◆第43話◆
阿久津から連絡があったのはホテルに戻って三日目の夜だった。元教官が田代を知る後輩に会ってくれたと言う。
話をまとめるとこうだ。当時の教官達の目から見て田代は特に目立つ少年ではなかった。そもそも入所のきっかけはヤクザの使いっ走りをさせられてた事。以前から悪さの積み重ねがあり鑑別では済まなかった。要はいい加減頭を冷やせという事だ。付け加えると田代が主犯で動いた事件は一つもない。
生活態度も模範的だった田代は一度だけ問題を起こしている。相手は新人の教官だった。不良少年に舐められ、体育会系の先輩からきつく当たられる日々の鬱憤が一見大人しそうな田代に向かったのだ。集会への引率中の事だった。
先輩連中は大枠を直ぐに理解した。新人教官の田代への不適切な接し方は、見て見ぬふりをしていたのだ。ストレスの原因が自分達にあるという事が分かっていたので誰も注意しなかった。少年と直接接しない上層部は知り得ない事だった。
たまたまその場に居合わせ田代を引き剥がした上官はその週末飲みの席でこう言った。
「一見無害そうなタイプこそ取り返しの付かない事をしでかす。正しい大人が導かなくては」
場は白けたが上官の目は本気だったそうだ。
時が流れ田代の出所が決まったとき、彼の未来を心配する者はいなかった。たった一人を除いては。
その者の名は伊吹義男。田代を案じた上官だが、出所を見届ける事なく通勤途中の交通事故で死んだ。
少しの沈黙の後、電話の向こうからライターを擦る音が聞こえた。続けて溜息が。
「明日院に行く。話は通した」
真っ黒になった画面を見つめても何も見えてこない。明日何か分かるだろうか。また一歩やれる事の範囲が狭まり、焦る気持ちが湧いた。
◆ ◆ ◆
翌朝訪れた懐かしき学び舎で田代とトラブルを起こした教官に直接話を聞いた。淡々と詰める阿久津を前に男は震えるウサギのようになってしまった。
結局、元教官から聞いた話をおさらいしただけだった。阿久津は時間の無駄だったとでも言うように礼も言わず出て行った。
小さな会議室で男と二人になる。伏し目がちに立ち上がり、頭を下げられた。
「じゃあ、俺も失礼します」
「女神の話を知ってますか。もしくは天使」
怪訝な顔をされたが糸井に聞いた都市伝説を話すと少し表情が和らいだ。
「多分それ、伊吹さんの奥さんです」
「どういう事ですか」
「趣味と言うか、慈善事業みたいなものです。俺達はノータッチですよ。暗黙の了解でしたけど、公私混同ですから」
先を促すと男は椅子に深く座り直した。
「伊吹さんめちゃくちゃ面倒見が良かったんです。子供がいなかったから余計かも。おせっかい、行き過ぎ、偽善者だなんて陰口叩かれてたくらいです。俺も人に聞いた話ですけど、不安の残るまま見送る事になった少年を追って奥さんに声掛けさせるんです。問題があれば個人的にフォローする。善意百パーセントでしょうが社会的に完全アウトです。あくまで奥さんが食事を与えたり登録制のバイトを紹介する程度らしいですから、ここだけの話にしてください」
その奥さんとやらは誰も会った事がなく一切の情報がない。ただ、タイミング的にはギリギリ田代を拾った可能性がある。影の尻尾を掴んだのだろうか。
外で待っていた阿久津に伝えると、短くなったラークをバケツに投げ込んで歩き出した。もうここに用はない。
動き出した新幹線の中でふと思い出す。あの教官相手に礼を言って立ち上がったとき、なぜか「また来て下さい」と言われた。あれは一体どういう意味だろう。
◆ ◆ ◆
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