第32話 誰かさん

『それで……すずの好きな食べ物はわかった?』

『チョコレートということにしておいてください』

『ピンポイントで苦手なものだよ。ツキがないね』


 雨霖うりんさんチョコレートが苦手なのか……なんか意外だ。大好物だと思っていた。


 雨霖うりんさん宅での夕食を食べ終わって、僕は自室に戻ってきていた。そしてしばらくボーっとしていると、地平ちひらさんからチャットが来たのだった。


『初デートはどうだった?』

『デートじゃないと思いますよ』少なくとも雨霖うりんさん視点からすればデートじゃない。『雨霖うりんさんがバスケ部だったことと、どうしてなにかに熱中したいと思い始めたのか……その2つを聞きました』

『ああ……須田すださんの話ね』


 地平ちひらさんも知っているらしい。当然か。2人は親友だもんな。


 まぁ要するに須田すださんみたいになにかに熱中したいという話だ。負けて泣くほどの熱中を手に入れたいと思った。


 ……僕も……思ってしまった。それくらい僕もゲームに熱中してみたい。僕はまだその領域に至れていない。


 そしてもう1つ、


雨霖うりんさんの熱中ってやつがどこにあるのか、なんとなくわかってきましたよ』

『そうなの?』

『はい。まだ言いませんけど』

『なんで? 教えてよー』

『まだ確信がないというのと、すぐに実践できることでもないので』もう少し……準備期間が必要だ。『問題は食事中に、僕がうまく喋れなかったことです』


 熱中問題は解決できる可能性が出てきた。

 だけれど……雨霖うりんさんが僕を好きになってくれるという問題が解決できそうにない。


『家まで誘うってことは、さすがに好意があると思うけれどね。まだLIKEだろうけど』LOVEになりそうにないわけだ。『まぁキミはチャットで会話するタイプだからな……食事中だと手が塞がって、なかなか会話できないよね』


 そうなのだ。片手にスプーン。片手にお皿では、スマホを触る時間がない。それを察して雨霖うりんさんも途中から黙ってくれたのだ。


 それではいけない。なんとかして会話しないと……


『差し支えがあるなら答えなくていいんだけど、聞いていいかな?』

『どうぞ』

『キミがしゃべらないのは先天的な理由?』

『後天的ですよ』思い出して、ため息をついてしまう。『声が気持ち悪いって言われて、それから声が出なくなりました』

『嫌なことを思い出させたね。ごめん』地平ちひらさんが謝ることじゃない。『一応言っておくけれど、私たちのグループにキミの声を批判する人はいないよ。ひょっこり喋っちゃっても大丈夫』

『ありがとう』


 それきり、僕の声に対する話題は終わった。おそらく気を使ってくれたのだろうな。


『しかしどうしたものかね。すずは友達になるまでは早いんだけど、恋人というものに縁がないからね』

『その理由は何でしょうね。バカだから、という建前はいりませんよ』


 以前に同じような会話をしたとき……地平ちひらさんは雨霖うりんさんのことをバカだと評した。だから恋人ができないのだと説明していた。

 だが雨霖うりんさんはバカじゃない。天然ではあるのかもしれないが……かなり賢い人間に思える。


『ある程度親しくなったら、すずが壊れている人間だと気づいちゃうんだよ』

『壊れている……?』

『バスケで全国に行っても何も感じず、部屋は殺風景。レモネードをかけられても怒らない』僕が知っているだけで、それだけのエピソードがある。『優しいって言葉じゃ片付けられないよ。感情が薄いとか……そんな言葉でもまだ足りない』

『最初から、なにかが足りないって感じですよね』

『そうそう。そんな漢字』漢字……? 『感じ』


 ……地平ちひらさんも誤字とかするんだな……そりゃそうか。人間だもんな。


 ともあれ……雨霖うりんさんにはなにかが足りない気がするのだ。人間として生まれつき、先天的に感情の一部分が欠落しているようにも見える。


 だけれど……


『私の勘違いだろうけどね』そうだ。雨霖うりんさんに欠落している感情はない。『押し殺してるだけなのかな。冷静すぎて、感情よりも先に理性が来ちゃうのかな』


 そうなのかもしれない。心で感じたままに動くより、頭で考えてしまうのかもしれない。冷静すぎるがゆえの悩み。


 雨霖うりんさんの強大な理性に勝てるくらいの、本能の感情を呼び起こさないといけない。

 そのヒントはすでに得ているのだけれど……もう少し時間がほしいな。


『まぁ、すずの足りない部分は恋人様が埋めておくれよ』

『未来の誰かに期待ですね』

『期待してるよ。誰かさん』


 どうも誰かさんです。こんな誰かさんに雨霖うりんさんの心を射止めることなんてできるのだろうか。


 でもやらないといけない。なにより……僕がやりたいと思っている。雨霖うりんさんみたいな冷静な人が僕は好きなのだ。


 まぁ……

 僕みたいな人間のことは、雨霖うりんさんは好きじゃないのかもしれないが。

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