#2 会社概要 その1


 梅ノ木化学の本社ビルは、当時あちこちで見られた鉛筆を立てたような細長い、

いわゆるペンシルビルだが、5階建ての為、ちびた鉛筆の様な感じである。

 後に起こる大震災の際、あちらでもこちらでも 鉛筆ビルのほぼ5,6階部分から

ポキポキと折れた事を考えると、偶然とはいえ、この低さは思わぬ幸運ではあった。


 5階は、フリースペース。入社式や新年の挨拶等で全社員が集まったり、講師を招いての新人マナー研修の場ともなる。

 シーズン最盛期には、倉庫に収まりきらない製品を積み上げる事もあり、暖冬の時には返品置き場になる。

 泥鰌ドジョウが会社宛てに来る歳暮中元を誰かが勝手に持ち帰らないように

この階の奥に隠して隠して…… 忘れてしまい……

 ある日突然思い出し、事態の収拾に賞味期限を数年過ぎた大量の缶ビールや缶ジュースを社員に「缶は保存がきくから缶なんや! 味は落ちとるかしれんが毒に変わる訳はない」と言って配った事もあった。

 

 確かに毒ではなかったらしい… だが缶ジュースはワインにはならず 何故か気の抜けたビールは鉄味がトッピングされたこの世ならぬ液体になっていた。と勇気ある社員から聞いた。


 年二回、和子はここ5階に丸一日缶詰めになった。総務全員で、といっても三名だが、ボーナスの準備をするのだ。

 三億円事件以来、ほぼすべての会社に給与振込の制度が広まり、梅ノ木化学も例外ではなかったのだが。

「こんなペラッペラの賞与に有難味も感謝もない!」という元社長の鶴の一声でボーナスに限り、現金支給に戻ったのだ。

 おかげで総務は銀行から5階に運び込まれた現金を一日かけて数え続けるはめに、工場も併せてほぼ百人分、二人が二度ずつ数えたものを泥鰌がもう一度数えてから賞与袋に納めて厳封する。

その間、階下に降りる事は許されず、5階のトイレに立つ時も宣言が必要となる。

なんだかんだ言って泥鰌は生真面目なのだ。


4階は、社長室と大会議室に簡単な応接コーナー。和子の面接もこの応接コーナーで行われた。だが、現社長はここではなく3階に急ごしらえでパーテーションされた部屋にいる。


現会長、社長のお父ちゃんが社長室から出て行かないからだ。

清掃に関しては業者が入っているが、それ以外の〝会長室〟のお世話は総務の仕事だ。来客のお茶出しは当然のこと、正月にはそれがお屠蘇と三方に三種のつまみ?(黒豆、のしいか、昆布巻き)にエスカレートする。多数の会社を年始回りする為、車で来ている人が多いのに客にも和子にも実に迷惑な話だ。

他にも正月には、初荷を届けてきたトラック運転手にはお年玉を渡し、拒否感満々の営業マンに営業車の正面にしめ飾りを付けさせる。鏡開きにはカピカピにひび割れた鏡餅を社内各所から集め、前日から仕込んだ小豆でぜんざいを作って全社員に振る舞う。ここには昭和前期がまだ生きている。全部総務の仕事だ。


さらに、給湯室の冷蔵庫で育てている? 会長の酢卵の世話。「洗った卵をそのまま酢につけて、静かに数日保存する。やがて殻が溶けて卵がボールのように丸くなる。そうなったらすぐそのまま持って来なさい。切らさないように作っておくこと」という会長命令なのだ。


会長がこの部屋を離れない最大の理由は、デスクの真正面の壁上方にある特注のはめ込みの神棚にある。

これはでかい。棺桶を壁に埋め込んだより一回り大きい。

祀られているのは伏見稲荷大明神。

ここに月二回、洗い米と清めの水と塩、近所の八百屋がセットして持ってくる野菜果物乾物一対と栓を抜いた清酒二升をお供えする。

取り換えて出たおさがりは女性陣がくじ引きでもらって帰り、清酒は酒に目のない会長の専属運転手の熊さんにそっと渡す。

このお供えの作法が中々厄介。会長不在の時は端折ってしまえば… とも思うが、このスケールで迫られると たたられそうで ちょっとないがしろにはできない。


この巨大で重量感もある神棚が、後の阪神大震災で木枠ごと壁を飛び出して宙を飛んだ。  のは見ていないが、着地に失敗したその写真は何枚も見た。

会長はこの出来事ですっかり意気消沈して、余震が続くこともあり、それ以降ほとんど会社に現れなくなった。


お話戻って、そういういきさつで3階が社長室と社長応接兼役員会議室になった為に、この階に入るはずだった専務、常務と顧問という名の会長の碁がたきが押し出されて2階に降りて来てしまった。 

2階は、営業部と総務部がフロアを8対2程で分けている。それぞれに付随する営業事務とコンピューター室も同じフロア。付け加えると、生産部は別の場所の工場内にある。


和子が出社して始めて2階に足を踏み入れた時、まず、フロアにある大小の鉢植えの数に圧倒された。これは社長の親戚が造園業をしているからだと後に知るのだが、会社規模に見合わぬほどの数の鉢のレンタル料と梅田や新大阪の一流企業よりはるかに巨大な門松は親戚相互扶助という会社私物化の象徴と言えた。


エレベーター前にあるカウンターの向こう側には8人ほどの営業事務の女子と彼女たちを統括するぽってり太っているが妙に脂ぎっていないコアラのような親父、もとい、課長がいる。

そこから右奥に向かって 空の机群が二つの島をなす。営業部だ。会社にいたら何を言われるか分からないから、ほぼ全員不在。だからといって全員仕事している訳でもないのはおいおい分かって来る。ポケベル導入前夜の短い営業天国期である。

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