ヴァンパイアマグニャー

かみきほりと

01 暗闇に光る希望の灯 その一

 魔族との講和がなされて四百年……

 リガーシア大陸は、人類と魔族が互いの動向を探り合いながら、奇妙な緊張感をはらみつつも仮初めの平和を享受していた。

 リガーシアにある国々でも、人類同士が互いの動向を探り合いながら、表向きは魔族の再侵攻を警戒して協力している……そんな関係が続いている。

 それとは全く関係なく、魔族領から遠く離れ、リガーシア大陸にあって陸の孤島と称されるグーネリア王国では、一人の男が生死の境を彷徨っていた……


     ───◇◆◇───


 まるで石のようだ。

 身体が重い。

 心が冷え切っている……

 私は命の危険を感じ、震える身体を丸めるようにして必死に抗う。

 砕け散る気力をかき集め、悶えながら石のように重いまぶたを持ち上げた。

 ほんの僅かな隙間を通して、不自然に揺れるぼやけた壁が見える。

 何事かと思い、本能的にギュッと目を閉じて力を込めると、か細く震えた声が無意識に漏れ出た。


「うぅ~、さむっ……」


 そう、寒かった。それも、尋常じゃない寒さだ。

 壁が揺れていたわけじゃなく、あまりの寒さに私が震えていたのだ。

 それを自覚した瞬間、身体に大きな震えが走り、ようやく少しだけ状況が理解できた。


 一日の寒暖差が激しくなる季節になり、グーネリア王国の辺境にある砦町ルシルでも、今朝はグッと冷え込んだ。

 昨日の好天が影響したせいだろうけど……

 それが、1DKという典型的な単身者用のアパートに住む私にも容赦なく襲い掛かり、目覚めか死かという選択を強引に迫ってきたのだ。

 まだ日の出前なのもあるが、たぶんこれが本日の最低気温になるだろう。なのに、こんな時に暖房が止まれば、大の男でもこうなる。

 殺風景な壁とガラス窓が見えるが、しっかりと鎧窓が閉じられているので、外の様子は全く分からない。


『スティーリア』


 心の中で念じると、どこからともなく半透明な白猫が現れた。

 それが、壁の手前に浮かんだ状態で寝転びながら、念話で挨拶を返してくる。


『リットくん、おきたにゃ? 残念ながら狂騒の山猫荘の共有マナは、使用が制限されてるにゃあ。すっごく寒いけど、お昼には暖かくなるにゃ』


 優し気な若々しい女性の声が、頭の中でにゃあにゃあと響く。

 まるで幽霊のようだが、そうではない。

 この愛らしいモノは、グーネリアの民に与えられる特権「猫神の加護」のひとつ、加護を受けている人の精神領域アストラルフィールドで活動する、サーヴァント、もしくはファミリアと呼ばれる支援妖精……

 要するに猫神様が遣わした、私のサポートをしてくれる、拡張視界ビジョンを通して私にだけ見える猫の妖精である。

 拡張視界ビジョンだけに、その場に存在するように見えてもそこに実体はなく、残念なことに触れることができない。

 妖精と呼ばれている通り、幽霊とは別物だが、アストラル体、もしくは、エーテル体って意味では、幽霊に近しい存在のようだ。

 もっとも、幽霊は見たことがないけど……


 常夜灯モードになっていた四つの霊光灯が、ほんの少しだけ光量を強めて目に優しい仄暗い明かりを放ち始める。

 続いて、拡張視界ビジョンに半透明の四角い表示領域──アストラルパネルが現れ、午前五時十三分、外気温三.七度、室内温度七.三度、天候は晴れ、天気予報は昼前に少し雲が広がるものの概ね晴れ……などという文字情報と、晴れのアイコンや周辺の天気図などが表示される。

 それを簡単に確認し、ようやく目覚め始めた頭と身体に喝を入れ、上半身を起こす……と、薄い布団がまくれ落ちて、再び全身に震えが走った。


『いくら体力バカのリットくんでも、そんな姿だと風邪ひくにゃあ。課金して暖房をつけるにゃ?』

『いや、不要だ。どうせすぐに出るんだ。勿体ない』


 まさか、このタイミングで共有霊力マナが制限されるとは思わなかった。だから、薄着のまま薄い布団で寝ていたわけだが、そのせいで危うく命を落とすところだった。

 安物のベッドから降り、スリッパを履いてフローリングの床に立つ。

 

