10 【挿話】じゃから余はルシルを目指した

「姫様、そろそろ起きて下さい。時間に遅れますよ?」

「ん~、むにゃむにゃ……、もう少しぐらい構わぬ……じゃろ?」

「いいえ。もうギリギリです。……なので、失礼します」

 

 今日も無理やり座らされ、起こされてしもうた。

 黒髪黒目の風猫人族フェルミアが着替えを用意してくれているのを、しばしボーっと眺める。

 

「ふわ~……。ルゥリアよ、相変わらず容赦ないのう」

「姫様が起きて下さらないからです。これでも優しく起こしているのですよ?」

 

 お湯を絞ったタオルを渡され、今日もまた貴猫姫としての一日が始まる。

 ポフッと顔に乗せ、温かさが心地よさに変わるのを待って、軽く拭う。

 タオルを返すと、徐々に蒸気と共に熱が飛び、肌が冷えていくにつれて脳が覚醒していく。

 

「また一日が始まってしもうたな……」

「今朝は賢録院から、老朽化した橋のことで使者が来る予定です。それまでに朝のお勤めを終わらせてください」

「金の工面に使いっ走りを寄越してくるのじゃから、余も軽く見られたものよな」

「歓待するのが面倒だからって、使いで済ませるようにしたのは姫様ですよ?」


 国の重鎮が来るとなれば、料理だ酒だともてなさなければならぬ。その上、あれやこれやと要求されるのだから、たまったものではない。

 じゃが、手土産もなしに、文の一枚だけで要求されるのも気に食わぬ。

 実際、文に書かれた金額は、一本の橋を架け替えるにしては過剰なものじゃった。このうちのいくらかは、その者の懐に収まるのであろう。

 架け替えるのであれば、いくらかまとめて行えば効率も良いし安上がりになるというのに、わざわざ一本ずつということに悪意を感じる。


 昔は違った。

 王が自ら足を運び、あれやこれやと夢を語り、どこぞで変わったものを手に入れたからと共に食い、共に呑み、ならばとこちらも力を貸す……

 そのような、楽しい時代が、かつてはあったのだ。

 

     ───◇◆◇───

 

