第6話妖精の依頼

「わかりました、セラ様。女王陛下の安心のために、微力ではございますが働かせていただきます」

「ありがとう、アンマリア嬢。貴女の優しさに感謝します」


 どこか芝居がかったやり取りだと、アンマリアはひっそりと思った。

 実際アンマリアは、言葉より遥かに少ない程度の熱意しか持ち合わせてはいなかった。それでも妖精女王の側近であるセラ・キールからの申し出を、一獣人に過ぎないアンマリアが断れる筈もないのだからと、それならばせめて耳障りの良い言葉を選ぼうという打算の上で、彼女は大仰に頷いて見せたのだ。


 そしてセラ・キールの側もそのくらいは解っている。

 間違いなくその筈だ、彼女は古く、だからこそ聡明な妖精であり、自分の後ろ盾が持つ強力さを正しく理解している。


 か弱い兎人一人が自分の申し出を断るわけがないことくらい、考えないわけがない。セラ・キールの内心にどのくらい『もし』があるかどうかは、解らないけれど――例えば『もし』アンマリアが断った場合、その口封じを実行するかどうかは勿論解らない。けれども、この美術品のように美しい上位妖精にとって、それが難しいことではないということは確かだ。

 そう。

 例え彼女に後ろ盾が全く居なかったとしても、その魔力の前ではアンマリアに拒否するなんて選択は存在しないのである。


 やるしかない。

 少なくともやろうとして見せるしかない――そしてやる以上は、成功させないとアンマリア自身が損する羽目になる。


「実際のところ、セラ様」

 必要以上に攻撃的な表現とならないよう、アンマリアは慎重に言葉を選んだ。「泥翅はどの程度危険なのでしょうか? その…………」

妖精わたしたち以外にとって?」


 隠そうとした内心を、見透かされたような気持だった。

 アンマリアの脳内に幾つかの返答の候補が浮かび、結局適切なものは単純な謝罪だけだった。


「…………すみません」

「あぁ、どうかお気遣いなく」

 セラ・キールは苦笑していた。「逆の立場だったなら、と考えるのが恐ろしいくらいなのです。妖精たちは自分以外への呪いなど、全く無視するでしょうから」


 寧ろ、とセラ・キールは続けた。


「アンマリア嬢。無関係な貴女が協力していただけることに、私がどれだけ感謝しているか…………正しく伝えられる良い言葉が見つからないことが残念でなりません。妖精の言葉には『関係のない厄介ごとの解決に協力してくれる相手への感謝』という項目はありませんし、その境遇シチュエーションを想像することさえ難しいのですから」

「お気持ちだけで充分です、セラ様。それにヒトの辞書にも、そうした項目はほとんど見当たりませんから」

「では、今後お互いに良い言葉を見付けていきましょう、アンマリア嬢」

 セラ・キールは宝石のように晴れやかに微笑んだ。「とはいえ今考えるべきことは、その厄介ごとの方ですね」


 セラ・キールは久し振りにカップを手に取った。

 連動するようにアンマリアも喉の渇きを感じて、カップを口元へ運び、顔をしかめた。妖精界の怪物に関する伝説は非常に興味深く、紅茶はすっかり冷めてしまっていたのだ。


「ずいぶん冷めてしまいました。新しいものを淹れましょう、セラ様」

「紅茶ですか? それなら大丈夫です」


 え、と聞き返すよりも早く、セラ・キールの六枚翅が瞬き、白灰の魔力を生み出した。それはピン、と立てた彼女の人差し指に集まり、セラ・キールの指の動きに合わせてぐるぐると、絵を描こうとするように空中に渦を巻いた。


 手元のカップから微かな振動を感じて、アンマリアは視線を落とした。


 そこでは、セラ・キールの可憐な指先を追うように、紅茶がぐるりぐるりと回っていた。

 見えない指でかき混ぜられているように。

 紅い水が渦を巻いていた。


 やがて指が止まり、少し遅れて渦も止まると、覗き込むアンマリアの顔に熱い蒸気が襲い掛かってきた。カップの持ち手も、淹れたての紅茶が入っているかのようにじんわりと、熱くなってきている。


「このくらいで良いでしょうか、アンマリア嬢?」

「驚きました、今のは妖精の魔法ですか?」

「ちょっとした……そうですね、貴女たちの言うところの手品という程度のものです。外からいらしたお客様は、飲み物の温度を気になさるようですからね」

 セラ・キールは自分のカップにも同じ魔法を掛けたようだった。「妖精にとっては同じものですが」


 能力を示す手段としても有効そうだと、アンマリアは思った。杖も呪文も無く魔法を使うなんて、まともな魔術師なら――そんなものが居ればの話だけれど――卒倒しかねない。

 そもそも確か、魔術師は魔術しか使えず魔法は使えない、と聞いたことがあるけれど。その二つの違いについてアンマリアは良く知らない、かつての主人であった魔術師ポー氏は優しい教師ではなかったのだ。


