トビと唐辛子

あべせい

トビと唐辛子



 商店街にある、客席20卓ほどの洋食屋。

 建物は古いが、掃除は行き届いている。男性客(38)が、手を上げて店員を呼ぶ。

「ちょっと。キミ、キミだよ」

「はァ? わたしですか」

 若いウエイトレスがやってくる。

「遅いじゃないか。呼ばれたら、すぐに来るものだろう」

「すみません。手が離せなかったものですから」

「事情はいろいろあるだろうが、おれは客だよ。客が呼べば、すぐに来るのが仕事だろう」

 ウエイトレス、ムカッとくるが、作り笑顔で、

「それで、何でしょうか」

「これを見て……」

 食べかけの皿を示す。

 半分以上、食べ終わっている。ウエイトレスは皿を見て、首をかしげる。

「お下げしますか?」

「そうじゃない。この皿の中をよく見ろよ。何か見えないか?」

「はァ?」

 ウエイトレスは、皿に顔を近付ける。

「スパゲティですが……」

「スパゲティじゃない。スパゲティの間から覗いている、黒いモノだ」

「? さァ……」

「ハエだよ。ハエの足!」

「へェーッ! これがハエの足ですか。失礼します」

 スパゲティの皿を手に持って、踝を返す。

「オイ、待てーッ!」

 ウエイトレスが振り返る。

「何か?」

「その皿を持って、どこに行くつもりだ」

「厨房に行って、料理長に報告します」

「報告はいいが、皿はここに置いていくものだろう」

「はァ?」

「その皿は、証拠の品だ」

「お客さん、刑事さんですか?」

「バカ野郎! 刑事が地下足袋履いて、ダボシャツ着て、こんなダボダボのズボンを履いているか」

「前々から面白いと思っていたンですけど、そのズボン、膝の下までがガバガバにふくらんでいるでしょ。わたしの叔父さんが山に行くときのニッカボッカというズボンに似ているンです」

「これは、おれたちの間で『七分』といって、このほうが仕事をするのにラクなンだ」

「変装して捜査するのに、そのズボンがラクなンですか」

「ギクッ! バカ野郎、何度言ったらわかるンだ。おれは刑事なンかじゃない。トビだ」

 傍らの両口レンチを取り上げる。

「これがわかるか。こんな道具を使うのがトビだ」

「トビって?」

「おまえ、年はいくつだ」

「かわいい盛りの19です」

「自分でかわいいというヤツがあるか。トビっていうのは、ビル工事で鉄骨を組んだり、建築現場の足場を組んだりする職人だ。そんなことはどうでもいい。おれの休憩時間は1時間しかないンだ。いや、もう、あと17分しかない」

