#10 阪神淡路大震災 理不尽と恩師の死

もう一か所、どうしても行きたい場所がある。

ここから一駅先に住む恩師の家。

荷は軽くなったし歩いて行くのは簡単だ。トラックが通るたびに瓦礫の粉塵が舞い上がる国道沿いの道を和子は歩き始めた。道の片側には、傾いたままの店、バルコニーが門扉の高さまで崩れた家、そのまま踏み堪えている家、すでに片付けられて家の土台と水道管だけになった場所が次々と現れ、やがてその風景に心が慣れ、揺れる事がなくなっていくとともに遠い日の師の姿と声が蘇って来た。

村田志津子先生…


「…病院に駆け付けたら、その生徒はストレッチャーで処置室に運ばれているところだったわ。救急車で睡眠薬を吐いたと言われたけど、意識はなかった。近づくと凄い音がしたの、なんだと思う?  息よ、呼吸音。その子の脳は死にたかったかもしれないけど、肺は、心臓は、体全部の細胞は生きようとして、生きるために必死に戦っていた」


 あの日の教室の蒸し暑さまで覚えている。

「もしも死にたくなったら、ずっと支えてくれた足や、片時も休まず働いてきた心臓や、この手のひらを一緒に殺すんだ、死のうとなんかしてないすべてを道連れにするんだ。って、考えてみて欲し……」

 私は気を失った。

 保健室のベッドで目が覚めると、村田先生がうちわで風を送ってくれていた。

「ちょっと暑かったなあ、ここの学校ケチやから、中々冷房入れてくれへんのよ」

 笑うと、目じりの皺がギュッと集まった。

「どうしよ? お祖母ちゃんとこにいるんやろ。連絡する? 」

「いえ、もう大丈夫ですから」


 その頃、私は父の実家に祖父母と暮らしていた。父は大阪支社の立て直しを評価され東京本社に役員待遇で栄転して行った。母は父に付いて行った。

東京という街への憧れ、役員夫人の暮らし、そして舅姑との日々からの脱出。母の決断は速く、すべてはそれありきで動き始めた。

中高一貫校でその春高校生になる私の事に母が気づいたのはその後だった。


「そやったなあ。まあ、あっちへ行ってからどっか学校探そ。どこなとあるわ」

「ええっ、学校辞めるんいやや、第一、高校の入試はどっこも終わってるやん」

「ほな、あんただけ残っとき。高校卒業するまでお祖父ちゃんとこから通たらええ。そうや、あんた変わってるからあの婆さんとも気が合うやんか」


母に残って欲しいとは思わなかった。だから、捨てられたとも思っていない。

ただ自分が、母から捨てる対象としてさえ意識されてなかった事には傷ついていた。

死を真剣に考えてはいなかったけれど、自分の存在する必要性はどこにもなく、それでも存在する肉体はただただ重く、できるなら霞のように消えたいと思っていた。

あの日、先生の話を聞いているうちに、自分の細胞が、組織が、生きて脈打っている事が突然、耐え難い強さで迫って来た。限りない細胞分裂のイメージに押しつぶされ、私は過呼吸発作を起していた。


窓のカーテンを開けながら先生が言った。

「先生のうちなあ、神戸やねん。大阪みたいな平野と違ごて北は六甲、南は須磨の海、自然が一杯や、一度遊びにおいで。あんたの心のうち、六甲に聞いてもらい」


あれから何十年たったろう。あれから何回村田先生の家を訪ねて行ったろう。学校を定年退職してから、先生は自宅の敷地に小さな教室を建て〝心に不定愁訴〟を抱えた子供たちの為の塾を開いていた。私は、先生が塾を開いたきっかけだったのかもしれない。

最後に訪ねたのは、上子の高校の入学式の日。あの日はこの道を二人でバスに乗って行った。

先生は小躍りして歓迎してくれた。

「お祖母ちゃんは東京なんやろ。ほな、私の事、神戸のお祖母ちゃんやと思って、なんかあったら… いや、なんもなくてもいつでも遊びにおいで、お母ちゃんのグチでも悪口でも内緒で聞くで」

 突然会ったおばあちゃんにそう言われても… だったのだろう。その後、上子が一人で先生を訪ねる事はなかった。


 大通りを山側に曲がると、古い大きな屋敷の並ぶ一角に入る。重厚感のある大きな瓦屋根と歳月を経て巨木に育った庭木の落とす影で、通りには夏でも涼しい風が吹いていた。

 今その姿は一変していた。古い木造建築に重い瓦屋根という建物が大きな揺れの被害を一番受けたという記事は読んでいたが、目に飛び込んで来る〝現実〟は薄っぺらい「知っている」を軽々と吹き飛ばした。