「さて、泥翅の脅威についてですが。実際貴女とレギン氏は既に直接、あの怪物と向き合ったのですね?」

「…………えぇ」


 頷くのに、少し時間が必要だった。

 どう考えてみても、アンマリアは別に向き合ってはいない。睨まれて、怯えて、友人の一人をあわや見捨てるところだっただけだ。いや、その表現でさえ彼女に有利すぎるだろう。実際のところアンマリアは既に、心の中でレギンの死を受け入れる準備を終えていた――たまたまセラ・キールが間に合っただけで、少女は立ち向かうことを諦めていたのだ。


 と言っても、自分の懺悔が話の腰を折るだろう、と思い当たるくらいの想像力はアンマリアにも存在した。苦悩や罪の意識を一先ず心の本棚に押し込めると、アンマリアは重々しく頷いて見せた。

 セラ・キールは申し訳なさそうな表情を浮かべた。アンマリアの躊躇いを何か、怪物との対決で心に傷を負っており、それが開いてしまったのではないかと勘違いしているようだった。


「であれば、その性能はある程度把握できておられるかと思います」

 セラ・キールはそれでも流石に妖精らしく、根拠のない後悔を直ぐに打ち消したようだった。「特に魔術師の方は、痛いほど解ったでしょうね」

「魔力を食べているようでした。あの怪物の周りには魔力の匂いがしなくて、レギン様の魔術も直ぐに壊れてしまったようでしたから」

「正しく、それはあの怪物の最も恐ろしい武器の一つでしょう。実際に食べているのかは解りませんけれど、泥翅の周囲には魔力がほとんど存在しません。この消失はかなり急速に起こり、範囲こそ泥翅の周囲三メートル程度に限られますけれど、出現と同時に魔力は一切無い環境となります」

「だとすれば、魔術師にとって有利な相手とは言えませんね」

 アンマリアは少々踏み込んだ感想を投げてみることにした。「セラ様の仰りようから想像するよりも、私たちの助力は決定的では無いように思えますけれど」

「勿論誰にとっても有利な相手ではありませんよ、何しろ怪物です。簡単な相手ではけしてない。直接出くわしたのです、泥翅の素早さにも驚かされたのでは?」


 アンマリアは頷いた。

 正直あまり思い出したい記憶ではないのだけれど、それでも敢えて思い出すのなら確かに、あの怪物は排水溝から一息に伸び上がり、レギン相手に完璧な奇襲を決めていた。その出現には予兆がまるで無く、息遣いも這い寄る音も、何一つ感じないまま気が付いたら、アンマリアたちは致命的な距離に置かれていたのだった。


「全くその通りです。泥翅が本体――詰まりは輝きの妖精の死骸から染み出した影だということは、先ほどお話ししましたね? 彼らは影の中に潜み、素早く、そして音も無く出現します。魔力が枯渇することが先触れではありますが、その時点で怪物が近くにいることを教えられたとしてどうなるというのでしょうか?」

 セラ・キールは紅茶を口に運び、働き終えた労働者たちが安いエール酒をそうするように、一息に飲み干した。「泥翅の奇襲は防ぎようがない。少なくとも初撃に関しては、察知することさえ難しいでしょうね」

「やる気が湧いてくる情報ですね」

「それでも私としては、貴女やレギン氏に助けを乞いたいと思っています。貴女たちはあの怪物に対して不利な点が多くあることは承知しています、ですが、私はこう答えるしかありません――『妖精わたしたちよりマシだ』と」


 セラ・キールはそれに対して激しい憤りを感じているようだった。

 アンマリアの知る限り彼女は最も真面目な妖精であり、勤勉さに由来する自己肯定感に満ちている。自分の能力の高さを知っているからこそ、それが通じない場面を認めるのは非常にストレスなのだろう。


「泥翅は妖精に向けられた呪いです。彼の怪物の最悪な点は、一撃で妖精を…………死なせ? 殺し? …………とにかく失墜させて、同じ怪物に変容させてしまうところです。怪物の一撃は、貴女がたにとっては危険なものでしょう。ですが、妖精にとってはまさに致命的なのです。そしてその致命的な一撃を、泥翅は全く予期できない奇襲で振りかざしてきます。極めて危険な相手です、少なくとも妖精が事に当たった場合、間違いなく何体かの犠牲は避けられないでしょう」

「だから、獣人と魔術師わたしたちに?」

「危険性は理解しています。ですが少なくとも貴女たちは一撃では死なない、かもしれない。私たちは死にます。この違いはけして、小さくないと私は考えています」


 アンマリアはカップの中身を暫く、ジッと見詰めた。

 揺れて歪む自画像が、奇妙な笑みを浮かべている。揶揄するような、或いは同情しているような、奇妙な笑い方だ。


「…………わかりました」


 結局決め手となったのは、別れ際のレギンの言葉だった。『妖精に混乱を広めないことが重要』、それならきっと、レギンがこの場にいても依頼は受けていただろうとアンマリアは想像したのだ。


「有難い、本当に嬉しいですよ、アンマリア嬢!」

 セラ・キールは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。「流石はハーリスの娘です。貴女の勇気と、優しさに感謝を!」

「は、はあ……」


 母様は一体、この街で何をしたのだろうか?

