#9 阪神淡路大震災 強欲と無力感

「今いる営業マン全員来い!」フロアに響く狸常務の声。上機嫌だ。

 会議室にいる時間は短かったが、出てきた営業達は一様に唖然とした顔をしていた。

 狸は周辺のレンタカー会社を回り、2台の小型トラックを調達し、その車で神戸の北にある三田市の工場まで商品を取りに行けと言ったらしい。

「昼間はあかんで、まわりの工場に見られるさかいな。お前らかて、得意先の事ほおってはいかれへんやろしな。仕事終わりでええねんから、替わりばんこに行って、夜中走った翌日はちょっと位、遅刻してもかまへんからな」

 よく分からないが、とんでもない話になっているようだ。事務方の女子全員で、昨春入社したばかりの新人君を取り囲んだ。

「なになに? トラックなんてプロしか運転できないんちゃうん?」

「普通免許でOKの小型トラックだそうです」

「だって 国道まだ一般車通行止でしょ」

 大阪と神戸を結ぶ湾岸道路(国道2号線)だけでなく、宝塚と西宮を結ぶ幹線道路も通行止が多く、通れても渋滞がすさまじいはずだった。

「だから… 裏道通って行けって…」

「裏道ってどこよ? まさか蓬莱峡!」

「うっそぉ! あっこ崖道やで! 夜なんて路線バスでも通らへん」 


 蓬莱峡は、宝塚温泉と有馬温泉を結ぶ旧有馬街道の難所であり、中国の蓬莱山になぞらえられる切り立った白い山の続く景勝の地でもあるのだが、夜中に慣れない車で、しかも帰りにはかなりの重量の荷物を積んでとなると… 

これは悪魔の思いつきとしか言いようがない。

「そんなん、引き受けたん?」

「だって… 僕らも商品は欲しいですし…」

 そうだ、営業マンは担当先から、「商品寄こせ」と連日責められ、滋賀や和歌山まで行っては、小売店のケース在庫を返品と言う形で分けてもらって来ては担当先へ運んでいる。

 そんな苦労をして集めてきた商品を狸ときたら、営業マンが返品と出荷の伝票処理を依頼している隙に、平然と自分の車に積み替えて懇意の問屋に運んでしまう。

常務だから伝票は後処理だと言って…

そんな狸の身勝手で危険な提案を、それでも呑まずにはいられない。その位営業マンたちは追い詰められていた。


「死にますよっ! 責任取れるんですかっ! 」

 疲労とストレスでボンヤリしていた和子の意識を一気に覚醒させるような大声が響いたのは、そんな強硬策が始まって一週間程過ぎた頃だったろうか。その日は午後に降りだした雨が次第に本降りになって来ていた。声の主は、上田営業課長。細君が服飾デザイナーのせいか、いつも小ざっぱりした格好をしていて穏やかだが勤労意欲が低く、半眼でボンヤリとコーヒーを飲んでいる様からボージーとあだ名されていた。

その彼が大声を出して狸常務にくってかかっている。

 仕事してる振りしながら、全員注目! である。


「無理が続いてみんな疲れてます。真っ暗な山道を走るだけでも危険なのに、今日は雨が降っている。絶対に無理です!」

「ほんなこと言うたって… 得意先も… 工場も待っとるがな 」

「まだ、いつ大きな余震があるか分からないんですよ。万一事故したら、常務責任取れるんですか!」

「いや、わしはそんな…」 

「常務が雨でも行けと言った事、ここにいる全員が知ってますよ!」


 一番隅っこの総務部デスクで和子も大きくうなずいた。

「ざけんな狸! お前が行けっ!」と心の中で叫びながら。

 結局、この時は珍しく狸が折れた。このままいけば上田課長はヒーローになるはずだったが、彼の男気が見えたのはこの時限りで、再び自分の担当営業先からのクレームの電話でさえ、ヒラが応答している間に姿を消すボージーに戻り、営業事務を怒らせている。


