯だ。

 この世界のマジックバッグは、残念ながら時間凍結なんて便利な機能はついていない。なので俺たちはずっと干し肉やら固いパンやら、保存の利く美味しくないものばかりを食べていたのだ。

 一気に食べると胃がびっくりしてしまいそうだが、目の前に置かれた美味しそうなビーフシチューに俺たちは抗えず獣のように一心不乱に食べ続ける。


「あはは……話をするのはもう少し後にしようか。私はギルドに顔を出してくるよ」


 そう言って、石紅は呆れ顔で席を立つ。


 そのまま30分くらい無心で食べ続け、ようやく俺たちの食欲は満たされた。

 ああ……生きてるって素晴らしい。

 メアはずっと呆れた顔をしていたが、手軽に食べられる美味しいものが溢れていた日本出身の俺たちにしか食が絶たれることの苦しさは分かるまい。


 落ち着いたら、この1月——転移の罠を踏んだ後の事を、お互い報告し合った。


 それによると、俺の「探すな」という言葉通りメアは捜索に動くのを我慢していたらしい。

 だがやはりというか、メアの取り乱しっぷりは相当だったようで、動けない歯がゆさを埋めるように石紅が引くほどのオーバーワークで金を稼ぎ続け、20日間で単身金貨500枚も稼いだんだとか。

 そうして稼いだ金を使って食料が尽きるギリギリ狙い、A級冒険者の一団を率いて下層へのアタックを仕掛けた……という流れだったらしい。


 メア……お前探しに来なけりゃ無茶していいってわけじゃないんだぞ。

 俺は心の中でため息を吐いたが、口には出さなかった。

 まあ、気持ちは痛い程に分かる。俺も同じ状況なら、いくら当人に探すなと言われたとて何もしていないことが怖くてひたすら動き続けてしまうだろうから。


「まあなんにせよ、これでひと段落だな」


 俺は落ち着かない様子で話を取りまとめる。


 因みに浅海を抱いてしまったことについては伏せてある。

 万一特大の雷が落ちる可能性を考えると、こんな人の多い場所でいう訳にはいかないからな。

 

 報告会を終えるとどっと疲れが出てきて、その日は戻って来た石紅と合流してのんびりと過ごした。

 2日寝たというのに疲れが取れない。

 死と隣り合わせの生活は、思った以上に疲労が溜まってしまうものらしい。

 ……ラストダンジョンに挑む前にこれにも慣れておかないとな。


 そうして次の日は俺たちを助けに来てくれたギルドのA級冒険者たちや、融通してくれたギルマスに挨拶しに行き、そのまま飲み会になり――メアと2人きりと話す時間が出来たのは、地上に戻ってから4日目の夜のことだった。


 宿屋の部屋で2人、のんびりと過ごす甘い時間。

 当たり前にあったはずのそれが、今は懐かしくさえ思える。


 メアの方も、ずっと我慢していたのだろう。

 部屋のドアを閉めるとすぐ、俺のことを押し倒した。

 

「ちょっ、メアっ」

「うるさいです」


 ベッドに倒れ込んだ俺の頭を強引に自身の膝に乗せ、おでことおでこを合わせるように、自身の頭をそっと寄せる。

 

「……今回こそは、本当にダメかと思いました」

「いやうんそれは俺もマジで思った」


 甘ったるい空気だったが……思わず本音が漏れてしまった。

 実際運良くあのタイミングで目印の場所に転移できなければ、最悪俺たちもメアたちも全滅していた可能性が高い。

 あの大ダンジョンが人類未踏破の所以を身に染みて痛感した。


 メアの膝に頭を預け、彼女が髪を撫でたり頬をつついたりするのをなすがままに受け入れる。

 それだけで、下層での心労がすっかり消えて行くのを感じた。

 ……だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 浅海とのことを、メアに報告するのだ。


「メア……大事な話があるんだ」


 俺はメアの膝から身体を起こし、ベッドサイドの椅子を引いて彼女の正面に座る。

 だが、いざ報告しようとするとなかなか言葉が出ない。

 

 あの場では仕方のないことだったし、俺は浅海を抱いたことを後悔していない。それに、メアがそれ程怒らないだろうという予感もしている。

 けれど、それとこれとは別だ。

 自分の嫁に浮気の報告をするのだ。そんなの、怖いに決まっている。

 

 なかなか言えずにいる俺に、メアはふっと柔らかい笑みを向け、


「奏ちゃんとえっちしたんですよね? ……分かりますよ」


 俺の言わんとしていることを的確に言い当てて見せた。


「え……俺まだ何も言ってないんだけど」

「あれ、違いました?」

「いや……違わない、けど」


 物凄い覚悟を固めて言おうとしたところで先手を打たれたので、俺の頭は軽いパニックを起こしていた。

 だが、ここで逃げるわけにはいかない。


「——申し訳ございませんでした!!!」


 俺は床に頭を擦り付け、全力で謝罪をした。

 そう、ジャパニーズDOGEZAである。


「鴎外さん、そんな……私、信じてたのに……」


 メアは口に手を当て息を呑むような仕草をする。


「なーんて言った方が浮気された新妻感が出ますかね」


 だが言葉とは裏腹に、メアの口調は飄々としていた。


「頭を上げてください。私は気にしてませんから」

「だが、俺は――」

「私が鴎外さんの事を分かっていたように、鴎外さんも私のことが分かっているはずです。私が奏ちゃんたちをけしかけたこと、気付いてましたよね?」


 この街に来てから、もしかしたらそうなんじゃないかと思っていた。

 けれど、疑念止まりで確証はなかった。

 それが今、メアの口から肯定された。


「……やっぱり、そうだったのか」

「はい。裏で色々アドバイスしたりもして、あの二人が鴎外さんと仲良くなれるように動いていたんです。——鴎外さんに好意を持った、あの二人が」


 好意とはっきり言われ、顔がかーっと熱くなるのを感じる。

 まあ正直俺なんかがモテてるってのは未だに信じられないが、今はいい。それよりも問題は、


「メア……一体なぜそんなことをしたんだ? お前浮気どころかちょっと他人のおっぱい見ただけで脛蹴ったり嫉妬したり、夜にやたら搾り取ってきたりするってのに」


 俺たちが愛し合っていたというのは純然たる事実である。

 だからこそ、そうなのかもしれないとは思いつつ、メアが浮気を奨励しているというのがどうしても信じられなかったのだ。


「……そう、ですね。順を追ってきちんと話しましょうか」


 メアは深呼吸をして、とんでもないことを告げる。


「——葛西鴎外ハーレム計画の全容を」


 ……いやなにそれToL〇VEるかよ。

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