◆第54話◇

 ◇ ◆ ◇ ◆


 エマはおれの女神だ。

 少年院の都市伝説は本当だ。



 クロ。エマがその名を口にするとおれはいつもイライラした。時々現れては仕事をそつなくこなし時間になれば誰より先に帰っていくカッコつけ野郎。


 いつだかシフトが被ったとき、駅でエマと歩く黒田を見た。楽しそうに何か喋り続けるエマに答えるでも頷くでもなく歩き続ける男に嫉妬して頭の中で呪詛を吐いた。


 その夜は忙しく、せっかちな客に殴られろと思いグラスの位置を勝手に変えてやった。さあどうなるとニヤニヤしているとエマのフォローが入った。無事にドリンクを作る黒田の後ろからおれを見て首を振る。最悪だ。エマを悲しませたらしい。怒られた方がまだマシだ。


 営業後に呼び出された。クロの何が気に入らないのと聞かれたって何もかもとしか答えようがない。おれだって頑張ってるのに認められていないような気がしてむしゃくしゃした。


 解放され外に出ると黒田の後ろ姿が見えた。エマに注意されたばかりなのに足が勝手に先回りして喧嘩を売ってしまった。が、気付いたらおれは高架下で伸びていた。鼻血吹かされて顔はぐちゃぐちゃ。立ち上がると足元に札が舞い落ちた。痛む肋骨をかばって拾い集める。ちくしょう。黒田。次会ったら覚えてろよ。


 どうやってぶちのめすか脳内シミュレーションしてるのに待てど暮らせど次はなかなか訪れない。あいつがアナーキーに来ないのは願ったり叶ったりだが。


 それとなくエマに聞くと新しくオープンしたキャバクラで働いているらしい。人に頼まれて紹介したそうだ。

 胸に嫌な気持ちが広がる。何でだよ。また黒田が選ばれた。おれも黒服の経験あるのにと言うと「ハイジはバーテンの方が向いてるのよ」と肩を叩かれ、頼りにしてると付け加えられた。

 はぐらかされた気がする。でもまあエマがそう言うなら、それでいいか。



 ◇ ◆ ◇ ◆



「灰島さんじゃあね!」

「ハイジお先っすー」

「店長、お疲れ様でした」


「気を付けて帰れよ」



 閉店後、閉め作業をしていたときだ。店長として店を任されるようになってもうずいぶん経つ。その日もいつも通りレジ金を数えていた。足音が聞こえスタッフが忘れ物をしたのかとドアを見やると、長期の海外出張に行ってるはずのエマが現れて驚いた。伝えられた事にはもっと驚かされたが。


 事情があり店を閉めると言い出したのだ。


 そんな事はあり得ない。アナーキーはエマの魂だ。借金か、トラブルか、とにかく店を守る為なら何でもしてやるぞと詰め寄った。


 エマはおれを押し返すと現金の入ったキャリーケースを開き給料だと言った。封筒に入りきらず無造作にゴムで纏められた札の束を見て何も言えなくなった。


「一斉送信でいいから二日後に閉めると伝えてね。沢山電話が来ると思うけど、我慢して対応して欲しい。"何も知らない"で構わないから。お給料手渡し出来ないスタッフには振り込んであげて。口座番号聞くのよ」

「お前これからどうすんだよ。てか今までどこで何してたんだよ」

「お前じゃなくてエマさん。口のきき方に気を付けなさい。でも大丈夫。次の仕事もすぐ見付かる。あんた変わったよ。だから自信持って。そのうち大切な人もできるから、そのときは短気起こさないで優しくするのよ。わかった?」


 返事を聞かず出て行こうとするエマの腕を掴んだ。



「なんでおれなの?」

「え?」

「こういうの大体黒田とかに頼んでたじゃん。なんでおれなの?」



 エマは笑って首に飛びついてきた。



「あんたを見てると自分のしてきた事が間違いじゃなかったって思えるわ」



 去り際の目は濡れていたように見えた。

 エマのあごが乗った肩をおれはいつまでも撫で続けた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る