 とても気になったけれど、今はそれどころではなかった。


「では、セラ様。詳しい状況をお教え願えますか?」

「えぇ。事の発端は陛下のいつもの悪癖、実に些細な事が気になったというお話でした。妖精が三体ほど、ほんの二か月行方不明になったという何でもないような事態なのです」

「二か月の行方不明、それも三体?」

「仰りたいことは解ります、実に些細な話です。私も初めて聞いた時は不敬ではありますがこう思いました、『何だ、そんなことか』と」


 アンマリアの言いたいことは全く正反対で、どちらかと言えば女王陛下の懸念に近いことだったけれど、そこは一先ず黙っておくことに決めた。言われてみれば確かに、気ままの代名詞みたいな妖精が二か月いなくなることなんて、良くある話なのかもしれない。


「しかし私は陛下の片腕です。陛下が懸念を表明なされたのなら――それも私にだけ――対応し、その憂いを取り除かなくては。それに、実のところ陛下は私などよりもっと多くのことを、より高い視点で見ておられるご様子。あの方がちょっと気になると言い出した場合のほとんど全て、裏では実に危険な事態が進行していたのです」

「そして今回も、陛下の直感は正しかったのですね」

「実に聡明なお方です。この件が首尾よく片付けば、陛下から直接お褒めの言葉を賜る栄誉もあり得るでしょうから、楽しみにしていてください」


 それは確かに栄誉な事だろう。ただし今のところ、女王陛下に対面するのが無事なアンマリアである可能性は著しく低いけれど。

 まあ、ヒト世界の基準に即して考えるのなら、彼女のごとき一使用人に女王がお姿を見せるのなんて、考えられないほどの栄誉であることは間違いない――たとえそれが墓前であったとしても、魂の状態で泣いて喜ぶべき名誉だろう。


「…………泥翅は排水溝から飛び出してきました。地下を根城にしているのかもしれません、何か対策はありますか?」

「いいえ、特には。あの地下通路はいわゆる輸入品でしてね、下水道? 貴女たち来訪者の方々がとても強く望まれるので用意した、かなり新しい通路なのです。私たちには必要も無いので、特に整備や魔法の保護を掛けてもいません…………あぁ、保護と言えば」

 セラ・キールは何かを思い出したように手を叩くと、懐から妖精金貨を数枚取り出した。「忘れていました、この金貨のことを」

「あぁ、そういえばレギン様も何か言っていました。金貨に魔法が掛かっているとかどうとか…………」

「実に的確な分析ですね。その通りです、この金貨は陛下が手ずから作った魔力の結晶です。そして決められた手順で魔力を流すことで、災い除けの魔法を発動できます。泥翅にも充分、ダメージを与えられるでしょう」

「…………では、地下通路にこの金貨をばらまいては駄目なのですか? 魔法で地下通路全体に災い除けを放てば、泥翅にはなす術も無いのでは?」

「それは難しいでしょうね。何度も言いますが、あの地下通路は獣人または魔術師の要望で設置されています。ですから範囲は広くても、出口というか入口というか、貴女たちの排せつ物を入れるトイレくらいにしか繋がっていません。となると全体に影響を及ぼすほどの金貨を入れるには、どこかから直接通路に入るしかないのですが、その場合は辺りは完全に、泥翅の狩場と言えるでしょう」


 なるほど、とアンマリアはため息を吐いた。

 影に潜む怪物にとって快適な場所に、のこのこと入り込むのは賢いやり方とは言えない。


「とはいえ、最終手段ではあります。アンマリア嬢、出来れば他の手段による解決をお願いしますが…………最悪の場合は覚悟を決めて、通路に入っていただきます」

「げ、下水にですか…………」

「? 水と、貴女がた由来の排せつ物があるだけでしょう?」

「…………妖精は、排せつ物は無いのですか?」

「ありますよ、ほら」


 セラ・キールが翅を示す。

 半透明の翅には強い魔力が籠っていて、それがたまに剥がれて、空中に浮かんではただの魔力に解けていた。


「余剰な魔力はこうして剥がれ落ちていくのです。貴女がたの排せつ物も、同じようなものなのでしょう?」


 アンマリアは口を閉ざした。恐らくこの件について、これ以上妖精たちと意見を合わせることは出来ないだろうという確信が、彼女の心にはしっかりと刻み込まれていた。


「…………そろそろ陽が落ちますね」

 セラ・キールは窓の外を見て、ため息を吐いた。「私は城に戻ります。泥翅が現れた以上は、妖精騎士たちに女王陛下の警護を固めさせなくては」

「では、私はレギン様に相談しておきます」

「よろしくお願いします、そしてお気をつけて。言うまでもありませんが、貴女の肩には今や、妖精界の未来がかかっているのですからね」


 飛び立つセラ・キールの美しい後姿を見送りながら、アンマリアはため息を吐いた。彼女は優れた妖精かもしれないけれど、部下にやる気を出される名人とは言えないようだった。

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