第33話 裏切者と幻の理想郷

 鴎外たちが馬車に乗り走り出したのと同じ頃。


「あーもう、不愉快だなぁ」


 錦戸修司は一人、眠れぬ夜を過ごしていた。

 

「それもこれも、あの馬鹿な鷗外のせいだ。取り返しがつかないくらい壊してやったと思ったのに、あんなにあっさり立ち直っているなんて……」


 飼い犬に手を嚙まれた気分だ。

 思い出す度にイライラしてくる。

 そう、別れ際の気の無い態度は単なる強がりでしかなかったのだ。

 というより、一度支配下に置いた者に謀反をされたのは修司の人生で初めての経験でどうしたらいいか分からなかった。


 放っておけば、彼らは数日のうちに森を出て行ってしまうだろう。

 その前にどうにか鷗外を跪かせ、あの忌々しいメアとかいう女を我が物にしなければ。

 

 修司がそんなことばかりを考えていると、


「あ、兄貴っ! 大変です、奴らのとこに置いてきたはずの姉御が――!」


 部下の一人が無遠慮に寝床に踏み入られて、修司は不機嫌に立ち上がる。


「誰が、どうしたって?」


 顔をしかめて振り返ると、視界の奥に見覚えのある女がいた。


「だから、情報を持ってきたんだって! ねえ、お願いだから修司に会わせてよ!」


 甲高い耳触りな声で喚いているのは、晴野七海。

 

 捨てて来たはずの彼女が何故ここに?と疑問に思ったが、すぐに意識を切り替えて不自然な程に爽やかな笑みを顔に張り付ける。

 

「修司……! お、置いていくなんて酷いじゃない。おかげでボコボコにされたわよ」

「ごめんごめん、けど、君があまりにも何一つ情報を持ってこないからさ」


 七海は営業スマイルの修司を見ると、少し怒りが引いた。

 あれだけのことをされても完全には嫌いになれない。そのくらい、修司という男の顔は整っていた。


「……情報なら、持ってきたわ。鴎外たちは、ここの女子たちを逃がす計画を立てている。数日中にも南の町にみんなを逃がす気らしいわ」


 だから、糾弾するよりも都合のいい女として扱ってもらえるよう、七海は情報を渡すしかなかった。


「……なるほど、そう来たか」


 修司の顔が思い切りにやける。

 このまま3人が森を去ってしまうのが一番面白くない展開だったが、こっちにちょっかいをかけてきてくれるとは。

 

 しかも、意表を突くつもりが、情けをかけて殺さずにおいた昔の女に見事に裏切られこうして情報まで漏れているのだ。

 もう、今から彼らの絶望した顔が目に浮かぶ。

 

 そんな風にクツクツと悪い笑みを浮かべながら、修司はふと冷静になった。


「ていうか、七海さんはどうやって夜の森を抜けてここまで来たんだい?」

「ああ、さっきまであいつらがここの下見に来ててね。その帰り道で奏と二人きりになるタイミングが合ったから上手いこと巻いた来たのよ。ま、闇雲に距離を稼いだせいでここを探すのに手間取っちゃったけど」


 もうそんなことまでしているのか。思ったより動きが早いな。

 ……というか、今が先手を打つ絶好の機会なんじゃないか?

 この女のおかげで彼らの行動が透けている今、先んじて監視網を強いておけば――


「上手くいけば、彼らの動き出しに合わせて先回りが出来るな」


 鷗外の言っていた勝算というのは、恐らくあのメアとかいう女と一緒に戦った場合のものだろう。

 うちの男共にも組ませることで真価を発揮する魔法、というのは幾つかある。

 逆に言えば、先回りして彼らを切り離してさえしまえば、数で勝るこちらが負ける可能性は限りなく低い。

 

……バレていないと思っていた計画がとん挫した時の鷗外はどんな顔をするだろうか。

 今から楽しみだ。


 鷗外に無下に扱われて苛立っていた修司の頭にはもう、鷗外たちをどう貶めてやろうかという、それだけしかなかった。

 だから、何故七海を連れて下見に来たのかという単純な疑問にすら気付かなかった。


「今すぐに起きている戦力を森の南側に向かわせ、監視網を作ってくれ」


 近くにいた部下に命じると、彼は慌ただしく数名をかき集め南の方へと向かって行く。

 それが鷗外の仕組んだ罠であるとも気付かずに。


「ねえ、私役に立ったでしょ? だからお願い、もう捨てたりしないで……」

 

 追い縋ってくる七海の頭を修司は優しく撫でた。


 情報こそ持ってきたが、やたらと自分の女ぶる七海は邪魔な存在でしかないが……まあいい。

 見てくれだけはいいし、何度か抱いてやった後で言いくるめてそこらの男にでもくれてやろう。


 と、修司が七海を捨てる算段をつけていた――その時だった。


 視界の奥でふわりと何かが揺れた。

 まるで、透明なカーテンが風になびいたかのようだ。


 だが、修司はそれを見て違和感に駆られた。

 何か重要なことを見落としている。自分の支配下に異分子が紛れ込んでいる。

 そんな強烈な予感がした。


 そして直後。

 カーテンのようにはためいていた空間のベールはめくれ上がり、ふわふわと漂ってどこかへ消えて行き――


 もう一度見た時には、寝ていたはずの女子たちがごっそりと消えていた。


「は……?」


 よろよろと立ち上がり、修司は女子たちがいた場所へと向かう。

 道中縋りつく七海を突き飛ばしたが、気にもならない。


「おい、なにがあった!」


 女子は全員が消えてしまったわけではなく、数人残っていた。

 ご丁寧に意識が刈り取られ、手足には枷がはめられている。

 

 修司はその中の一人、七海に代わる内通者に選んだ女の頬を叩き無理やりに起こした。


「あいつらが……あの狂った現地人共が、みんなを連れて行きました……」


 朦朧とした意識で答えた少女を、修司は地面に思い切り叩きつける。

 ちらりと七海に視線を向けると怯えた表情をしていた。

 恐らく、彼女のことも体よく押し付けたつもりなのだろう。


 鴎外に固執していたとはいえ、転移者たちの支配もまた元の世界では叶わなかった修司の大きな夢の一つ。 

 そんな大事なものを二つ同時に失った修司は……静かに笑っていた。


「は、はは……ははははっ! やってくれるじゃないか……! 僕の理想郷を壊した罪は重いぞ、鴎外ぃぃぃぃぃいいいっ!」


 腹の奥から憎悪に満ちた絶叫が、すっかり人の減った夜の拠点に響き渡った。


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