04 暗闇に光る希望の灯 その四

 ユージンとは、王都にあるミルドグース学院時代からの付き合いだ。

 当時は十二歳で、最強の剣士を目指していた私とは対照的に、彼は学院生活を適当に楽しんでいた。

 特に仲が良かったというわけではないが、見かけたら無駄話をする程度の付き合いがあった。

 そんな彼が、まさか私と同じ「濡れた尾羽」に入るとは思わなかった。


 ユージンの武術は並以下で、ひざを壊した私でも軽くあしらえるほどの実力差があった。

 だからなのか、彼は属性道具──霊法武具に活路を見出した。

 危険なので訓練では使用できないが、実戦では強力な武器となる。

 とはいえ、その実力を測るのは難しいからか、彼もまた諜報専門の門番としてルシルに送られてきた。


 今回、組織が私たちに下した指令は、第一王女アップリーナ姫の暗殺だ。

 その顔写真を見て、今まで不可解に思っていたオベリアのことや、決して表舞台に出てこない第一王女のことが、一気に繋がった。

 残念ながら、オベリアがアップリーナ姫だと、理解できてしまった。

 それでも、どうにかして、オベリアをただのそっくりさんだということにして逃がしてやれないかと思っていたのだが……


 ユージンは、適当に働いて、適当にお金を得て、楽しく暮らせればいいらしい。

 立身出世や滅私奉公なんて心は、欠片も持ち合わせていない。

 だからこそ、この非情な指令に反対してくれるものだと、ほんの少しだけ期待したのだが、彼は危険から遠ざかる道を選んだ。

 そのことに驚きはないし、それもまた彼らしい選択だった。


 だからといって、ユージンにオベリアを殺させるわけには……

 そうだ! 地べたに転がっている場合ではない!

 まだだ……まだ間に合う!

 ……絶対にオベリアは殺させない!


 意識を飛ばしたのが衝撃なら、意識を引き戻したのも衝撃だった。

 立ち上がる力に変えるため、砕け散った気力を必死にかき集めた。


     ───◇◆◇───


 どれぐらい経っただろう。

 意識を取り戻した私は、即座に周囲の状況を確認する。

 まだ強い熱気が渦巻いているので、それほど時間は経っていないようだが。

 視界の隅にユージンの後ろ姿が見える。

 ならば……


 身体の感覚がふわふわしているが、立ち上がれるし傷みも少ない。

 神経が研ぎ澄まされているようで、周囲の時間がゆっくりと流れる。

 地面を転がっていた剣が、なぜか浮き上がって私の手の中に収まる。

 これならいけると確信する。


 グッと腰を落とし、剣を構えて力を溜める。

 それに伴い剣が輝きを放ち始め、徐々に強さを増していく。

 剣技・飛翔刃ブレードショット、第六階梯奥義……


飛竜飛翔斬ワイバーンスラッシュ!!!!」


 鋭く振り抜いた輝く剣から、一陣の刃が解き放たれた。

 その行く末を確認することなく、私の意識は再び闇に沈んだ。


     ───◇◆◇───


 ここは……どこだ?

 暗い……闇の中?

 だけど、自分の手や身体、足はしっかりと見えている。

 まるで宙に浮かんでいるような……、壁や天井どころか、足には床の感覚もない。自分以外のモノが何もない空間。


 何もない、自分一人だけの状態がいつまでも続く。

 時間感覚を失い、空間認識が薄れ、永遠とも思える孤独が押し寄せる。

 寒い……

 心が寒い……

 口を開いても声が出ない。

 出ていないのか、単に聞こえないだけなのか、それすらも分からない。

 やがて、死というものを意識し始めた時、それは唐突に現れた。


 光がないのにその姿はよく分かる。

 水だ。

 いや、水か何かは分からないが、とにかく無色透明の液体だ。

 それが猫の形になる。


 まさか、お前……。猫の悪霊か?

