#7 梅ノ木化学の三悪人(ラスボス)

 そして、ラスボスは狸常務。この狸のエピソードには事欠かない。ありすぎて困る。社用車の個人使用はもちろん接待交際費での個人飲食代請求、出張は社用車で行って新幹線代で請求、部下の実家に泊まって食費宿泊費請求… 工場の風呂に入って帰る事もある。

ついたあだ名が〝会社の扶養家族〟 もちろん生真面目な泥鰌総務部長とは不倶戴天の宿敵である。


 狸常務の強みは人脈、問屋や仕入先のエライさんとは軒並み懇意で社長よりはるかに顔が効く。そりゃあ、会社の交際費ほとんど一人で使っているんだからそうでなければ困るのだが。

 カイロが飛ぶように売れる年は自分の手柄で大威張り、売れない年は去年と同じだけ売ってこない営業マンの責任。

「あんなもの、狸が売ってんじゃないわっ、天気が売ってんだ」と泥鰌部長も新任のオヤマ専務も言っておりました。


 この狸、バツなしの独身。社長に次ぐ高給取りにもかかわらず、自宅光熱費以外は全部会社の費用と言われる程の寄生っぷりゆえに、〝自宅の畳をめくったら札束が敷き詰めてある〟〝押入れの床板を外すと金の延べ棒がある〟という都市伝説には事欠かない。

 前社長の肝いりで見合をした事もあったが、「中々美人だしいい人だ」と言っていたにもかかわらず、数回会って断ったという。その理由というのが「顔見てるうちにわしが働いた金、なんでこいつに当たり前みたいに使われなあかんねん。と思ったらすっかり嫌になった」というからケチも筋金入りだ。


 総じて相手の立場に立てない人間というのは冠婚葬祭の場での振舞いが人の噂になるもので、殊に葬儀の際にそれは際立つ。人は幸せな時より哀しみの時に言われた無神経な言葉を忘れないからだ。

 狸常務は他部署の人間や営業の平社員の身内の葬儀には行かない。香典を包みたくないからだ。だが、営業の課長の親の葬儀となればそうはいかない。そんな時に行くのは決まって通夜。もちろん、通夜振舞いが目当てだ。香典を包めば当然香典返しはあるが、それだけでは損、元はとれないという訳だ。

 会田営業課長の父親の通夜では、通夜の料理が悪い、酒が少ないと課長を呼びつけて言いつのった。課長は次男で、喪主ではなかったからどうにもできず、親との最後の夜は最悪なものとなった。

 上田営業課長のところでは、今度は喪主を務めていた課長を呼び出し仕事のダメだしを始めたという、母親を亡くし、喪主としての仕事もある中、課長の心中いかばかりであったか。 


 そんな話も、和子にとってはただの興味深い噂話の一つに過ぎなかった。東京にいる父親の死を迎えるまでは…

 父親が余命宣告された時点で和子は上司である泥鰌部長に事情を話し万一の場合、何度も行き来は難しいだろうから、まとめて休んでもいいとの了承を得ていた。話は部長から社長にも届き、社長からも「全部片付いてから戻ってきたらいい」と言われていた。

 父親は計ったように子供たちの春休み初日に旅立った。仕事をしていた業界ではそれなりに名の知れた人間で、弟子を名乗る人も全国にいたから葬儀が終わってからも弔問が続き、香典返しなどの始末も大変で、どうにか目鼻を付けて戻った時には十日ばかり過ぎていた。社内の誰もが悔やみの言葉をかけて来る中、顔を合わせた狸の第一声は

「ああ、やっと戻ったんかいな。でいつまで休んでんねん」

 だった、〝死んだくらいで〟… 

言おうとしていた休み中のお詫びの言葉は瞬殺で引っ込み、和子は無言でその場を離れた。


「あんたにはなんの迷惑もかけてないわっ! 上司も社長もそれでいいと言ったんだから!」

「私の父親はあんたごときに、死んだくらいと言われるような人間じゃあないっ! あんたが死んだら私絶対そう言ってやる…」

「とっとと 死…」

 ロッカーで怒りをぶつけながらも和子は「死ねっ!」という言葉を飲み込んだ。

 祖母の言葉が聞こえたから。

「ええか、〝人を呪わば穴二つ〟といってな、人に悪い事が起こるように願えば、それがかなった時、自分にも同じような事が起こるんや。だから、〝死ね〟と呪う時には、相手の墓穴と自分の墓穴を掘る覚悟でせなあかんゆうことや」

そして祖母はニヤッと笑って言った。

「その覚悟があるんやったら。〝死ねっ〟ってゆうてもええねんで」


 ドサッと椅子に座り込んで、和子は天井に向かって祖母に答えた。

「いやあ、ばあちゃん。私、あいつと刺し違えるのはイヤヤ」

 最後に和子は

「狸! いっくらお金貯めたって、あんたにそれ絶対使わせへんからな! 」

と言った。確かに言った。その呪いは長いこと宙を彷徨って、和子も忘れた頃に狸を直撃する。


 八年後の運命の日、取引先を訪れた狸は昼飯をたかって腹一杯で路駐していた車に戻る途中の道端に脳溢血で倒れた。救急車で運ばれた時既に意識はなく。昼飯をたかろうと財布を車に〝忘れて〟いた為、身元を確認できるものは何一つ持っていなかった。百年生きても余る程の金を貯め込んだ狸は、身元不詳の行倒れ〝行旅不明人〟として息を引き取った。 


 車のキーは持っていたが隠れるように駐車していた車は発見されず、ポケットに入っていたテレフォンカードを唯一の手掛かりとして本社に警察から電話があった。それは社長がホールインワン記念に内外に配ったテレカだった。泥鰌の後を継いで総務部長になっていたナマコ課長が警察に赴いたというが、そこで既に退職していた狸の死に顔を見たナマコの驚きはいかばかりであったか、おしゃべりの彼もそれについては多くを語ろうとしないらしい。

 結局、非常識と非道を重ねて作った狸の資産は、何十年も絶交していた大嫌いな姉のフトコロに転がり込んだ。因果応報というべきか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る