11 可憐なる花鳥風月 その一

「……○×△※@!!」


 激痛で目が覚めた。

 だが、これでもかなりマシになったほうだ。

 これが子供の回復力だろうか。痛みを感じても悶えることはなくなった。

 それに、その痛みと同時に、温かな安らぎを感じ取れる。

 ……って!


「えっ? ちょっ、と……」


 大声が出そうになったが、その瞬間に痛みが走り、相手が眠っていることに気付いて声をひそめる。

 オベリアに抱き付かれていた。

 ということは、逆側に感じる熱は貴猫姫さまだろう。

 この予備部屋はいざという時の避難場所にと考えていたので、ベッドなんてものは無い。だから、フローリングの床に直敷きした布団で、三人並んで寝ていた。

 ……いや、問答無用で寝させられていた。


 それだけではない。

 まともに動けない私は、食事、トイレ、風呂を含む一切合切の世話を、二人にされてしまった。

 さすがに風呂は遠慮……というか、思いっきり嫌がったのだが、それが却ってやる気を呼び起こしたのか、張り切られてしまった。

 その結果、抵抗しても激痛が走るだけで無駄だと覚り、脱力してされるがままになっていたほうが遥かにマシだと学習した。


 それはまあ、オベリアからすると、私は命の恩人ってことだから懐かれるのは分かるし、世話を焼いてくれるのは助かるのだが……

 今の私──ユキリアとは、昨日が初対面のはずなのに、ここまで親しくできるものなのかと戸惑ってしまう。まあ、警戒されて、よそよそしくされても困るが。

 ちなみに、貴猫姫さまは、単に面白がっているだけのようだ。


 ともかく……

 今日も人形のような状態で過ごさなければならないのかと思うと憂鬱になる。


『スティーリア、ちょっといいか?』

『ユキちゃん、どうしたにゃ?』

『……ユキ……ちゃん?』

『そうにゃ。その姿にゃのにリットくんは変にゃ。だから、ユキちゃんにゃ』


 拡張視界ビジョンに現れたスティーリアを見つめ、しばらく考え込んでから小さく溜息を吐く。

 それはそうだ。今の私はユークリットではなくユキリアだ。


『……わかった、それでいい。あー、だったら私も、ミズネコと呼んだほうがいいのか?』

『どっちでもいいにゃ。ユキちゃんの好きにするにゃ』

『そう言われると悩むな……。でもまあ、今まで通り呼び分けさせてもらうよ』

『わかったにゃ。それと、せっかく可愛い姿にゃんだから、口調も可愛く変えるのをお勧めするにゃ』

『無理を言うな。……いや、でも丁寧な言葉遣いは必要だな』

『そうにゃ。練習にゃら、いくらでも付き合ってあげるにゃ』

『では、よろしくお願いします』


 それを聞いたスティーリアは、何とも微妙そうな表情を浮かべる。


『もっと幼い感じのほうがいいかもにゃ。えっと……あまりにも利発すぎる? ……にゃ』

『なかなか難しいな。まあ、それは後々の課題ということで。それよりスティーリア、私の姿をもう一度変えて、この筋肉痛をどうにかできないか?』

『それは、昨日も貴猫姫さまが反対してたにゃ。身体は痛みを乗り越えて鍛えられるにゃ。変身したら無かったことににゃるにゃ』

『それは、そうなんだが、せめて少しは動けるようになっておかないと……』

『また、おもちゃにされるにゃ?』

『……言い方が悪いが、そういうことだ』

『諦めるにゃ。親睦を深めると思って、おもちゃになってあげるにゃ』


 何か言い返そうと思ったが、言葉が出てこない。

 スティーリアの言いたい事も分かる。

 これから私は、この身体で生きていくしかない。もし前の身体のように強くなりたければ、そうなるように地道に鍛えていくしかない。


『まあ……気が進まないが仕方がない。……だが、全く戦えないというのは困る』

『その身体で、あれだけ戦えたら十分にゃ』

『剣技は使えないし、アルケミーシードもいまいち役に立つのか分からないし……。そういえば、もうひとつ何かの力があるって言ってなかったか?』

『ヴァンパイアシードにゃ?』

『それは、役に立ちそうか?』

『使い方次第にゃ。その姿ににゃったのは、ヴァンパイアシードと契約して真祖──トゥルーヴァンパイアににゃったからにゃ』


 ヴァンパイアシードは、古代文明遺物エルゼノスパーツと呼ばれるもので、シードシリーズと呼ばれる物のひとつらしい。

 ヴァンパイアシードと契約を交わした所有者は真祖吸血鬼トゥルーヴァンパイアになり、変身能力を得る。

 私は、その変身能力で、この少女の姿になっているらしい。


 真祖吸血鬼トゥルーヴァンパイアの能力は、噛むことで相手を隷属させる眷属支配。

 相手の血を変質させ、操ることができる。

 その時、眷属も新たな姿を得るという……


『もし、刺客を眷属にして従わせられるなら強力な能力だけど、そう上手くはいかないだろうな……』

