第三十二話 そのポーター、馬小屋の中で恐怖を感じる

「う~ん、これからどうしようか」


 僕は地面に胡坐あぐらをかきながら、難しい顔をしてつぶやく。


「本当にどうしましょう」とローラさん。


「ふむ、はてさて」とカーミちゃん。


「とにかく、しばらくはここに身を隠しましょう」とクラリスさま。


 うん、まずはクラリスさまの意見に賛成かな。


 現在、僕たちは宿屋に隣接している馬小屋の中にいる。


 何頭もの馬が繋がれ、馬糞まみれのわらが大量にある馬小屋の中だ。


 では、どうして僕たちが馬糞臭い馬小屋の中にいるのか?


 すべては約30分ほど前のことである。


 僕は牢屋があった建物の壁を〈気力封魔きりょくふうま撃滅げきめつ金剛烈破こんごうれっぱ〉で大穴を開け、3人の純粋な仲間たちと脱獄した。


 え? そのとき誰か犠牲者は出なかったかって?


 さあ……出なかったんじゃない?


 知らないけど。


 まあ、そんなことはさておき。


 門番兵さんたちはすぐに大火災となった建物内の火を消すために忙しく、僕たちをすぐに追うようなことができなかったのだろう。


 大通りにいた人たちが「門番たちの詰め所が火事だ!」と騒いでいるどさくさに紛れ、僕たちはふと見つけた宿屋の馬小屋に飛び込んだ。


 そして現在に至るというわけである。


 当たり前だけど、宿屋の人に馬小屋の使用許可など取っていない。


 周囲に誰もいないことを確認した上で、こうして勝手に馬小屋の中に侵入して身を潜めているのだ。


 え? それは不法侵入じゃないのかって?


 だから何なの!


 こっちは領主の名前を騙ったという罪に加えて、牢屋がある門番兵さんたちの建物を放火したという罪も着せられて絶賛指名手配中なんだよ!


 うかつに街中をうろついていたら、また捕まって今度こそ即処刑されるかもしれないんだよ!


「お主……頭の中で誰に向かってツッコんでおるのじゃ?」


 カーミちゃんが僕を見つめて、明らかに痛い子を見るような顔を向けてくる。


 そう言えばカーミちゃんは僕の心が読めるんだったね。


 でも、安心してカーミちゃん。


 僕は別に頭がおかしくなったわけじゃないよ。


 ただ何となく、誰ともなくツッコんでおいたほうがいいかなって思っただけ。


「うむ……それでも十分に頭がおかしくなったと疑えるレベルじゃぞ」


「……ですよね。ごめんなさい、もうしません」


 キョトンとしていたローラさんとクラリスさまに「ごめん、本当に何でもないよ」と告げた僕は、両腕を組んで深く唸った。


「クラリスさまが言うように、しばらくはこの馬小屋に隠れていよう。だけど、それは根本的な解決にはならない。門番兵さんたちの誤解を解かない限り、僕たちは処刑されるお尋ね者のままだ」


「はい、これではカンサイさまが領主になるどころの話ではないですもんね」


 お可哀そうに、とローラさんが僕の腕にしがみついてくる。


 ローラさんなりに僕に気を遣ってくれているのだろう。


 感謝だよ、ローラさん。


「確かに身を隠しているだけでは何の解決にもなりませんね……だからといって、ここでうかつに私たちが動けば事はますます悪くなる可能性もあります。どうやら私たちが預かり知れぬところで不穏な動きをしている者がいるようですから」


 クラリスさまの言葉に、強くうなずき返したのはカーミちゃんだ。


「カントウ・ウメダなる人物じゃな?」


 カントウ・ウメダ。


 マジで僕の名前を意図的にもじったとしか思えない名前だ。


「どんな奴かはわからないけど、このカントウ・ウメダっていう人物がなぜか僕の領主の座に勝手についているってことだね」


 僕の言葉に対してローラさんが首をかしげる。


「でも、こんなことってあるんでしょうか? カンサイさまが国王陛下から正式に領主に任命されたことは、私たちが旅立つよりも前に領主代理の人や街の偉い人たちに早馬で知らせがあったはずです。こういう人が次の領主になりますよって……でも、門番さんたちは聞く耳を持たなかった」


「うむ、考えれば考えるほど今回のことはまったく解せぬ。父上の正式な委任状を見ても動じるどころか、私たちを偽物扱いするとは正気の沙汰とは思えません。もしかすると門番兵たちや領主代理、街の顔役たちにいたるまで誰かに精神魔法か催眠スキルの類をかけられているのかもしれませんね」


 クラリスさまは「あくまで憶測ですが」と答えた。


 精神魔法や催眠スキルのことは僕も知っている。


 どちらも使い手が物凄く少ない魔法やスキルの総称だ。


 とにかく地味で弱いため、修得する術者があまりいないのだという。


 かくいう僕もあまり修得したいとは思わない。


 どちらも習得にえらく時間がかかる上に発動するまでの手順も多く、しかも対象者は1名のみの短時間というあまりにも使い勝手が悪すぎるからだ。


「じゃがクラリスの推測が当たっているとすれば、そやつは相当に規格外な力を持っておるな。精神魔法か催眠スキルのどちらかは知らんが、そやつの術の対象者は数十名……いや、下手をすれば数百を超えておるかもしれんのだからな」


 僕は「う~ん」と唸って天井を見上げた。


 カーミちゃんの言うことが正しければ、まさしく「どっひゃー」な事態である。


 もしも本当にそんな大人数に精神魔法か催眠スキルをかけられる人間がいるとすれば、もはやそいつは人間とは呼べないのではないか。


 などと僕が思った直後である。


 ゾクッ、と僕の背筋に悪寒が走った。


 同時に後方――出入り口のほうから言い知れぬ恐怖を感じたのだ。


 まさか、と思った僕は顔だけを振り返らせる。


 僕は大きく目を見開いて驚愕した。


「ふふふ……ようやく見つけましたよ、ボクの勇者さま」


 そこには嬉しそうに笑う、ハルミ・マクハリの姿があった。

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