第37話 夜明けの終戦
鴎外と修司を残して進み続けた馬車の上。
そこでの防衛戦は苛烈を極めていた。
「はぁ、はぁ……」
荒い息を吐きながら、メアが魔力障壁を展開し敵の攻撃を捌く。
女子たちのフォローと、己の防御と、慣れない運転に苦戦する未来の防御。
彼女は鷗外と別れてからずっと一人三役をこなし続けていた。
「——っ、メアさんっ!」
だがそれも、限界が来た。
メアの上体がぐらりと揺れ、鼻からは一筋血が流れ落ちる。
隣の未来が叫ぶが、返事はない。
魔力障壁はその万能さと引き換えに魔力消費が激しい。
限界を超えて魔力を使ったメアは、その反動で意識を失っていた。
「こうなったら、私も……!!」
未来が手綱から片手を放して自分も防衛に加わろうとする。
「ちょ、落ち着きなさいな」
そんな未来の動きを、頭にポンと手を置いて制止するのは静だ。
「それ、どう見ても片手間に出来るようなもんじゃないでしょーが」
「でも……」
実際、馬車の運転は魔力をゴリゴリ削られるし少しでも気を抜けばコントロールを失いそうな程難しかった。
けれど、このまま何もしなければ全滅してしまう。
「空たちの仕事はオウ兄が戻って来るまで耐える事だよ」
「そーそー。それに、こっちにもまだやべぇ奴はいるしな」
空とののあもそれに同調してくる。
その方が守りやすいということで、いつの間にか御者席のすぐ後ろで防御陣形を作り、皆一か所に集まっていた。
けれど、その集団から外れて動いている少女が一人。
「ちょ――奏ちゃん!?」
荷台の縁に立っていた奏が、不意にそこから飛び降りた。
「不覚です……不甲斐ない私の尻拭いをさせてしまったようですね……」
目を覚ましたメアが呻く。
どうやら奏は本能的に危機を察知し、単身特攻して時間稼ぎに出たらしい。
馬車を降りて移動強化を使い、奏は敵と同じ土俵で戦う。
突然の特攻に驚いたのか、対応が遅れた敵一人の首が飛ぶ。
けれどそれで完全にマークされてしまった。
常に二人に囲まれ、つかず離れずの距離で攻撃が撃ち込まれる。
火魔法と風魔法が交互に奏を襲う。
その全て躱し、打ち消し、必死に応戦しているが、同じ土俵に立った時点で多重展開による有利は消えている。
持ち前のセンスも虚しく、数の暴力の前に徐々に押し込まれていた。
「おい、あのままじゃゲロ子がやべぇぞ!」
それに気付いたののあが身を乗り出し、奏を助けに行こうとした。
だが、
「おっと、あなた方の相手は私たちですよ」
綾小路が部下の一人を引き連れ、ののあの前に立ち塞がった。
「綾小路……!」
飄々とした顔で中距離から雷魔法を連射する綾小路。
相変わらずその全てが非戦闘員の女子たちを狙ったもので、ののあ達は歯噛みしながら防御に回るしかなかった。
やがて、奏の防御も限界が近づいてきた。
敵の火魔法を防ぎ切れずスカートから覗く太ももに火傷の跡が、トレードマークの青いパーカーにも脇の辺りに出来た裂傷から血に染まり、完全に満身創痍だ。
「あ……これ無理、かも」
敵の一人が放った特大の風刃を相殺したところで、背後から巨大な炎が迫って来る。
もう、回避も防御も間に合わない。
襲い来る痛みに耐えるべく、奏は目を瞑ってパーカーの襟元をぎゅっと握った。
――だが、身を焼く熱はいつまでたっても奏を襲うことはなく。
「悪いな、遅くなった」
恐る恐る目を開くと、炎はあっけなく霧散し、代わりに自分を襲っていた男二人の首が宙を舞っていた。
「葛西君……!!」
降り注ぐ月光の下、手を差し伸べてくる青年の名を、奏はそのか細い声で嬉々として呼んだ。
***
男二人の首を落とした俺は、ほっと胸を撫でおろしていた。
思ったより馬車が遠くまで進んでいたので、もう間に合わないんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていたのだ。
だがまあ、何とか浅海を助けられてよかった。
「……後は、あのクソ坊主だけか」
そのまま浅海と一緒に馬車に合流した俺は、即座に綾小路とその部下を風圧で吹き飛ばし、馬車から無理やりに引き剝がした。
これでもう、女子たちを狙う卑怯な手も使えない。
