09 新たなる未来に向かって その四

 ここで、時は数日前に遡る。


 グーネリア王国の王宮といえば、人族ヒュム獣人族フィブリスの絆と称される『フィブリアナ宮殿』だが……

 そこへ、何の前触れも先触れも無しに、珍客が現れた。

 この異常事態に、王宮は大変な騒ぎになった。


「この様な場所まで、わざわざ足をお運びいただかなくとも、お命じ下さればこちらから参上いたしますのに。それで、今回はどのようなご用件でしょうか?」


 玉座を風猫人族フェルミアの女性に譲り、その前で国王メイグストがヒザを折る。

 その横に現王妃(第二王妃)であるミディアが控える。


「言わねば分からぬか? 余は再三に渡って警告したであろう? ……にも関わらず、このような事態となったことに悲しみを抱いておる」

「このような……とは?」

「そこから説明せねばならぬのか?」


 玉座で足を組み、ふんぞり返る風猫人族フェルミアは、これ見よがしに大きく溜息を吐き、落胆の表情を浮かべる。

 このグースの地で、国王に対してこのような態度が許されるのはただ一人……

 彼女こそが、グースの地を統べる者、貴猫姫その人だった。

 落胆の中に微かな苛立ちを込めて、貴猫姫は国王を見下ろす。


「メイグストよ。この国は病んでおる。人々の幸福をもたらすと掲げた理念は地に落ちた。……それを認め、立て直すと約束したのではなかったか?」

「しかと託宣を賜りました。が、しかし、改革は時を要すものであり、順序立てて行わねば秩序が崩壊いたします。そうなれば、不幸になるのは唐突に荒野へと放り出される民たちでございましょう。であるからして、今しばらく猶予をいただきたく願います」

「以前もその言葉を聞き、理があると余は認めたわけじゃが……」


 こくりこくりと王が大きくうなずく。

 それを、切れ味鋭い視線で、ともすれば侮蔑の念すら感じさせる強い意思を乗せて、貴猫姫が見据える。


「ひっ!」


 思わず怯む王様。


「メイグストよ。貴様が犯した過ちは三つある。ひとつ、貴族という鎧で守られておる国賊を見逃したこと。ふたつ、前王妃を守り抜けなかったこと。みっつ、この期に及んでも、まだそこな女狐にたぶらかされておることじゃ」

「お……、恐れながら申し上げます。女狐とは、王妃のことでしょうか?」

「優しいのう。まだ、そやつを王妃と呼んでやるのか……。まあ、良い。して、その王妃などと呼ばれておる女狐よ。何か申し開きはあるか?」


 王様に向けられたモノとは比較にならない、強いプレッシャーが王妃を襲う。

 顔からも、全身からも血の気が失せ、冷や汗を流し、身体を震わせている。


「余は、王国の存続が民の幸福につながると思えばこそ、最大限の助力を与えておった。じゃが、その信頼は長きにわたって揺らぎ続け、ここでついに潰えた。何も言えぬというのなら、余の口から明かしてやろう……」


 組んでいた足を解き、大仰そうに立ち上がった貴猫姫は、手の中に錫杖を出現させ、その先を王妃へと向けた。

 ……と同時に、王と王妃の拡張視界ビジョンに同じ映像が流れ始める。

 それは、王妃が第一王女アップリーナの暗殺を命じた、決定的瞬間だった。

 それだけではない。

 進捗の確認や、失敗の報告を受けた時の醜い様子まで、克明に映し出された。


「貴猫姫の権限により、そこな愚かな女狐と、その女狐が暴走する元凶となった子供たちに付与しておった、猫神の加護をはく奪する!」

「なっ……。それは余りにも厳しい沙汰。ましてや子供たちはまだ幼く……」

「メイグストよ。その甘さがこの事態を招いたと心に刻め。それにじゃ、どうも王宮の者共は、余を便利な道具と勘違いしておるようだからのう。良い機会じゃから、余はしばらく王都を離れるとしよう。王であるなら、その意味するところは分かっておるな?」

