第35話 苦手だから

 翌日……僕は夜中にしずかさんの道場がある住所に向かった。


 夜中と言ってもまだ夜の7時くらい。どうせこの時間にはまだ眠っていないし、これから数時間運動しても夜更かしにはならない。


 それにしても……変なことになったものだ。好きな女の子を下心で助けたら、気がつけばその女の子の親友の家で修業をすることになってしまった。


 人生というのはわからないものだ。選択肢というのはいくらでも転がっていて、どれを選ぶかによって急転していく。

 それが好転なのか悪化なのかはわからない。でも僕が選んだ選択肢の末の結果なのだ。受け入れるしかない。たとえどんな結果になろうとも、それが僕の結果なのだ。


 胸を張ればいい。最悪の結果になっても。


 しずかさんの家……道場は山の中にあった。


 ちょっと緊張していた。これからしずかさんに会うというのも緊張するし、修行とやらの内容も気になる。一応動きやすい服装できてほしいとだけは言われているのだが、修行内容は不明のままだった。


 他人と会うのは緊張する。地平ちひらさんとかは向こうが壁にでも話せるタイプなので問題ないが、しずかさんは違う気がする。


 結構口下手な人だ。寡黙というか……そんなタイプ。


 僕は寡黙な人のほうが好きだけれど、僕自身もしゃべれないので会話が成り立たないのだ。だから僕がしずかさんを傷つけてしまわないかが心配なのである。


 そんな事を考えながら、しずかさんの道場にたどり着いた。


 想像していたよりも近代的な建物だった。古武術って聞いてたから和風な道場を想定していたが、なんてことはない。どこにでもありそうな普通の建物だった。まぁ山の中にポツンとあるのが普通ではないが。


 鍵は開いているとのことなので、扉を開けて中に入らせてもらう。


 それにしても夜中の山の中というのは静かなものだ。街の喧騒というものがこの場所には届いていない。たまに虫の鳴き声と風に揺れる木々の音が聞こえてくるだけ。なんだか心が洗われる気がする。


 建物に入って、少し周りを見回す。どうやらフロントというか……待合室みたいな場所なようだ。


 そして真正面にある扉……いや、ふすまをノックしてみる。ふすまってノックして良いものなのだろうか……なんか作法とかあるんだっけ。畳の縁は踏んだらダメなんだっけ?


 そんな事を考えていると、部屋の中からしずかさんの声がした。


「どうぞ」


 シンプルながらも入室を許されたので、ふすまを開けて中に入る。


 その部屋は、僕の想像していたような風景が広がっていた。


 和風の道場。畳の床に木の壁。建物の外観からは想像もできないような古風な部屋だった。


 そのど真ん中に、しずかさんが立っていた。白い道着を着て天井を見上げていた。


 しばらく沈黙が流れた。しずかさんは目を閉じてその場にずっと立っていた。僕から声をかけるべきなのか迷っていると、


「私は……」ゆっくりとしずかさんがしゃべりはじめた。「私はしゃべるのが苦手。こうやって沈黙の時間が長くなると思うけど、機嫌が悪いとかじゃないわ。そこは……理解してくれると嬉しい。笑顔とか、苦手だから」


 当然、理解する。僕だって愛想笑いは苦手だし、しゃべるのも苦手だ。だから黙っている人がすべて不機嫌じゃないということも知っている。


「それと……スマホも使っていいわよ。昔みたいに……道場内は携帯禁止とか、そんなのはないから」


 昔は禁止だったのか……まぁそうだろうな。


 それにしても……しずかさんが気を使って喋ってくれているのが伝わってくる。口調は冷たく聞こえるけれど、こちらを傷つけないようにしているのが伝わるのだ。

 

 本当に口下手なだけなんだな。シャイなだけかもしれない。怖い人ではないのだろう。


「さて……」しずかさんは一瞬だけこちらを見て、「一番厳しい修業をする予定だけれど……本当にいいの?」


 僕がうなずくと、彼女が続ける。


「……キツくなったら、すぐに言ってね。水分補給も怠らないように。場合によっては強制終了するわ」


 そんな厳しいの……? ちょっと後悔しているかもしれない。


 まぁ……やるからには深遠に触れたい。こんな機会はもうないのだから、最初から全力で最後まで行きたいものだ。


 ……

 

 ……


 それでも、いつでもギブアップできるように心の準備はしておこう。

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