◆第55話◆
◆ ◆ ◆
平等主義者の阿久津はエマを殴れなかった。
"夫の元にいきます。"
遺書にはそれしか書かれていなかったそうだ。それ以外エマに何が書けただろうか。
本宅でエマを見付けた日、営業を終え帰宅すると阿久津がいた。いるような気がしていたし別に隠すつもりはなかった。
イブとエマの繫がりには驚いていたが田代の話には無反応だった。もうすべき事はない。ただ奴が言う落とし前ってやつがエマの頭上で行き場を失っていた。
結局阿久津はエマを扱いかね「放っておけ」と言った。田代も篠田ももういない。身内を殺され復讐に身をやつした女が一人残っただけだ。これ以上何が奪える?
エマの死を最初に知ったのは阿久津組の若い輩でむしろ決定的瞬間の目撃者だ。可哀想に、阿久津が念の為付けていた見張り役だったのだ。監督不行き届きだった俺や、結果的にエマの復讐の邪魔をした阿久津自身を殺しにくるかもしれないと警戒したらしい。
見張り初めて三日目の夜中、コンビニに行くような身軽さでアナーキーに向かったエマを不審に思い見張りはすぐ阿久津に連絡した。
しばらくして屋上に現れたエマが飛び、見張りが携帯を開いたのと車の到着は同時だった。
阿久津は見張りに公衆電話で救急車を呼ばせると成城の本宅に車を飛ばしエマの庭を見て回った。
土の固さが違う部分があり、通報を終えた見張りにライトとシャベルを持ってこさせ掘り返した。エマの庭から死体が出るとややこしくなるからだ。イブや旦那との再会が遅くなってしまう。
しかし掘っても掘っても出てこない。空が白み、見張りがヘトヘトになり、ついに大きな石に突き当たった。田代はいなかった。
日が昇る前に穴を埋め、見張りを帰すと俺の部屋に来た。
普段通り仕事を終えて帰宅した俺に「エマが死んだ」と言う言葉は現実味がまるで感じられなかった。おまけに田代もいなかったと言う。意味が分からないから、ポカンとした後は悲しさより先に笑いが出た。大笑いした。
「はは……もう勘弁してくれよ」
気味悪そうに俺を見る阿久津の顔が面白くてついに玄関に突っ伏してしまった。
ああ、笑いが止まらない。こんなに笑ったのは何年ぶりだろう。苦しくて涙が出る。息がひっくり返った。肩が震え、鼻が詰まる。阿久津が俺をまたいで出て行った。ドアが閉まると嗚咽が出た。声を我慢すると涙が吹き出る。仕方なく声を上げた。それでも涙は止まらない。俺は産まれたときだってこんなには泣かなかったと思う。一生に一度の大泣きだ。どうせなら空に届くだろうか。
エマ。人好きで世話好きの女。
あいつは優しいままだった。
それがもどかしくも嬉しかった。
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