02 暗闇に光る希望の灯 そのニ

 怪しげな国家組織に身を投じた私は厳しい訓練を受け、王都ミルドグースで警備兵や門番を経験し、六年ほど前、このルシルという辺境の砦町に送り込まれた。

 ここで門番をしながら内偵調査などの諜報活動をするというのが、この私、ユークリット・メンフィスに下された命令だった。


 組織に勧誘された時は、満足に戦えない私でも国の役に立てるんだと意気込んだものだが、その喜びに満ちた高揚感は、教え込まれたお題目と共に、刹那の幻想として掻き消えた。

 この組織に正義はない。

 人類は……特に、我ら玲人族ヒュメアは、力無き種族であるが故に、集団を重んじて権力にすがる。

 平和に見えるこの国でも、権力者たちによる醜悪な暗闘が行われており、そんな者たちにとって濡れた尾羽は、使い勝手の良い、使い捨ての道具でしかなかった。

 とはいえ、こちらも生活がかかっているのだから、それを知ったところで、おいそれと辞めたりはできない。

 それに、組織を抜けようとしたメンバーは消されるといった噂が絶えない。

 実際、メンバーが組織に消されたという話はよく聞くが、辞めた後も幸せに暮らしているという話は全く聞こえてこない。

 それだけに、たとえ冗談であっても、辞めたいなんて言葉は口にはできない。


 まだ私は諜報専門なのでマシなほうだ。他のメンバーは、相当に酷いことをさせられている。

 なにを隠そう私も暗殺技術を仕込まれたのだが、努力こそ認めてもらえたものの、相対的な評価では最悪一歩手前って感じだった。

 そんなわけで、私はメンバーでありながら荒事に関わることなく、流されるまま田舎の門番を続けている。


     ───◇◆◇───


 このルシルは、フォルニス砦を中心に発展した町で、危険の多いこの辺境の地にあって、安息を与えてくれる楽園となっている。

 とはいえ、わざわざこの地にまで足を伸ばす旅人は、定期便を除けば希少な商材を求める商人や学者ぐらいのもの。

 多くの旅人は、トリスブリダ砦のあるユークスか、ミレネフォンデン城のあるオルタナパで足を止める。

 猫神の加護のおかげで情報の伝達が早いので、美味しい儲け話でもあれば旅人が殺到するが、現在のルシルにそのような話題はない。

 今日も平和そのものだ。

 だから、こうやって休憩中に霊像鏡テレビを見ている余裕があったりする。


「おっ、リットじゃん。お前も休憩か?」


 姿を確認するまでもない。

 声の主は、この地で一緒に門番をやっている、学生時代からの友人だ。


「よう、ユージン、お疲れさん。何か飲むか?」

「おう、じゃあ、コーンスープで」


 その冗談には答えず、無言で飲料提供装置ドリンクサーバーに手をかざす。と、受け取り口にホットコーヒーの入った紙コップが現れた。

 ありがたいことに、ここでは飲み物が無料で提供されている。水、緑茶、紅茶、コーヒーに限られているものの、ホットかアイスかを選ぶこともできる。

 でも、さすがにユージンの好物であるコーンスープは置いていない。

 だからユージンも、文句を言わずにコーヒーを受け取る。


「サンキュー。おっと、アチチ……。いやぁ、ほんと、あったけぇのが飲めるってのはありがてぇよな」

「だな。今朝は危うく凍死しかけたから、ホント助かる」

「あはは、こうやって気軽に話せるのはお前だけだからな。死なないでくれよ?」

「お前もな」


 こんな事が言い合えるのは、ユージンぐらいのものだ。

 

