第37話 本当にお詫びにはならないわね

「私は常に挑戦し続けてるわ」

『大会とかですか?』

「大会には出たことない。組手もしたことない」だったらなにに挑戦しているのだろう。「私は……私に負けないために修行してるの。昨日の私を超えるために、常に挑戦してる」


 それはおそらく最強の敵。相手を打ち負かすより、昨日の自分を超えるほうが圧倒的に難しいだろう。


 昨日の自分を超えるというのは基準がないのだ。対戦相手に勝つだけなら、勝利という明確な基準がある。だけれど昨日の自分と実際に戦うことはできない。


 だから妥協できてしまう。ほんとうの意味で自分に勝つことは難しい。


「私ね……昔、弱かったの」誰だって子供の頃は弱いだろう。「言い返して、やり返すことが強さだと思ってた。殴られたら殴り返して……それでいいと思ってた。相手に勝つことが強いことだと思ってた」


 やっぱり、それも強さの一つだと思うけれど。言い返すことも殴り返すことも、時には大切だと思うけれど。


「でも、いつもお父さんに言われてた。本当の強さは勝つことじゃなくて、負けないことと守ることだって。仮に殴られても傷つけられても耐え忍ぶことが強さだって」


 それも強さの1つだろう。おそらく……もっとも追い求めるのが難しい強さだ。


「目の前にいる相手は敵じゃない。超えるべき敵は自分しかいない。ずっとそう教わって育った。でも……その言葉の意味に気づいたのは高校生になってから」


 本当の意味はまだ気づいていないのかもしれない。それとも、とっくの昔に気づいていて無視していていたのだろうか。


雨霖うりんすずっていう女の子と出会ったの」僕もよく知っている雨霖うりんさん。「あの子は……結構巻き込まれ体質というか、いじめられっ子だったの。1年生の時から面倒なのに絡まれる事が多くて……それから、なんとなく仲良くなっていった」


 雨霖うりんさんがいじめられていて、しずかさんや地平ちひらさんが助けていたんだろうな。その縁でグループになった。


「あの子は……ずっと笑ってたよ。いじめられても殴られても、今日みたいに飲み物をかけられても笑ってた。絶対に不機嫌にならないし、やり返したり言い返したりもしない。お父さんの言ってた強さを全部持ってる人だった」


 弱さでもあるのだろうけれど。


すずは自分の機嫌を自分で取れる人で……相手にやり返したりしなくても精神の安定を保てる人だった。でも……当然、傷ついてないわけじゃない」笑顔の裏に傷が無数にあるのだろう。「だから守ってあげたいと思ったの。私は弱くてもいいから……すずが傷つかないようになって欲しいと思った」


 自分がやり返して言い返してもいいから、雨霖うりんすずという人間を守りたいと思った。


「でも……すずはそれを望んでないみたい。やり返すことは、彼女の本位じゃない」だろうな。雨霖うりんさんは……相手を憎んでいるわけじゃない。「だから……私じゃすずを守れないの。同じように堪え忍べる人が、彼女には必要」


 それが僕ってことだろうか。だとするならば見る目のない人だ。


 一応忠告しておこう。


『耐えるばかりじゃ好転しないこともありますよ。ときにはしずかさんや地平ちひらさんみたいな強さも必要です』

「私たちの力が必要なら、いつでも呼んで。三下には三下で十分。あなたたちまで、私たちの土俵に降りてくる必要はないわ」


 降りるって……上とか下とかじゃないだろうに。


 さて……だんだんと呼吸が整ってきた。僕は寝転んでいた状態から畳に座りなおす。それでもまだ歩けるような状態じゃないので、会話が続く。


てんとあなたがチャットしてるとき……あなた、言ってたわよね。すずの夢中がどこにあるかわかったって」

『言いましたね』

「それは、なんなの? すずはなになら夢中になれるの?」

『もう夢中になってるって話なんですけどね』答えは案外、近くにあったのだ。『前も言いましたけど、まだ言えません。実際に試してみるまでは、秘密にさせてください』

「……そういうことなら……変なこと聞いてごめんなさい」

『いえいえ』僕ももったいぶらずに話せば良いものを。『お詫びにはならないと思いますが、まだ僕の決意ができてないってことだけ伝えておきます』

「本当にお詫びにはならないわね」

 

 そりゃそうだ。お詫びどころか、さらに恥を上塗りしている。


 雨霖うりんさんを熱中させる方法は、なんとなくわかっている。だけれど僕にはまだ度胸がない。実行するか決めかねているのだ。


 実行したところで成功するとは限らない。失敗するかもしれない。その確率のほうが高いかもしれない。深く傷つくかもしれない。


 失敗する未来が見えていてもなお挑戦する……僕にはその心が足りていない。すぐに逃げてしまう。


 だから修行をしようと思ったということもある。つらい修行を乗り越えたら強くなれるかもしれないと思ったのだ。


 でも……どうだろう。今の僕の心は強くなっただろうか。修行を乗り越えたという満足感に満たされているだろうか。


 結局僕は目標をすり替えて安心しているだけではないだろうか。


 そんな……疑念だけが強まった結果になった。

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