第72話 下層脱出
結論から言うと、俺は浅海を抱いた。
性欲に流されてメアを裏切った……というわけではない。もちろん全く興奮しないかったかと言われればそんなことはないが、抱いたのは彼女が壊れるのを防ぐためだ。
あの場で自暴自棄になっていた浅海を拒否すれば、恐らく彼女の精神は取り返しのつかないレベルで壊れて廃人になっていただろう。それくらい、この場所での徐々に死が迫って来る生活は苦しい。
「……それにむしろ、メアはこうなることを望んでいたんだろうしな」
全裸で俺にくっついて幸せそうに眠る浅海を眺めながら、俺は静かに呟く。
確証があるわけではない。だが、最近のメアの態度から何となく俺はそう思った。
***
「あ、あの、葛西君。昨日はその、ありがと……」
疲れていたのか、たっぷり10時くらいまで寝ていた浅海は、起きて早々顔を赤らめてそう言って来た。
まあ、昨日は余程強く気持ちを封じていたのか、俺は獣のように何度も何度も貪り喰われてしまった。魔法で痛覚消したり色々とずるが出来るメアと違って、普通に処女だった浅海があそこまで乱れたというのが未だに信じられない。
「気にするな。ただ、昨日もする前にも言ったと思うが、俺とお前は、その……」
「……大丈夫。葛西君とメアさんの仲に入り込もうなんて思ってないから。死ぬ前に一度思い出を貰えただけで、あたしは十分」
昨日、俺は浅海を抱く前に言ったのだ。抱くのはこの一度だけで、俺が好きなのはあくまでメア。それでもいいなら……と。
それがあるから、浅海は気丈に笑って見せた。
とはいえ死が迫って来る下層の恐怖は、一度抱いたくらいで完全に消えはしない。
彼女の強がりも、果たしていつまで続くものか。
……どうせ抱いたんだ。行くところまで行ってしまうべきか。
「分かっているならいい。……だから、さ。俺たちの今後については、地上に戻ってメアにきちんと話をしよう。俺も、出来る限りの配慮はするから」
「——っ、うん!!!」
肩を抱きながらそう言うと、浅海は嬉しそうにはにかんで俺に身を寄せてくる。
完全に噓というわけではない。一度抱いてしまったことも、浅海の気持ちも、俺は戻ったらきちんとメアに報告するつもりでいる。
ただ報告した結果メアが許すかどうかまでは関与しない、というだけだ。
彼女の恋心を利用している罪悪感はある。けれど、最後まで諦めずに地上を目指すために、今は何をしてでも浅海の気持ちを保つ必要があった。
***
下層生活20日目。
俺たちは気持ちを一新し、脱出に向けて動き始めた。
今日までずっと、俺とて無策に転移だけを繰り返していたわけではない。
罠を看破する以外でも何か出来ないかと思い、転移するたびに土魔法でオブジェを作り設置していた。
万が一付近にもう一度転移できた際に、多少の目印になると思っての事だ。
因みにオブジェは造詣が簡単という理由でアンパ〇マンにしてある。
だが、ここまで何百回と転移をしてきたが、一度として同じ場所に出れたためしはなかった。
同じ層に出たことは何度かあるのだろう。
だが、痕跡を探し出す前に転移の罠を踏んでしまうのであまり意味をなさないのだ。
だが、地道な努力は得てして意識することを忘れた頃に身を結ぶものだ。
「このアンパ〇マンは、俺の……!」
それは、下層生活25日目のことだった。
ひたすら転移の罠に挑み続けた俺たちは遂に、痕跡を残したのと同じ場所に転移する事に成功した。
更に、
「この魔力はメアの──!!!」
よく見れば俺の残したアンパン〇マンの上に、魔力の残滓がふわふわと漂っていた。
属性魔法ばかりで魔力を辿るなんてのはからっきしの俺だが、何度も肌を重ねた――じゃなかった。透明化の魔法の為、何度も魔力を同調させたメアの魔力だけは判別が付く。
そして、メアの魔力が残されているということは――
「ここは10層よりも上ってことだ……!」
地上に近いどこかに、俺たちは遂に辿り着くことが出来た。
後はメアたちとの合流さえ出来れば、石紅の罠感知で地上に戻れるだろう。
だが、問題はどうやって合流するかだ。
風魔法で気配を探るも、この層にはいない。
もう、俺たちの食料は残り少ない。それはメアたちとて分かっているので、俺たちがここにいると知らせられなければ10層のボスに挑んでしまう可能性もある。
「……大丈夫、だよ」
スッと座った目で浅海が呟く。
その表情は、何度か戦場で見た無慈悲な暗殺者のそれだ。
浅海は両手に強い風の魔力を溜める。
そして、
「──耳、塞いでてね」
イケメンな横顔でそう言うと、直後。
耳をつんざくような高音が辺りに響いた。
「──っ、これは」
鼓膜が破れたかと思うほど、耳の奥に焼くような痛みが走る。
浅海が放ったのは音の爆弾だった。
ピュオオオ、と隙間風が吹くかの如く、風で作った極小の網目に恐ろしい程の強風を当て、超高音の爆音を鳴らしたのだ。
しかも風の吹く方を下に向けたことで下に向かって指向性まで持たせている。
「浅海、いつの間にこんな……」
「メアさんたちと合流する方法がいるんじゃないかっていうのは、ずっと考えてたんだ。……あたしも、諦めずにがんばろうって思えたから」
その晴れやかでかっこいい笑みに、俺の心臓はドクンと大きく跳ねる。
そして、数時間後。
「鷗外さん――――っ!!!」
遠くから響いて来る懐かしく愛しい声。
メアは転移の罠を踏まないように慎重に進みながらも、最後は泣きながら俺に飛びついてきた。
「おかえりなさい、鴎外さん」
優しいメアの言葉に、俺の頬を涙が伝う。
そうして俺たちは遂に、辛く苦しい下層生活を抜け出したのだった。
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