「じゃ、早くお帰りください」

「コラッ! おれはまだ食べているンだゾ!」

「じゃ、(皿を突き出し)早く食べて」

「おまえ、おれにケンカを売っているのか。ハエの入ったスパゲティが食えると思っているのか!」

「うちの父ちゃんは、イナゴやスズメバチ、ヘビやカエルも食べますが……」

「おまえ、田舎はどこだ」

「信州の伊那です」

「伊那か、おれは同じ信州だが、伊那のもっと北の、上田だ。伊那なら、ヘビもサソリも食べるだろうな」

「サソリはいません。お客さん、伊那をバカしてませんか」

「気にするな。逃げた女房が伊那の出でな。あれは気の強い女だった」

「思い出話なら、おひとりでごゆっくり」

 ウエイトレスが行きかけると、

「待て! 新しいスパゲティはいつ持ってくるンだ」

「だから、うちの料理長は証拠のハエの足を見せないと納得しないンです」

「じゃ、ここに料理長を呼べ。おれが説教してやる」

「いいンですか、いいンですね。呼びますよ。料理長ォー!」

 ウエイトレス、そう言いながら、厨房へ。

 2分後。

 真っ白なコック服をまとった美しい料理長の由理味(35)が現れる。

 トビ、その美貌に圧倒され、萎縮した。

「お客さま。お代わりがご希望ですか?」

「いや、このスパゲティに、何か入っているようなのです」

「はァ?」

 由理味が皿を覗いた。

「ペペロンチーノですが……」

 トビ、10数本しか残っていないスパゲティの麺の間を指差す。

「ここ、この、麺の間に見えている黒い、細い、虫の足のようなものです……」

「これですか。これは……失礼します」

 と言って、由理味は持参したフォークでその『虫の足』を麺の間から引き出した。

「これは、黒獅子と言って、唐辛子の一種なンです。炭と間違われることはよくあるのですが、虫と間違われたのは初めて」

「この真っ黒いのが、唐辛子!」

「召しあがっていただければ、こ納得いただけるはずです」

「そうですか、じゃ……」

 トビ、恐る恐る、その黒獅子を口に入れる。

「ウムッ……辛いッ、うまいッ。癖になる味だ」

「みなさん、そうおっしゃいます」

 トビ、由理味を仰ぎ見て、

「料理長、大変な間違いをして。お詫びのしようもありません」

 頭をテーブルにつけ、平謝り。

「お客さま。頭をお上げください。事前にご説明しなかったこちらにも落ち度がございます」

 と言い、ウエイトレスに、

「サッちゃん、あれ、お願いね」

 ウエイトレスの沙紀、「はーい」と言って奥に消える。

「さきほどのお話、聞いてしまったのですが、お客さまは、信州上田のご出身なのですか」

「はい。高校までいました」

「私は、小諸。いまも祖父母と両親が住んでいます」

「上田から近い。この店の名前が『ちくま』というのも、小諸のお生まれだからですか?」

「それもあります。でも、本当は、亡くなった夫の名前なンです。夫は竹に馬と書いて、『ちくば』、竹馬四郎といいます。夫は、私が知り合った頃、『信州』という名で、このレストランをやっていたのです。夫はこの土地の生まれですが、私の故郷の信州牛を使っていたこともあって、信州という名前にしたそうです。でも、5年前、心臓発作であっ気なくこの世を去りました。それまでホールに出て夫の作った料理をお客さまにお出ししていた私は、一念発起して料理人の修業をし、3年前、ようやくいまの形にすることができました」

「大変だったでしょうね」

 沙紀がやってきて、トビのテーブルにプリンを置く。

 由理味、笑顔で、

「お詫びの印です。お口に合えばいいのですが……」

「申し訳ないのはこちらなのに。すいません。いただきます」

「信州の牛乳と卵で作っています」

 由理味、うまそうに食べるトビを見て、

「お味は、どうですか? 三武(さんぶ)さん」

「エッ!? どうして、ぼくの名前を……」

「お客さんのそばに置いてあるヘルメットに書いてあります」

「これは借り物で、前に書いてあった上に紙を張って、『三武』と書き直したンですが」

「やっぱり……ヘルメットの横にあるレンチもトビで使うものですか?」

 三武、両口のラチェットレンチを手に取り、

「これ1本で足場を組み、解体もできる。便利なヤツです。いや、ご馳走になりました。ぼくはこれで……」

 三武が立ちあがろうとすると、

「お仕事はおすみですか?」

「エッ!?」

「お調べの結果はいかがでしたか。もし間違っていたら、お許しいただきたいのですが、三武さんはこの店のようすをお調べに見えたのでは?……」

「ハッ、はい。しかし、どうしてそれを……」

「前に、電柱の広告で『三武不動産』という名前を見たことがあります。珍しい名前だったので、記憶に残っているのです。それと、いま現在、この店から周囲1キロ圏内に、トビの方が必要な建築現場はありません。ですから、ここに来る必要からトビの格好をして、おいでになった……」

「バレていたンですか。ご推察の通りです。ぼくの本業は不動産屋です。不動産屋を始める前、少しの間トビをしていて、その服装一式を持っているため、つい大好きなこの格好をしてしまいました……」

「『ちくま』はいま、売りに出しています。それで、店のようすを調べに来られたのでしょう?」

「売りに出されていることは、業界の案内で知りました。それで、うちで買い取れる物件かどうか、調べようと考え、建物の傷み具合から、客の入り、サービス、メニューなどを拝見させていただきました」

「そうでしたか。店は、私の力不足なのでしょうが、昨年あたりから客足が伸びません。それで思いきって、店をたたもうかと考えています」

「仕事抜きでお話しますが、それはもう少し待ったほうがいい。ご主人の大切な、いわば形見なンでしょう、このお店は」

「そうですが、ウエイトレスをしてもらっているサッちゃん、私の姪ですが、彼女に払うお給料も、充分にできません」

「味はいい、サービスもいい。クレーム処理も適確だ。場所は、商店街の端っことはいえ、駅から団地までの通り道になっているから、悪くはない。ぼくが入ってきたときも、お店は7分くらいの入りだった。あと考えられることは……去年あたりから客足が落ちたのですね?」

「はい……」

「去年の暮れに、国道を車で10分ほど行ったところに大手のファミレスがオープンしました。駐車場があって、値段が安い。味はこちらのほうが格段に勝っていますが、メニューも「ちくま」と共通するものが多い。このお店の唯一の欠点は、駐車場がないことです」

「それはよくいわれます。主人も、建物が古くなったので、こんど建てかえるときは、1階を駐車場にしたほうがいいと言っていたのですが」

「ちょうど斜め向かいに、昨年できたコインパーキングがあるじゃないですか。あの駐車場と提携して、お客さんは2時間まで無料にするというのは、どうですか。少し経費はかかりますが、売り上げがあがれば、充分カバーできますよ」

