◆第35話◆

 阿久津は帰らない。


「おい」

「女に恥かかせるわけにいかねえだろ」

「お前の貞操観念なんか聞いてねえよ。あいつ何なんだ。すげえ喋ってたぞ」

「馬鹿馬鹿しいと思ったか」 

「篠田が共犯とは考えもしなかった。もう何度も店に出入りしてた」

「可能性を潰していくしかない。まずは田代の過去を洗って奴を匿ってる女を探すぞ。篠田の野郎はその後だ。当分優しくしてやれ」

「どこから調べる。篠田に電話してみるか」

「お前、俺を誰だと思ってんだ」


 火を付けたばかりのピースを引ったくられた。


「ガキの身辺洗うくらいすぐ出来る」

「それが出来るならキャバ嬢なんか頼るなよ。ガキの隠れ場所くらいさっさと見付けろよ」


 ライターが飛んできた。飛んでくると分かったから受け止めた。最悪だ。何でこいつ嬉しそうなんだ。



 ◆ ◆ ◆



「え?」


 豆を挽く手を止めエマが眉を寄せる。


「皮肉だぜ。俺の母校だ」


 阿久津は田代の過去を現在から遡って調べ上げた。渡されたファイルを捲ると見覚えのある名前があり記憶の蓋が音を立てる。田代が収容されていたのは俺が世話になった少年院だ。


「行って何するの?」

「知り合いの教官が残っていれば話くらい聞いてもらえるかもしれない。そこで田代と少しでも繋がりのある女が見付かれば御の字だ」

「男二人で新幹線乗るのね」


 忌々しいビーズの音がしてコーヒーの到着を知る。


「大変ね。阿久津君もクロまで付き合わせる事ないじゃない」

「いや」

「行きたいって言ったの?」


 行く以外の選択肢が俺の中に最初からなかっただけだ。返事を待たずにエマが続ける。


「どうして突然田代の過去を調べ出したのよ」

「キャストのアドバイス」

「信じられない。店の女の子巻き込んだの? あたしは行く必要ないと思うけど。もう篠田を締め上げればいいじゃない。元凶よ。そっちの方が効率的だわ」

「全部キャストの想像なんだぜ。賭けたんだよ。見当違いの可能性もある。一か八かで数少ない繋がりを手放すわけにはいかない」 

「それにしたって……」


 エマは心配そうな顔をしている。元々過保護気質の女だ。ふとエマとの出会いを思い出した。



 少年院を出た俺は人の道に戻れず最終的に特殊詐欺グループに落ち着いた。言い切れるがゴミ溜めには頭のおかしい奴しかいない。


 これ売ってこいとハイエースごと押し付けられたのは業務用冷凍庫だった。当然一般家庭は全敗。飲食店にしたって初期設備の最たるもんだ。売れる訳がない。その日食う物の事しか考えられずヤケクソで訪れた小さなクラブで冷凍庫は売れた。箱の名はアナーキー。オーナーの女は何も言わずにレジを開けると札を鷲摑みし俺の足元にばら撒いた。


 這いつくばって拾い集めた。何の感情も湧かなかったが頭に落ちてきた言葉は俺の手を止めさせた。「おなかすいてる?」初めて会った日、エマが口を開いたのは、その一回きりだった。



 田代を捕まえたらエマは俺を子供扱いしなくなるだろうか。はみ出し物を放っておけないこの女を、安心させてやる事が出来るだろうか。


 そんな事を考えていたら口が勝手に喋り出した。


「犯人を見付けて償わせてやりたい」



 エマは俺が立ち上がっても見送る素振りを見せない。帰り際飲みかけのコーヒーはシンクに流してしまった。小っ恥ずかしかったし、やたら酸っぱかったからだ。湯の温度まで拘るエマにしては珍しいと思った。俺が顔を熱くさせる事はもっと珍しいが。



 ◆ ◆ ◆

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