 そう話しかけたつもりだったが、声にはならなかった。

 だけど、どうやら伝わったようだ。


『悪霊なんてひどいにゃ……。ウチはミズネコにゃ』


 どうやら念話が使えるようだ。

 それにしても……


『水の猫でミズネコ? なんか、そのまんまだな』

『リットくんが付けてくれた名前にゃ。やっぱり忘れてたにゃ?』

『それを? 私が? それに、リットくんって……』


 私のことをそう呼ぶ者は一匹しかいない。


『まさか、スティーリアも化け猫に?』

『ん~、的外れ過ぎて、どう答えたらいいのか困るにゃ……。時間はたっぷりあるから、順を追って説明するにゃ』

『やっぱり、私は死んだのか?』

『それも後で説明するんにゃけど、まだ今のところ、完全には死んでにゃいにゃ』


 つい、興味本位で手を伸ばす。

 見た目は実物っぽいけど、漆黒の闇の中なのに透明だと分かるのも変なので、もしかしたら拡張視界ビジョンに映し出されたものかと疑った。

 ぐにゃり……といえばいいのか。触感は不思議な感じだった。

 たしかに触れている感覚はあるが、抵抗なくすり抜けてしまう。

 水を掴むとはこういう感覚なのかと思うが、手は濡れていない。


『まずは自己紹介から始めるにゃ。ウチの名前はミズネコにゃ。水、猫、アルケミーシード、ヴァンパイアシードで錬成された、謎生物にゃ。それで……』

『あー、少し待って欲しい。いきなり情報量が多すぎる。謎生物ってなんだ?』

『謎だから、謎生物にゃ。覚えてないにゃ? リットくんが子供の頃にアルケミーシードを暴走させたにゃ。その時にウチが生まれたにゃ』

『……やはり猫の悪霊だったというわけか』


 たぶん、六歳ぐらいの時だ。

 祖父の研究室に預けられた私は、与えられた石で遊んでいた。

 その時、その石が突然光を放ち、なにやらいろいろな文字や記号が飛び交って、怖くなった私は慌ててそれを振り払った。

 それがいけなかったのだろう。

 近くにあったものが、光を放って消えてしまった。

 代わりに猫の幽霊が目の前に現れた。

 それが、祖父の飼い猫だと気付くのは、しばらく後だ。

 いくら探しても見つからなかったので、あの猫が幽霊になったのだと覚った。

 たぶん、何かの霊法具が作動して猫を殺めてしまったのだろう。


 それから、しばらく猫の幽霊に付きまとわれた。しかも、人間の言葉らしきもので延々と話しかけられ続けた。

 ほとんど意味が分からなかったが、呪詛だと思って恐怖した。

 グーネリア王国では、猫は神の使いだ。それを殺めるということは、神への反逆を意味する。

 当時はそこまで自覚していなかったが、とんでもないことをしたということだけは理解していた。

 その後、猫神さまに何度も許しを乞い、何とか悪霊から解放してもらった。そう思っていたのだが……


『だから、謎生物だけど、悪霊じゃないにゃ。もう、これじゃ、ちっとも話が進まないにゃ。簡単に要点だけを話すにゃ』


 相手から見えているのか分からないけど、コクリとうなずく。


『リットくんが遊んでた石にゃんだけど、あれはアルケミーシードとヴァンパイアシードって呼ばれている古代文明の遺物……エルゼノスパーツにゃ。

 それが暴走して、周囲のモノを巻き込んだにゃ。それで生まれたのがウチ、ミズネコにゃ。

 ウチもウチが何者か……猫の意思にゃのか、古代遺物エルパーツの意思にゃのか、それとも別の何かにゃのか、全然わからないにゃ。

 最初、リット君が怖がってるって分からなかったにゃ。ごめんにゃ。でも、それからずっと、リットくんのことを護ってたにゃ。あっ、スティーリアもウチにゃ』


 とにかく黙ったまま最後まで話を聞こう……と思ったが、無理だった。


『お前が、スティーリア?』

『そうにゃ。スティーリアの姿で説明できれば良かったんにゃけど、無理にゃから、仕方がにゃくこの姿を見せたにゃ。この空間は、猫神の加護の適用範囲外にゃから、拡張視界ビジョンが使えにゃいにゃ……』

『なのに、念話は使えるのか?』

『念話は加護とは別にゃ。ウチとリットくんの絆にゃよ。それより、リットくんの身体はボロボロにゃ。戻ればすぐに息絶えるにゃ。そこでリットくん、チカラが欲しくにゃいかにゃ?』


 そりゃそうだ。炸裂球アレを食らって立ち上がれたことが、そもそも奇跡だったのだ。

 力が欲しいかと問われたら欲しいが、その言葉の意味が分からない。


『モノにもよるな』

『このままリットくんの魂が肉体に戻ると、たぶん数分で死んじゃうにゃ』

『これ、魂なのか? いや、まあそうだよな』

『そこで、ウチと契約を結んでくれたら、新しい肉体をプレゼントするにゃ』

『それは、死にかけの身体が元に戻ると思っていいのか?』


 ならば、そんなに嬉しいことはない。けど……


『残念にゃけど、新しい身体は子供にゃ……おにゃにょこにょ』


 子供か……って、今、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。


『子供の……なんだ?』

『ごめんにゃ、リットくん。女の子の身体しか用意できないにゃ』

『要するに、女の子か死かを選べ……と?』

『そうにゃ』

『後で元の身体に戻ることは?』

『戻れるにゃ。けど、戻ったら死ぬにゃ』

『同じ形の新しい身体は?』

『無理にゃ。霊力が足りないにゃ』

『霊力が足りていればできたりは……』

『分からないにゃ。けど、たぶん無理だと思うにゃ』


 思わず天を仰ぐ。

 ひと筋の光もなく、まるで、漆黒の闇が嘲笑っているかのようだ……


『でもまあ、オベリアを護れたし……いや、そういえば、あの後どうなった? オベリアは助かったのか?』

『助かったにゃ。リットくんの渾身の一撃は見事に敵を打ち倒したにゃ』

『そうか……それは良かった』

『でも、安心してていいのかにゃ?』


 そうだ。安心なんてできるわけがない。

 どれほどの騒ぎになったかにもよるが、それで警備が厳重になったとしても、ほぼ間違いなく新手の刺客が放たれるだろう。


『……わかった。契約をしよう』

『了解にゃ』


 とにかく、早く目覚めて状況を確認したい。


 契約といえば血が定番だが、魂からは血が流れない。

 どうするのかと思ったら、猫の姿をしていた透明な物体が、大きく広がって私を包み込み……

 眠りに落ちるように、安らかに私の意識が途切れた。

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