「お、お待ちください。そんな話が広まれば……」

「なあに、簡単なことじゃよ。そうなる前に、余が再び力を貸しても構わぬと思えるほどの国へと生まれ変わらせれば良いだけのことじゃ」

「それでは、いつになるか……」

「心配せずとも、余は腐った王国を見限るだけじゃ。善良なるグースの民には、今後も変わらず猫神の加護があるじゃろう」


 そう言い捨てて去ろうとする貴猫姫に、王はなおも食い下がる。


「お待ちください、貴猫姫さま……」

「くどい! これより女狐がやらかした後始末をせねばならぬ。急がねば、ライネッタが残した愛娘を失うぞ!」


 その言葉に何を思うのか……

 グーネリア王国の国王メイグストは、言葉を詰まらせたまま、遠ざかる風猫人族フェルミアの後ろ姿を見送った。


     ───◇◆◇───


 そんなわけがない……と言いたいところだが、王女のいる前で、そんな詐称をする者はいないだろう。

 それに、言葉遣いや雰囲気からして普通じゃないと分かる。だから、たとえば、どこかにある風猫人族フェルミアの里の族長という可能性ぐらいは考えていたのだが、まさか……


「なんじゃ? 信じられぬか?」

「いえ、そんなことは……。貴猫姫さまの御前でこのような醜態を晒し、まことに申し訳ございません。ですが、お目にかかれて光栄です」

「良い、良い。其方には余も感謝しておる。よくぞアップリーナを護ってくれた」

「いえ、結局、途中で力尽きました。その後、どうなったのか説明していただきたいのですが」


 風猫人族フェルミアの女性は、なぜか愉快そうに笑い始めた。


「いや、すまぬ。その見た目でその物言い。そのような言葉がポンポン出てくるのが愉快でな」

「変……ですか?」

「そうじゃな。幼子にしては、あまりにも利発すぎるな。じゃがまあ、それよりも、今は状況説明じゃったな……」


 その説明は簡単なものだった。

 私が倒れたすぐ後に貴猫姫さまが現れ、刺客たちを八つ裂きにした。

 その後、ミズネコの提案で、騒ぎになる前にみんなで予備部屋へと逃げ込み、貴猫姫さまの力で隠し扉を普通の壁に変えた。

 そして……


「……ほどなくして、其方が目覚めた。ただ、それだけのことじゃよ。それと、なぜ余がこの場におるのか……じゃったな?」

「はい」

「貴猫姫はグースの安寧を願い、王国はグースに幸福をもたらす。それが古の約定じゃった。じゃが、ここの所、王国の増長と怠慢は身に余る。言葉の最後に『民の幸福のためです』と言えば、全てが許されると思っておるのじゃろう……」


 よほど腹に据えかねているのか、拳を握って力説している。

 その様子が見えるのは、ミズネコが気を利かせて拡張視界ビジョンに二人の様子を映してくれているからだ。

 だから、オベリアに抱きかかえられている自分の姿もしっかりと見えている。

 これが前の身体だったなら目を覆っていたところだが、まだ見慣れない子供の姿だからか、ある種の癒しを感じさせる。

 ……いや、そんなことを考えている場合ではない。


「勝手なことじゃが、アップリーナの処遇によって王国との付き合い方を考えねばならぬと思っておったのじゃが……。あの女狐め、見事に期待を裏切りおった。それも最悪な形でな」

「女狐……? 狐人族ケノスですか?」

「いやいや、第二王妃のことじゃよ。あやつめ、よりにもよってアップリーナに刺客を放ちおった」


 その刺客は私だ……とは言えない。

 ユークリット・メンフィスは死んだことになっている。

 それよりも……

 王女の暗殺を企てた敵は、組織を動かしたのだからそれなりの地位にある者だと思っていた。だけど、それがまさか今の王妃だとは思わなかった。


「じゃから余は、女狐とその子供たちの加護をはく奪し、出奔してきたのじゃよ」

「女狐が王妃なら、その子供は王子や王女ということに……」

「うむ、そうじゃよ。じゃが、致し方あるまい。子供が王族のままでは、またぞろ女狐が良からぬことを企てるじゃろうからな」

 

 猫神の加護を失うということは、罪人やそよ者と同じ扱いになるということだ。

 首謀者である王妃はともかく、巻き込まれた子供たちは不憫に思える。だが、貴猫姫さまの決定に異を唱えるつもりはない。

 

「それにしても貴猫姫さまは、オベ……アップリーナ姫とは親しいのですか?」

「ん~、二度ほど会っただけ……じゃったかな? とはいえ、それとなく動向だけは追っておったからな」

「そうなんですね。わざわざ王都から助けに来るほどですから、よほど親しい仲なのかと思いましたが……」

「永遠の片思いじゃよ。常に気にかけておったのじゃから、愛着も湧こう。じゃが、その思いは相手には届かぬ……はずじゃったのだが、刺客の件もあったから追いかけて来てしもうた」

「おかげで助かりました。……ですが、貴猫姫さまが王都におられないとなると、皆が困るのでは?」

「いやいや、皆への加護は正常に働いておるから心配は要らぬよ。そうじゃな、余が王都から消えて困るのは、せいぜい王家や王宮の者どもぐらいじゃよ」


 なぜか、フフフ……と、不敵な笑いを漏らしている。


「余も貴猫姫の役割は十分に理解しておる。じゃが、日がな一日バカモノ共の要求に耳を傾け続けるのもいい加減飽きてきてな。以前から好きに生きてみたいと、そう思っておったのじゃよ。これもいい機会じゃ。余もここで世話になるとしよう」

「余も……って、それって……?」

「こうなっては王女も戻れぬであろう。じゃから、ほとぼりが冷めるまで、ここで匿ってもらえぬじゃろうか?」


 貴猫姫さまの頼みを断れる者が、このグースにいるだろうか。

 これは、お願いという名の命令に等しい。

 それに……


「ユキリアさんのご迷惑になりますけれど、私からもお願いします」


 彼女を安全な場所に匿ってあげたいと思っていたので、断る理由がない。

 だから……


「この様な場所で良ければ、どうぞお使いください」


 こうして、三人の隠遁生活が始まった。

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