◇第36話◇
◇ ◇ ◇
玄関のドアが開く音で我に返った。あれから二日経ったらしい。バスタブの中で膝を抱えて過ごしていた。何かを考えていたような、何一つ考えていなかったような気がする。
エマちゃんは寄り道せず一直線にバスルームに入ってきた。高カロリーな菓子パンを投げて寄越すと目を伏せて溜息を付いた。言葉にされなくても空気感で分かる。なんか苛々してるみたいだ。
バスタブに腰掛け俯く横顔は少し痩せたように見える。こんな状況じゃなければ「もしかして恋してる?」なんて軽口を叩く所だけど黙って食べた。最後の一口を飲み込むとエマちゃんが口を開いた。
「シロ、あんたなんで少年院入ったんだっけ」
「違法クラブ摘発のとばっちり」
「どうだった?」
「別に普通の更生施設だよ。教科指導はあんま覚えてないけど小説は結構読んだよ」
「本なんか読んだんだ」
「母親が差し入れてくれたんだ。お笑い芸人が書いたやつが面白かった」
声は出にくかったけどもっと沢山喋りたいと思った。怖い以上に寂しかったのかもしれない。
「仲の良い教官とかいた?」
「怖くない人はいたけど個人的に仲良くなった人はいない。てかそういうのは禁止されてる。無駄に話しかけたら普通に怒られるよ」
「ふうん」
なんで少年院の話なんかしだしたんだろう。調子に乗って理由を聞きそうになったけどエマちゃんが立ち上がったから口を閉じた。
バスルームを出るとコーヒーを淹れ、湯気の立つマグカップを手に戻ってきた。熱々の液体をオレに渡してくれる。これを顔面にぶっかけてやったらどうなるだろうと想像する。
「クロまで動き出したの」
黒?
「店のキャバ嬢に焚き付けられたらしいの。クソ女。特定して二度と接客出来ない顔にしてやろうかしら。匿ってる人を捜す為にあんたの少年院まで行くんですって。つまりあたしたち二人してヤクザに追われるの。犬のオマケ付きでね」
ああ、思い出した。イブが最後に助けを求めた相手だ。店の従業員だったのか。でも。
「あそこに行ったってエマちゃんには繋がらない」
「それがそうでもないんだな。もう退職したど知ってる教官がいたの」
「教官なんかどこで知り合うんだよ」
「旦那。もう会えない」
クラブのオーナーに法務教官。変な組み合わせ。
自給自足というか、この二人の間でガキがぐるぐる廻ってる妄想に取り憑かれた。
「あの人はね、性善説を信じてた」
例えば学校に行ってないってだけで馴れ馴れしく君の気持ちが分かるとか言ってくる大人がいる。例えばコンビニの前でたむろす輩の輪の中に入って一緒になって座り込み、二三言葉を交わすと早く大人になれよ、とか何とか言って去って行く大人がいる。狂犬を手懐けた気になって偉そうにする、兄貴分気取りの大きな子供。
この手の人間てのは三食きちっと食べれるし毎日洗い立ての服を着る。親の財布から金を抜くのは死活問題じゃない。どうせ最後は大学出て就職して結婚して俺も昔は悪かった、とか自分の子供に言い聞かせる。もしくは国家公務員になって少年院に勤める。ちくしょう。羨ましい。
オレ、生まれ変わったらスーツ着て首に社員証とか下げてみたい。真人間の証明書。欲しい。
ってかOLってみんな一人暮らしなのかな。タイプじゃなくてもいい。オレを好きだと言ってくれる女が現れたら、すぐに結婚して子供つくる。
いや、無理だろうな。
オレは通勤電車に揺られるより死体を捨てる方がよっぽど似合ってる。我ながら神の失敗作としか思えない仕上がりだ。
死ぬのが怖くなくなったような気がした。と言うより、生きている価値がないと思った。
風呂場に繋がれて頭がおかしくなっちまったんだろうか。監禁生活のリアリティが薄れてきたみたいだ。
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