 我々の担当は町からフォルニス砦に入る門のひとつで、そこを六人体制で交代しながら番をしている。

 だから、休憩とはいえ、合図があればすぐに出られるように待機しておかねばならない。そんな事態は年に数回あるかどうかだが。

 今は三人が門番に立っており、一人は巡回という名目で散策を楽しんでいる。その結果、この二人が詰所に残された。


 平和な町だけに、そうそうトラブルが起きたりはしない。もし起こったとしても、せいぜいルールを理解していない者への注意と案内ぐらいのものだ。

 だからなのか、経費削減なのか人員不足なのかは分からないが、元々は八人体制だったのに、いつの間にか六人体制になっていた。

 まあ、外門の人員を減らすわけにもいかないから砦門をってことなんだろうけど、これまでのところそれで困るようなことは何もない。


「あー、うめぇ」


 その気持ちはよく分かる。

 日が昇って暖かさを感じるようになっても、高地だけに空気が冷たいので、支給されたロングコートを着こんでいても風が吹けば寒さが沁みる。

 更に毛皮を着こむのもいいが、この程度の寒さで最後の切り札に手を出せば、雪が降り積もった時に困るだろう。

 それにしても……

 ユージンの爽やか好青年っぷりは学生の頃から変わらない。なのに、未だに独り身なのは不思議だ。

 そんなことを考えていると、ユージンから意外な言葉が飛び出した。


「……リット、やっぱまだ未練があるんだな」

「いや、そんなことは……」


 怪しげな組織に属している以上、結婚を望んだりはしない。

 少しイイワケじみているが、相手の幸せを願うのならば関わらないのが一番だ。

 とはいえ、人恋しい気持ちがないわけではないし、仲の良い女性もいるのだが、みんな友人だと割り切っている。

 ……だが、ユージンが言いたいのは、そういうことではないようだ。

 彼の視線は霊像鏡テレビに注がれており、そこには先日王都で行われた武術大会の様子が映し出されていた。

 かつては目指した道だが、それももう今さらだろう。

 日課のように身体を鍛え続けてはいるが、最強を目指す心の炎は完全に鎮火しているし、再び燃え上がらせるつもりはない。


「……たまたまだ。ベルクさんが見てたんだろ?」

「そっか、そりゃ悪かった。なら、変えてもいいか?」

「ああ、好きにしてくれ」


 ユージンが自分の支援妖精ファミリアに頼んだのだろう。霊像鏡テレビが冒険ライブチャンネルに切り替わった。

 映し出された番組は、冒険者の活動をダイジェスト方式で紹介するメインチャンネルで、サブチャンネルでは実況と解説を交えて依頼遂行中の様子がリアルタイムで放送されている。

 放送ならば拡張視界ビジョンでも見れるし、そこでなら自由にサブチャンネルが選べるので推しの活動を見守ることもできるけど、このような場では、複数人で同じ放送を見て討論できる霊像鏡テレビが重宝される。


 他にすることもないので、何となく放送に目をやる。

 だけど、これといって大きな事件は起きていないようだ。

 ランブルボアやサークレットベアなどの害獣討伐、ブラッドホーンウルフやポイズンラットなどの魔獣討伐、危険な森や洞窟の探索ぐらいだろうか。

 ゴブリンやオークなどの魔族討伐は行われていないようだ。

 魔族領からは遠く離れているとはいえ、魔獣や悪鬼などの魔の眷属は、いくら駆除してもいつの間にか忍び寄って来る。

 グーネリアには猫神の加護があるとはいえ、それでもいつの間にか入り込んだりしてくるので、支援妖精スティーリアに頼んで魔族に関するニュースがないかを調べてもらおう……と思ったら、扉がノックされた。


「おい、リット。お前さんにお客だぞ」


 扉を開けたベルクさんが、意味ありげに私を見つめる。

 その後ろから、見知った少女がぴょこんと顔を出した。


「よう、オベリア」

「……お邪魔でしたでしょうか?」

「休憩中だから構わないよ」


 いつもなら歓迎するところだが、今日は気分が乗らない。

 でも、そんな理由で追い返すのは可哀想だ。

 だから、いつも通り笑顔で迎える。


「ユージン、休憩は終わりだ。こっちへ来い」

「えっ、ちょっ、ベルクさん? 俺、今さっき休憩になったばっかりで……」

「いいから、いいから。じゃあ、リット、俺たちは行くから、しっかり待機しとけよ」

 

 何を勘違いしているのか知らないけど、この子とはそういう関係ではない。

 そもそも年齢が十ほども違うのだ。

 だから別に、そんなに気を回してくれなくてもいいんだが……


 この少女、ルーナ・オベリアは、オベリア商会の娘で幼いころから身体が弱く、この田舎で静養しているらしい。

 見た目はまだ線が細くて子供っぽいが、出会った頃に比べたら見違えるほど健康的になった。それだけでも嬉しいし、感慨深い。

 この子と出会ったのは、私がこの地に赴任してしばらく……、恐らく一年も経っていなかった頃だろう。

 何かの不備で馬車が検問で止められた時、泣き出してしまったこの子をあやしてやったのが最初だったと思う。私がニ十歳の頃だから、この子は十歳ぐらいだっただろうか。

 後はまあ、町中で体調を崩して動けなくなっていたところを偶然見つけて助けてやったり、門に現れた彼女の相談を受けたり……していたら懐かれてしまった。

 そういえば、誘拐された娘の救出に参加したこともあったけど、救出した相手がオベリアだったと後から聞いた……なんてこともあった。たぶんそれが、懐かれた一番の原因だったのだろう。

 

 出会った頃は本当に弱々しく、冬を乗り越えられるかも怪しいなどと言っていた。その姿が、抜け殻となった私の姿にどこか似ている気がして、……今にして思えば失礼な話だが、勝手な親近感を覚えていた。

 だから、彼女が姿を見せてくれただけでも嬉しかったし、彼女が元気になっていく様子は、漠然と余生を過ごす私にとって暗闇に光る希望の灯のように思えて、それが生きる理由になっていた。

 年齢を重ねた彼女は、年々活発になり、門を訪れる回数も増えた。そして、もうすぐ成人──十六歳になるという。

 だから……

 

「オベリア、しばらくキミは姿を隠したほうがいい」

 

 そう、真剣に忠告した。

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