◆第42話◆

 大通りを歩いたが流しのタクシーは捕まらない。迎車を呼ぶ為に牛丼屋の住所を調べていると、男はお詫びに泊めますと言い出し俺の手からレシートを引ったくって破った。


 人の家に泊まる事には抵抗がない。自宅で過ごすより居候で渡り歩いた期間の方が長いくらいだ。


 ピースを咥えるとライターが伸びてきた。石を擦り火を守るように逆の手で囲い俺の口元に寄せる。切り口が燃え、煙が夜の空気に溶けると男はライターをしまい嬉しそうに笑った。調子良くひょいひょい歩く後ろ姿がトラと重なった。



 ◆ ◆ ◆



「散らかっててすみません。適当に座って下さい。コーヒーで良いですか?」

「寝る」


 頷いたように見えたが冷蔵庫から缶ビールを持ってきた。あべこべな奴だ。

 信じられない早さでシャワーを浴び終えると自分のビールを持って俺の向かいに座った。


「いやあマジ助かりました。ビールでよければ好きなだけ飲んで下さい」

「これ空けたら寝るからな」

「遠慮なんかしなくても朝までだって付き合うのに。何たって俺、ニートなんで。あはは」


 男は口の中が切れてるらしく眉間に皺を寄せながらビールを煽った。

 似てる俳優をテレビで見たような気がする。雑誌のモデルだったかもしれない。

 こんなツラが後ろにいればホストは気が気じゃないだろう。


「お前酒弱いのか」

「え? ああ、なんで内勤やってんだって話? シンプルに裏方の仕事が好きだからです。本当は舞台の大道具とか作る仕事がしたかった」


 おまけに正義感がある。昼職の方が合っているような気がした。気が向いたのでそのまま伝えてやる。


「正義感じゃなくて下っ端根性が染み付いてるんです。地元の先輩怖かったんですよ。昼職は経験ありますけど空気が合わないって言うか、早い話トラブっちゃって。この土地のネンショー出てからは大人しく夜職戻りました」

「入ってたのか」

「ここ地元じゃないんですよ。ぶち込まれたら帰る場所がなくなって居着いちゃいました。まあ、俺の事はもう良いじゃないですか。店長の話聞かせて下さいよ。ここに何しに来たんですか?」

「俺のキャストが殺されたんだ」


 男は驚かない。薬物売買からイブ殺し、田代の蒸発までを説明した。匿ってる女を突き止めに来たのだと。


「入所は俺とは違う時期ですね。名前も聞いた事もありません。知ってたら協力したかったけど」

「俺が世話になった教官が話を聞いてくれている。連絡を待っていたらお前に捕まった」

「ふうん。匿ってる女か……。ねえ、店長いた時こんな噂ありませんでした? ここの少年院は出所後に女神と会えるって」

「女神?」

「噂ってか都市伝説ですね。俺は会ってませんし。出所後フラフラしてると満月の夜に女神が現れるんです。そんで行くべき道を指し示してくれるって」


 俺がいた頃は女神ではなく天使だった。満月ではなく雨上がりの朝。行くべき道を指し示してくれる所は一緒だ。記憶する価値もないくだらない噂だと思っていた。


「似たようなのがあった」

「俺の知り合いで女神に会った人がいるんですよ。かなりのワルで教官に目付けられてたって言ってました。パチンコ帰りにすげえ美人が突然現れて、家に連れ帰って飯食わせてくれたって。くだらないと思ってたけど、その話思い出しました。」


 不良を拾う女神。お節介な保護監察員かもしれない。田代も拾われたんだろうか。阿久津の野郎はどうだろう。女神会ったかなんて聞いたら病院に連れて行かれるかもしれない。だが他にどう聞けば良いのか分からなかった。



 ◆ ◆ ◆



 翌朝。長居するつもりはなくいびきをかいて眠る男を揺すり起こした。


「ん……バスタオルは洗濯機の上です……」


 夜職の人間は大体朝が弱い。牛丼屋でこいつをぶち下ろしホテルに直帰しなかった事を今になって後悔した。


 新品のピースは昨夜切らしてしまった。男のマルボロに火を付ける。一口吸い込むと強いメンソールが脳を覚醒させた。喉が痛くなる。


 阿久津からの連絡はない。昨日無断欠勤したイオリから謝罪のメールが入っていたのでトラに転送するとすぐに返信が来た。つくづくできる黒服だ。


 沈黙を破るように男の携帯がけたたましく鳴る。顔の近くで鳴ってるにも関わらず微動だにしない。鼓膜おかしいんじゃねえのかと思いながらあまりの煩さに叩き起こした。


「……電話? あ、俺だ。げえ、昨日の連中だ。切っちゃお」

「おい、タクシー呼ぶから住所教えろ」

「え? もう行っちゃうんですか? 朝飯くらい付き合って下さいよ」

「暇じゃねえんだよ」

「あ、そうか。じゃあ、せめてケー番教えて下さいよ。何か分かったら連絡するし。その代わり新店出す時は、俺の事雇って下さい。キャバでもホストでも風俗でも。俺、店長の世界一忠実な内勤になるんで。あはは」


 男は俺の携帯を奪うと素早く操作し自分の番号を登録した。そのまま暗記していたタクシー会社に掛け、一台手配すると携帯は俺の手に返された。


「牛丼ご馳走様でした。タク代もありがとうございます。犯人見付かるように祈ってますから。それじゃ」



 乗り込んだタクシーの中で携帯を開いた。新しく登録されたメモリには"糸井竜二"とある。


 変な男だった。あの血まみれの笑顔も、きっと直ぐに忘れるだろう。


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