広い庭の奥で箱を斜めに押しつぶしたようになっている家。どうにか持ちこたえたが、屋根には一面のブルーシートが貼られて、その安っぽさが、古風で重厚な屋敷にひどく不釣り合いな家…

 和子の足が止まった。


 ここまで、祈るようにすがるように楽観してきた。先生は家の跡片付けをしているだろうか。いや、先生の事だから自分の家は放っておいてどこかの避難所でボランティアしているかも、だったらどうやって捜そうかしら。

 村田志津子…   平凡な名前。どこにでもいる名前。東灘区にだって何人もいるはず。新聞に載っていたのは別人に決まっている…

「だったら、早く行きなさいよ。あの角を曲がった正面でしょ」

もう一人の自分がささやく。足は… 拒否している。


ゆっくりと角を曲がる。一段と皺の増えた先生の笑顔がそこにある。きっと、きっと… 私を見つけて走って来る。

なかった。何もなかった。先生も、家も…。

気付いたら走っていた。あそこまで行って、大声出して大暴れして、この悪夢を終わらせてやる。

でも何もできなかった。走って行った真正面に『村田塾』の看板が立っていた。少しくせのある先生の字が「落ち着いて!」と笑っていた。その看板にも看板の付けられた杭にも、教え子たちの名や手紙が貼り付けられたり、直接書き込まれたりしていた。

先生は…  いない… 

ほんの少し走っただけで、ふらつく足や、顔から吹き出す汗がこの情けない肉体が今も生きている証だった。先生のおかげで… 杭に掴まるようにしてしゃがみ込むと、上から声がした。

「大丈夫ですか?」

 屋根の上、といっても崩れ落ちて2メートル程の高さの所から男性が不安げに見下ろしていた。

「大丈夫です。あの、村田先生…」

「長男です」と、彼は被っていた帽子を脱いで頭を下げた。

 慌てて立ち上がり、教え子であると名乗る。「亡くなりました」とも「亡くなられたのですか?」とも口にしたくない空白があく。


「差し支えなかったら、上がって来ませんか。そちらに回り込んだ所に教え子が廃材で階段作ってくれてますから楽に上がれますよ」

 言われた右側に回り込む。塾のあった場所は、そこだけ綺麗に片付けられ、花や缶ビールやぬいぐるみが、添えられた手紙と共に置かれてあった。

「すみません。私、信じられなくて、お供えを用意するなんて…」

「いいんですよ、雨降る事もあるし、夜になると野犬も出ますからね、毎回自転車に積んで持って帰ってるんで荷物は少ない方がありがたい」

「野犬… 」そんな所だったろうか。

「飼い主に何かあったり… まあ、無事であっても避難所には連れて入れませんからね。犬たちも可哀想といえば可哀想なんですけどね」

 話ながらも、ずっと二坪ほどの空き地から目が離せなかった。

「いつもだったら…、」屋根に並んで腰を下ろすと、前を向いたまま彼は話し始めた。


 六甲山の麓の人々には各所で〝毎朝登山会〟という習慣が根付いている。綿々と連なる六甲連山の尾根に向かう道は無数にある。一番近い道を、早朝に数十分かけて最初の見晴らし台まで登り、そこでラジオ体操をして帰って来る。というのが定番だ。もちろん先生も参加していたという。

 いつも通り参加していれば、仲間たちと一緒に山で地震に会っていたはずだった。無事であったはずだった。だがその日は、教え子の為の教材を作っていた。同居の家族を起さないように教室で一人…


 地震は母屋を襲い、母屋は小さな教室を押しつぶした。

「あそこがあったから、母屋はつぶれ切らず、僕らは外に出る事ができました」

 薄っぺらい慰めの言葉を言おうと彼を見たが、彼は前を向いたまま話を続ける。和子も黙って耳を傾けることにした。

「母を探しました。明日の朝は教材の用意をすると妻が聞いていた。でも母屋ののしかかった教室には近づくこともできなかった」


 明るくなる頃、通りかかった消防団員にここに母がいる、助けてくれと言った。

消防団員のリーダーは家を一瞥し深々と頭を下げて、まだ助かる人を助けに行かせてくれ。と言った。去っていく背中に向かって

「おばあちゃんは生きてるよお。助けてよお、お願い、行かないで!」と叫ぶ娘を抱いて止めた。

「本当は私がそう言って殴り掛かりたかったのに…」

 彼の視線が少し落ちるのを見る頃には、世界のすべてが滲んでいた。悲しいのか、寂しいのか、腹立たしいのか、悔しいのか名前さえ分からない感情にただ耐えていた。


 しばらく思い出話を聞いたり話したりしていると、心が落ち着いてきた。彼は屋根のブルーシートをはがし、瓦を外して作った穴から家に潜り込んでアルバムを引き出してきた。

 すでに貴重品はすべてここから運び出し、妻子と共に京都の妻の実家に預かってもらっているという。彼は一人残り、避難所にもなっている勤務先の学校とこの家の「警備員してます」とほほ笑む。