「そんなにうまくいくかしら……」

「いきます。ぼくが保障します」

「そうですね。失敗しても、ダメモトよね」


 3年後。「ちくま」店内。

 三武が厨房に立っている。客席を掃除していた由理味が三武を見て、

「あと30分で開店よ。仕込みは終わっているの?」

「ランチの肉を切るだけだ」

「早く、やって。あなたが厨房に立ってから、料理が遅いって、いわれているンだから」

「サッちゃん、きょうは手伝いに来ないのか」

「どうかしら。就活で忙しいって言ってたから。そんなことより、厨房は私がやろうか。そのほうがうまくいくみたいだから」

「おれの作る料理はうまくないか」

「そういうことじゃないけど、あなた、調理師学校に1年、フランス料理店で1年勉強して、先月やっと独り立ちしたでしょう。ちょっと早かったかな、と思わない?」

「おれは昔からずーっと不動産をやっていたから、こういう立ち仕事は体に堪える。それは確かだ」

「大好きだったトビに、もう一度なってみる?」

「トビは、大学を出てからバイトをしていたとき、遊び半分にかじった仕事だ。おれの性分に合ったンだろう。2年近く続いたが、根が怠け者だから、気がついたら、親の遺産に胡座をかいて暮らす自堕落な生活に戻っていた」

「あなたは両親の遺産を元手に不動産屋を始めたのに、事務所にいるばかりで動かないから。この『ちくま』に来たときは、定収確保のために始めた、はす向かいのコインパ-キングだけが、収入源になっていたンでしょう」

「コインパーキングなら日銭が稼げると思ったからだ。ところが。それが思ったように車が埋まらない。だから、この店の駐車場に使ってもらえるように小細工したら、本当にこの店の客足が伸びたのには、驚いた」

「私がコインバーキングの経営者を探したら、三武不動産でしょ。私、騙されたような気になったけれど、ダメモトで乗ったのよ」

「しかし、どうしておれと結婚する気になったンだ。大して実入りのない不動産屋のおれと……」

「それが私にも、よくわからない……」

「オイ、それはないだろう。そうか。沙紀、サッちゃんだな」

 そのとき、沙紀が入ってきた。

「聞いちゃった!」

 由理味、沙紀を見て、

「サッちゃん、きょうは大学の講義があるンでしょ」

「休講になったから、手伝おうと思って」

 三武が沙紀に、

「サッちゃん、3年前の夏休み、伊那の実家に帰ったとき、上田に遊びに行ったと言ったよね」

「はい……」

「そのとき、おれの生家に寄ったンじゃないのか」

「実は、そうです。でも、昔は3千坪あった三武家は、開発されて住宅団地になっていました」

「おれが食いつぶして、売り払ったから」

「それが原因で、前の奥さんが逃げたということになっていますが、本当はそうじゃない」

 三武は押し黙る。

「本当は、赤字で傾いた老舗旅館の借金の連帯保証人になったことから、屋敷や田畑を手放したンでしょ」

「借金の保証人だけじゃない。上田にいられなくなったのは、それまでのおれの放蕩が祟っているンだ」

「その老舗旅館というのが前の奥さんの、叔母さんの嫁ぎ先で、その義理で仕方なく保証人になった。その老舗旅館というのが……」

「サッちゃん! それを由理味にしゃべったのか……」

「あなた、私がその旅館の娘だと知って、3年前、このお店に来たンじゃないの?」

「そう受け取られても仕方ないが、あれは全くの偶然だ。『ちくま』という看板が前から気になっていて、前にも話したが、おれのコインパーキングの売り上げを伸ばしたくて、小細工をしたわけだ」

「いいの。私は、あなたが両親の恩人だからと思って、気を許したわけじゃない」

「じゃ、なんだ?」

「これは、本当は言いたくなかったのだけれど……」

 沙紀が興味津々で、

「叔母さん、私も聞きたい」

「あなたがこの店に初めて来たときの、姿形が格好よくて……」

「あのトビが、か」

「前の夫は料理人だったでしょ。真っ白のコック服と比べると、トビ服は色も地味で、形もダサイ。でも、私には、輝いて見えた……」

「やっぱり、おれはトビが合っているのか。この店は、おまえに任して……」

「包丁を足場レンチに持ち替える、っていうの?」

「空を舞っているトビを見てみろ。自由気ままに、生きているじゃないか。おれはそんなトビに憧れていたンだ」

「トビが勝手気ままに生きている、っていうの。生き物は、毎日生きるのに精一杯なのよ。トビが空を舞っているのだって、空の上から必死で地上の食べ物を探しているンじゃない。あなたみたいに、親の遺産を食いつぶして生きてきた人間には、生活の苦労なんてわからない」

「そうかなァ。おれは、レンチ1本で生きるトビがうらやましくて仕方ない」

 と、沙紀が、

「呆れたッ。叔母さん、こんな人と別れたら。いつまでも、こどもみたいなことを言って。叔父さんは、雨の日でも雪の日でも嵐の日でも、外で働かなきゃならない労働者の辛さが、ちっともわかっちゃいない」

「そうね。サッちゃんの言う通りかも。考えたほうがいいかしら……」

「待ってくれ。おれはトビがいいと言っているだけだ。別れようなンて言ってない」

 沙紀が、きつい調子で、

「叔父さんは、トビ失格!」

「サッちゃん、どうしてだ。由理味だって、おれは、トビ服が似合っていると言ってくれている」

「空を飛んでいる本物のトビは、空から地上の虫を見つけられるほど目がいいの。でも、叔父さんの目はダメ。だって、ここに初めてきたとき、唐辛子をハエの足と見間違えたでしょッ」

                 (了)

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トビと唐辛子 あべせい @abesei

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