 とことんなくなってしまったカイロだが事務所には商品にならない半端物があった。印刷ずれ、カットミス等、社外には出せないが、機能的にはちゃんと温まるものが、工場から事務所に社内使用限定分として送られて来るのだ。

それらを和子は営業事務の課長に頼み込んで分けてもらい、リックと二つのバッグに詰め込んで、休日に神戸に向かった。

自宅近くを走る阪急神戸線は途中の鉄橋が落下して未だ復旧作業中の為、直接神戸に入るルートは使えない。折り返し運転をしている阪急神戸線を逆方向の梅田へ向かい、ようやく開通したJR大阪駅から神戸に向かうルートを取る。

目的地は上子の高校のある神戸市東灘区。駅は摂津本山。


大阪を出てしばらくは何の変哲もなかった車窓の風景が、急激に変化を見せ始める。屋根のブルーシートが増えていく。線路沿いの坂道に、よく似た三軒の建売がドミノのように坂の下側の住宅に向かって傾いている。地震から日がたっているが、一番坂上の家も片付けは始まっていないようで、これでは一応住宅の体を保っている一番坂下の家も、もはや住む事はできないだろう。

大阪の自宅近くでは垂れ下がるだけだった電線も電柱ごと住宅のガレージに倒れかかり、壊れたガレージの屋根の下からつぶれた車のヘッドライトが覗いている。遠くに目をやれば、土砂崩れだろうか緑豊かな六甲山系にところどころ土の色がクレヨンで書きなぐったように見える。あり得ない数のクレーンが並んでいる場所は鉄道か道路の復旧工事だろう。


降りた駅は柱が損傷しているので、直径一センチ程の細い鉄棒が垂直に斜めに何本も何本も、何かのオブジェのように屋根を支えていて、くぐったり跨いだりしなければ先には進めない。半壊した駅舎を見ながら改札を抜けると足元は瓦礫。道を塞ぐような大きなものだけが取り除かれたきりのようだ。駅前のパチンコ屋は落ちた天井がパチンコ機に支えられてその高さで止まっている。地震が早朝でなかったら被害は何倍にもなっていたのだろうと改めて思う。

ここから海側に向かい国道を渡れば上子の学校である。現在は自衛隊の拠点と避難所になっているという上子の学校を目指し、いつもならタクシーを使う距離を歩く。

既に聞いていた事だったが、実際に国道の上下線を大型トラックだけがびっしりと連なって走っている光景を見ると、見知らぬ世界に来たように感じられる。

国道から直角に海側に向かって伸びていた商店街はアーケードが落下していた。瓦礫は片付いていたが重機が間に合わないのだろう大きな骨組みが倒れた恐竜のように横たわったままだ。


学校に着く。校門から講堂までの道の両側には自衛隊の車が何台もあり、大型テントを組み立てたシャワー施設も設置されていた。そのさらに左奥に見える体育館。あと数週間で上子たちの卒業式が行われるはずだったその体育館は、今遺体安置所となっていて、扉は固く閉ざされている。

道の右奥は第一運動場とテニスコート。避難してきて、そのまま車中で暮らす人の車で一杯だ。

校舎の裏の高台にある第二運動場では僧籍を持つ教諭が手作りの護摩壇を設置して、確認、引取りが進まず葬送もままならぬ多くの仏の慰霊の読経を行った事がニュースでも報じられていた。


正面の講堂の前に机を並べた受付がある。この講堂にも多くの被災者が暮らしている。数年前の春、上子の入学式はここで行われた。

受付でカイロの寄贈を申し出て持って来たものを提出する。持てる限りを全力で運んできたのだけれど、並べるとそれはあまりにも僅かで、あるのはスプーン一杯の水で海を薄めようとしたような気恥ずかしさと無力感ばかり、和子は急いでその場を立ち去った。


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