 被災者の留守宅を漁る輩は関東や九州から車でやって来ている。人の気配がないところは発覚が遅れるので狙われやすい。

「どうせ建て替えるんだけど、僕の育った、母の生きたこの家をこれ以上汚されたくないっていうか… 釘一本持って行かれたくなくて…」

「わかります」

「撤去も建築も、道路を塞ぐようなものや、公共の施設が優先だから、いつ順番が回って来るのやら見当もつきませんよ。車は傷だらけだけど一応動くんですよ。けどガソリンがなければただの箱ってやつです」

 彼が倒壊した家から出して来た卒業アルバムは残念ながら和子の年の物ではなかった。けれど、そこには変わらない村田先生の懐かしい笑顔があった。渡り廊下で和子の背中をゴシゴシこすりながら「出来る、生きてりゃ出来る、大丈夫!」と言って、パチンと背中を叩いた先生の声を思い出し、和子は背中をすっと伸ばした。

 現在のJRの終点、住吉駅の方が近いからと、彼は自転車を押しながら送ってくれた。ここから神戸三宮まではまだまだ不通だ。全線を電車が走るのはいつになるのだろうか。

 倒壊の甚だしい所を歩いていると、少し離れた所に賑やかな一団がいるのが見えた。すでに薄暗くなり始めた電気のない町に煌々と輝くライトを担ぐ人とマイクを掲げる音声とカメラマン。レポーターと思しき女が化粧直しをしている。

 和子が足を止めると、彼は黙って止まってくれた。


「カメラどう? ここでいいか? ヨッコちょっと立ってみて… ああっダメだ、後ろに便所が入っちゃうよ」

「やあ~だあ~」

 この一団はどこから湧いてきたのだろう。報道という名の元に車で乗り込み、あっという間に車で去っていくのだろう。電灯もガソリンもないこの町から。

 屋外のそこここに、急遽設置された電話ボックスのような形のトイレがあった。置いただけだから既にどこも悲惨な状態で、夕方のニュース映像には入れられないのだろう。そうやって、伝える事をも避けられて沢山の現実が消えていく。

「ここかなあ」

「ねえ、こっちこっち、こっちの方がつぶれてますよ」

「ほんと? ライトくれる。あっ、こっちの方がいいねえ、奥の家も派手に傾いてるし、ここだな。ヨッコこっちに立ってレポートくれる」

「ハーイ」


「そろそろ行きましょうか」

 和子の筋肉がギュッと締まる瞬間に声をかけられた。歩き始めたが言葉が出ない。

「彼らが撮りたいものと、僕らが伝えて欲しい事は中々うまく合いません。あの人たちには無事な家はいらないんです。全然めげてない被災者もね。山の上の金持ちは今、一家でハワイのホテルで暮らしてますよ。子供の学校も休みですからね。ライフラインが復活して、家の修理が済んだら帰国してきます。それも今ある事実の一つだけど、報道は僕らも驚くような、悲惨で切羽詰まっている所を見つけては伝えています。可哀想と気の毒に「でも頑張ります」を振りかけて… 本当に嘆き悲しんで泣いてるだけの映像もいらないみたいです… でももう僕はがっかりもしてません。この地域が復活するまで全国から忘れられない事が一番大切だと思ってますから」

 和子は黙ってうなずいた。今日は知らなかった事ばかりに飲み込まれてもう言葉を探す事も出来なくなっていた。


 大阪駅に戻ると、そこは異世界だった。きちんとしたスーツ姿の男たちが笑いながら歩き、ピンヒールを鳴らしてブランドファッションの女が通り過ぎる。町は明るく、賑やかで、セールのディスプレイが輝いている。ほんの数十分向こうの色も音楽も光もない世界と地続きとは信じられない。ここでは埃くさいジーパン姿でリックを背負った自分こそが異分子だった。


 阪急電車に乗り換えて、席に座り膝のリックを抱え直してため息をつく。神戸の街を見た時、戦時中はこんな風だったのかと思ったがそれは違った。戦時中は日本中何処に行っても戦争に巻き込まれた人がいた。金持ちも、形だけでもモンペや国防服を着ていた。

 今は違う、突然彼らだけが陥没して深い穴の底に落ちた。周りは平和と便利と贅沢を今まで通り享受しながら、上から穴の底を覗いている。覗くことに飽きれば立ち去る場所がある。戦争とは違う別の理不尽がある。

自分は… 非力だ。

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