 余があの子に会うたのは、あの子が生まれて季節が変わった頃じゃろうか。

 既に母は亡く、乳母に連れられて、わざわざ猫神屋敷にやってきた。

 どうにも体調を崩しやすくて心配だという。

 どれどれと様子を見てみると、そのアップリーナと名付けられた赤子は、ひと目で分かるほどの強い力を秘めておった。

 自在に扱えれば恩恵じゃが、過剰な力は身を蝕む。

 力を封じることも考えたが、抑圧すれば必ず反動が表れる。そう考え、あえて力のことは伏せ、人一倍用心するようにと帰した。


 その後に、アップリーナの母である王妃ライネッタが、発表されているような病死ではなかったと知る。同時に、アクリエル公爵による謀殺だという確証を得た。

 ライネッタはメルク公爵家の娘。アクリエル公爵家とはライバル関係にある。

 先んじて王妃の座を得たライネッタに、妬心を燃え上がらせたのじゃろう。

 ライネッタが二人の王子に続いて王女を生み、王妃としての義務を十分に果たしたことが、アクリエル公爵の暴発を招いたようだ。


 北の都と呼ばれているアクリエッタを治めるアクリエル公爵家には、以前より黒い噂が付きまとっておった。

 そのことで何度か王に忠告してやったが、残念なことに全く効果がなかった。

 それどころか、アクリエル公爵の娘が新たな王妃になったという話を聞いた。

 後ろ暗く思いよったのか、王め、報告すら寄越しよらなんだ。


 再びアップリーナと会うたのは、三歳ぐらいの頃じゃろうか。

 子守りが飛び込んできて、王女を救ってくれと懇願しおった。

 なんでも、高熱が続いて下がらず、このままでは体力が持たないと主治医も困っておるという。

 本来ならば関わるべきではないのじゃろうが、このまま死なせてしまうのも不憫じゃし、せめて物事の判別が付く六歳までは生き長らえさせてやりたいと思うた。

 それと同時に、王国がアップリーナをどう扱うかで、今後の関わり合い方を熟考しようも決めた。

 じゃから、こっそり会いに出かけて過剰な霊力マナを抜いてやり、なるだけ身体に負担をかけぬ方法で熱を下げてやった。

 その後、王に直接会うてその事を伝えたら、どう受け取ったのかアップリーナが六歳を迎え途端、王都から追い払いおった。


 とはいえ、田舎で療養という考えは悪くはない。

 そう思っておったら、全てはあの女狐の差し金じゃと後に知った。

 しかも、何度となく事故を装って殺害しようと企てておったことも。

 それに気付かなんだ余も間抜けじゃが、これで心は定まった。

 さらに、女狐が王女を暗殺しようと、刺客を放ったことが判明し……


「メイグストよ。この国は病んでおる。人々の幸福をもたらすと掲げた理念は地に落ちた。……それを認め、立て直すと約束したのではなかったか?」


 直接王宮へと乗り込み、王家との決別を宣言してやった。


「姫様、本当にこれでよろしかったのですか?」

「ルゥリアよ、余はグースの地を統べる者じゃぞ。これまでは王国という仕組みがこの地に恵みをもたらすと思うて協力してやったが、欲に溺れて私物化し、堕落しきって害にしかならぬというのなら、王国など滅んだところで一向に構わぬよ」

「そう姫様が決断されたのでしたら、私から申すことはありません」

「……なんじゃ? 怒っておるのか?」

「いえ、怒るだなんて滅相もございません。ただ、姫様ならば、愚か者ども一掃してより良い王国を築き上げることもできたのではと思いまして……」

「それでは意味がないのじゃよ。全てのことを余が解決しておったら、奴らは頼ることしか考えられぬ屍となり果てる。今代の王は暢気が過ぎるので、見かねてあれこれと口を挟んでしもうたが……。自浄作用が期待できぬ以上、これ以上手を貸すことは出来ぬよ」


 グーネリア王国が滅んで困るのは、玲人族ヒュメアぐらいのものだ。

 他の種族や獣人たちは、国が滅んでも不便を感じる程度じゃろう。

 じゃから、国の運営は玲人族ヒュメアが熱心に行っておった。その他種族の無関心が、自浄作用を失わせた一因やも知れぬが……


 余が見限ったことで王国は、余の融資や猫人族ミャオウの協力が得られぬようになった。

 あえて公表を控えたのは、再び自浄作用が戻ることを期待してのことじゃが、余程の改革を断行せねば厳しいと思われる。

 遠からずこの件が他種族に広まり、玲人族ヒュメアの評判は地に堕ちて、排斥の動きが出てくるじゃろう。

 もっとも、良い玲人族ヒュメアもいると知られた今なら、惨劇にはならぬと思うが……


「姫様は、このグースの地をどのように導かれるつもりでしょうか?」

「余は何も導かぬよ。余が願うのはグースの安寧。皆が幸せに暮らせる地となるよう尽くすのみじゃよ」


 それは、時代が移り変わっても変わらぬ、歴代の貴猫姫が担う役目だった。


     ───◇◆◇───


 アップリーナの動向は、ルゥリアを通じて配下に探ってもらっておった。

 貴猫姫という立場上、特定の個人に深く肩入れをするわけにいかず、定期報告という形にしてあったのじゃが、そのせいで刺客の件に気付くのが遅れた。


 強大な光明の力を秘めたアップリーナが無事に成長を果たせば、さぞかし立派な人物になるであろうと期待しておった。じゃが、その確率はかなり低いとも感じておった。

 じゃから、年々成長し、身体も丈夫になっていく報告を聞くのは、つまらぬ毎日を過ごす余の楽しみであった。

 いつ死んでもおかしくなかった者が、それを乗り越えて、間もなく成人(十六歳)を迎える。だというのに、あの女狐はいらぬ横槍を入れおった。


 ルゥリアと共に王都を出ると、真っ先に王女のもとへと向かった。

 かように全力で野山を駆けまわったのは、いつ以来じゃろうか。

 獲物を狩り、それを捌き、調理して喰らう。

 そのような当たり前のことが、解き放たれた解放感と相まって快感となる。

 たった数日ながらも幾分か野生を取り戻し、ようやくアップリーナのいるルシルにたどり着いた。


「姫様、お急ぎください。どうやら新たな刺客が現れたようです」

「構わぬ。配下の者に対処させよ」

「かしこまりました」


 この決断が遅ければ、手遅れになっておったじゃろう。

 到着した時には、すでに戦闘は終わっていた。

 

 刺客たちはまだ息があったが、生かしておく理由はない。むしろ、生かしておけば後々の災厄となるじゃろう。

 どうせならと見せしめも兼ねて、かなりの惨殺現場に仕上げておいた。

 その後は…………


 ユキリアなる者の正体を知っておるが、それを吹聴する気はさらさらない。

 アップリーナと生きて会えたのは、この者の働きがあればこそ。

 じゃから、貴猫姫だからこそ行使できる恩恵を、惜しみなく与えることにした。

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