『これも、やってみないと分からないにゃ』


 アルケミーシードも、事故とはいえミズネコを生み出したのだから、すごい能力を秘めているのだろう。

 ヴァンパイアシードにしても、現に私を変身させているのだから、それだけでもすごい能力だと分かる。

 ただやはり、女の子の姿に限定されていたことが心に引っ掛かり、どうにも素直にすごいと評価ができない。


『結局は、使いこなせてないだけなんだろうな……』

『ん~、分からにゃいけど、大昔のなりきりセットにゃのかもにゃ。ユキちゃん、全くヴァンパイアっぽくないにゃ』

『言われてみれば、そうだな。太陽光は浴びてないから分からないが、味覚は変わってないし、牙も伸びてないよな』


 舌で犬歯をなぞってみるけど、伸びたり鋭くなっている感じはしない。ごく普通の犬歯のままだ。


『もし次の刺客が現れたら、噛んで実験だな。……あんまり気が進まないが』


 ……って、ちょっ!!


「いたっ! いたい……」


 思わず声を上げる。

 もぞもぞと動いたオベリアが、いきなりギューっと抱き付いて来たのだ。


「リットさん、どこにもいかないで……」


 どんな夢を見ているのか……

 その言葉が、心にズシリと響く。

 けど、それどころではない。


「ミズネコ、助け……」

「ん~、仕方ないにゃあ」


 どこからともなく白猫が現れ、その姿を崩して広がり、私の身体を包み込んだ。

 と同時に、私にかかっていた圧力が弱まり、いくらか痛みがマシになる。

 これまでも、こうやって護ってくれていたのだろう。

 なのに、何も知らず、ずっと悪霊呼ばわりしていたわけだ。


「ありがとう、ミズネコ。助かったよ」

「どういたしましてにゃ」


 ちなみにこの日も、お人形よろしく、されるがままの状態で一日を過ごした。


     ───◇◆◇───


 オベリアの暗殺を企んだ者が消えるまで、安心はできない。

 そう思っていたのに、すでに貴猫姫さまが制裁を加えたという。

 とはいえ、本当に安全になったとは限らないので、まだしばらくは潜伏生活を続ける必要があるのだが……

 ここにきて、大きな問題が持ち上がった。


 この予備部屋は、長期潜伏の備えをしていない。

 なのに三人もいるので、いろいろなモノが不足してきた。


「そんなわけで、買い物をしないと厳しいのですが……二人が外を歩けば大騒ぎになりますよね? かといって、私一人では危険ですし」


 片や行方不明の第一王女さま、片や行方不明の貴猫姫さま。

 となれば、私が出るしかないが……

 それにはいろいろと問題があった。


 姿と名前を偽っているので、猫神通貨クレジットは使わないほうがいいだろう。それに六歳ぐらいの女の子が一人で買い物をすれば怪しまれる。服も相変わらず、男物を利用している。

 つまり、買い物に行ける者がいない。


「それなら宅配してもらえば良かろう」

「それにも、いろいろと問題がありまして……」

「なるほどのう。じゃが、ユキリアの懸念は杞憂じゃよ。ほれ、自分の個人情報パーソナルデータを確認するが良い」


 なぜか、貴猫姫さまは、納得したようにうなずいた。


 支援妖精スティーリアに宅配の手配をしてもらうにしても、まず間違いなく名前がバレる。

 死んだ人間の名前で注文が入れば、大騒ぎになるだろう。

 姿を変え、名を偽ったとしても、個人情報パーソナルデータは誤魔化せない。

 だが、貴猫姫さまが言うのであればと、確認してみる。


『スティーリア、パーソナルデータ、オープン』


   名前 :ユキリア・アデラード

   性別 :女

   出身 :ミレネー郡ルシル

   誕生日:不明(聖暦八四七年頃と推測される)

   現住所:ミレネー郡ルシル南地区

       ルシルフォーリア別館 狂騒の山猫荘二〇二号室

   備考 :孤児

       ジョン・アデラードの養子


「これは……?」

「よくできておるじゃろう?」

「そうですけど、ジョン・アデラードって誰?」

「実在の人物じゃ。この地に来て数年で亡くなってしもうたがな。慈善活動家として知られた人物じゃから、誰も疑いはせぬよ」

「もしかして、猫神通貨クレジットも……?」

「もちろん、ユキリアとして使えるから安心せい」

「でも、この金額は……?」

「諸々の褒美じゃよ。心配せずとも合法じゃから、安心して受け取るが良い」


 安心しろと言われても……

 あまり無駄遣いはしないので、最後に確認した残金は五万クレジットほど。

 この部屋の家賃にして二年分だ。それが……

 その約五倍……二十五万クレジットになっているのを見て、私は恐怖した。

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