「さて……これで形勢逆転だな」
人数は同じだが、浅海と組んでいて負ける気はしない。
俺もここまでの戦いで少し自信がついたしな。
軽い昨日の意趣返しだ。
「……修司様は?」
てっきり不利になった途端蜘蛛の子を散らすように逃げるのかと思ったが、意外なことにインテリ坊主は両手を頭の後ろに回して降参のポーズを取った。
彼の部下もそれに続く。
「あいつなら、俺が殺した」
俺が言うと、インテリ坊主は静かに目を伏せた。
視界の隅の離れたところで、石紅がゆっくりと馬車を止めているのが見える。
俺たちを置いて行かないようにだろう。
「そう、ですか……それならばもう、私たちに戦う理由はありません。出来れば、見逃して貰えませんか」
「はっ、他人の権利を踏みにじろうとしておいて、いざ自分が不利になったら命は助けてくれって? ……それは、あまりに虫が良すぎんだろ」
俺はインテリ坊主の言葉を笑い飛ばす。
「奴隷化計画はあくまで修司様の意思です。私は彼の父に恩があり、それ故従っていたに過ぎません。修司様が死んだ今、計画を進める理由もない。今後一切、彼女たちには手を出さないと誓いましょう」
インテリ坊主は静かにそう告げてきた。
……これもカタギには分からない義理、というやつなのだろうか。
勝手に計算高く、みっともなかろうが最後まで足掻くタイプだと思っていたので俺はその殊勝な態度に面食らっていた。
「拠点にはまだ多くの者が残っている。私たちが戻らなければ、彼らはこちらまで追いかけてくるでしょう。しかし私なら、彼らにもう襲わないよう言い含めることが出来ます。……お願いします。私はただ、修司様の遺体を丁重に弔ってやりたいだけなのです。どうか、ご慈悲をいただけませんか」
そう言って、インテリ坊主は地面に頭を擦り付けた。
いわゆる土下座である。
その姿は、行為とは似合わず威風堂々といった感じだった。
流石本物のその道の人は迫力が違う。
「葛西君……」
隣の浅海が気圧されて俺の服の裾を引っ張って来る。
まあ、確かにこれは同情を駆られる姿だ。
「なるほど、事情は把握した。——だが、ダメだな。お前らはここで殺す」
死者と尊ぶという日本人の感性に訴えかけつつ、俺たちへのメリットも提示する。
インテリ坊主の話は、普通に聞いている限りでは見逃すのも悪くないかもしれないと、そう思わされる。
だがいい加減、俺もこいつの計算高さには気付いている。
「何故、なのでしょうか」
インテリ坊主が力なく聞いてくる。
「ま、理由は幾つかあるな。森での謀略もそうだし、さっきも真っ先に非戦闘員の女子たちを狙おうとしたクズさもそう。そもそもお前の言葉を信用する根拠がない」
説明しながらも、俺は油断なく魔力を練り上げる。
「けど一番の理由は、さっきのお前の言葉だよ。彼女たちには手を出さないって言ったが……それ、裏を返せば俺には出すってことだろ? 言葉一つで人権を踏みにじる計画に加担し、土下座してまで弔ってやりたい恩人の息子の仇だ。無意識に言葉を選んじまったみたいだな」
「——っ、仕方ありませんね」
そう俺が問い詰めると、インテリ坊主はどでかい雷の壁作り出し、そのまま部下と共に後方へ飛び去ろうとした。
「やっぱ、お前はそういうタイプだよな」
必要とあれば、仇に向かって土下座もする。
その強かさと狡猾さには何度も辛酸を舐めさせられた。
だが、それももう終わりだ。
こいつらをここで逃がすわけにはいかない。
俺は事前に練っていた魔力を風刃に変え――雷の壁を力でねじ伏せ、そのまま二人の首を刎ねた。
「ふぅ……」
俺は腹の奥から自然と熱い空気が漏れる。
気付けばもう、空の端から力強い朱色の光が顔を出していた。
もうすぐ夜明けだ。
闇に染まった平原に光が刺して、凄惨な戦いの跡を照らし出す。
視界の隅に朱に染まった草が揺れて、俺はたまらず視線を逸らす。
すると、止まった馬車から降りてこちらに向かって来るメアたちが見えた。
「……行くか」
俺は浅海に声を掛けて、仲間たちの下へゆっくりと歩き出した。
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