「何か、上着を……」


 二メートル近い身長と鍛えに鍛えた肉体は、剣士として理想的な体格だが、だからといって寒いものは寒い。

 とりあえず厚手の毛皮を着こむと、凝り固まった筋肉をほぐすようにストレッチを始める。凍えた身体を無理に動かせば痛める危険がある。だから、いつも以上に慎重に筋肉を緊張させ、弛緩させる。

 物が少ないこともあって、この巨体でも十分な空間がある。多少身体を動かしたところで物にぶつかることはないし、床が軋んだりすることもない。

 大暴れでもして地響きでも起こさない限りは、音や振動が部屋の外に漏れることもない……はずだ。


 この狂騒の山猫荘は、家賃が安いにも関わらず建物がしっかりとしている。それに、最新の設備も整っている。

 というのも、この建物は、七十室もある中層向けマンション「ルシルグランフォレスト」に連結して建てられた、同じオーナーが経営しているアパートで、マンションの余剰霊力マナで運営されているからである。

 だから、今日のように共有霊力マナの消費が急激に増えた時は、狂騒の山猫荘の使用霊力マナが制限されたりする。その可能性があるから格安なのだが……

 そんなことは、まずあり得ないって話だったのに、こんな日に起こるとは……いや、こんな日だからこそ起こったのだろう。


「くぅ……」


 不意に走った痛みで巨体がよろめく。

 奥歯を噛み締めて必死に耐え、なんとか転倒だけは免れる。

 そのまま、何とか足を引きずりながら、倒れるようにベッドの縁に腰を下ろす。

 なおも続く鈍痛に顔をしかめ、恨めし気に左のヒザを見つめながら、波が去るまでジッと耐える。


「はぁ……。こっちは相変わらずだな」

 

 ここで無理をしても苦しみが長引くだけだ。

 経験上、数分ほどで回復すると分かっているので、大人しく待つ。

 その間に……


『スティーリア、ダイレクトメッセージ』


 再び拡張視界ビジョンに現れた半透明の白猫は、重力を無視して横に滑るようにして移動すると、その空いたスペースに新たな表示領域パネルが現れてリストが表示された。

 とはいっても、たったの二件のみ。

 緊急の用件なら支援妖精スティーリアが知らせてくれるので、ここにあるのは他愛のないものばかり、のはずだが……

 ひとつは門番仲間からの他愛のない愚痴。

 もうひとつは、タイトルに「闇夜の鴉は羽ばたいた……」と書かれている。

 これは悪戯でも何でもない。それどころか、何をおいても最優先に確認しなければならない重要なものだ。


『スティーリア、なぜ知らせなかった?』

『だってにゃ、リットくんの為にならないって思ったからにゃあ。やっぱり、この組織は信用ならないにゃ。早く手を切ったほうがいいにゃ』


 悪気がないと理解しているが、どう考えても支援妖精の権限を逸脱した行為だ。

 とはいえ、その気持ちもよく分かる。


 私の人生は一度終わっている。

 だからといって、別に死んだってわけじゃない。

 身体を鍛えて最強の剣士を目指していたのに、この左ヒザに受けた負傷のせいで、まともな職に就くことができなくなったのだ。

 そんな私に唯一声をかけてくれたのが、この組織だった。

 今さらだが、私もこんな組織だと知っていれば関わろうとはしなかった。だが、国の為に働ける立派な職場だと言われれば断る理由は無いし、生活の為にも飛びつくしかなかった。

 実際、王宮に連なる組織だったので、その幸運に感謝したりもしたが……

 今では出会ってしまった不運を嘆きつつ、穏便に縁を切る方法を模索している。


『何度も言っているが、抜けようとすれば国家権力に消されかねん。それよりスティーリア、濡れた尾羽にログインしてくれ』


 私の言葉に呆れたのか支援妖精スティーリアは小さく首を横に振るが、拡張視界ビジョンに諜報機関「濡れた尾羽」のサイトが現れ、すぐに認証が完了して指令書が表示された。

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