第9話

 その夜、営業を終えキッチンでトレンチを磨いているとトラが話し掛けてきた。


「クロさん、代表なんて言ってました?」

「チンピラをよく見とけってよ。そんなんばっかだぜ。あいつ夜職未経験じゃねえのか」


 トラは歯の隙間から息を漏らすように笑った。まだ若いが仕事中は上手く立ち回る。昼職ならスポーツ系のアパレル店員でもやっていそうな見た目をしている。


「忙しい人っすからね。売上げ回収でしか店に来ないのはクロさん信頼してる証拠っすよ」

「あいつと話してると疲れる」

「はは。まあ気に入られといて損はないっすよ。今だって給料いくら貰ってんすか?」


 ダスターを投げ付けると嬉しそうに笑った。

 残った仕事を引き受けると黒服を全員帰した。キャストはとっくに送りの車に詰め込み残ったのは俺だけだ。



 内側から店の鍵を掛ける。事務所に入り金庫を開けると紙切れの入ったピルケースを取り出した。

 イブのロッカーを漁り見付けた薬物だ。処分するつもりで迷わず盗んだ。


 イブが辞めた今、薬の存在は俺としては終わった事だった。念の為報告をしただけだ。しかし思っていたよりこだわられた。阿久津の価値観はよく分からない。


 帰り際薬の出所を調べろと言われたが返事はしていない。やはり面倒事は上司に丸投げしてしまおうと携帯を開いた。こんなものいつまでも持っていたくない。

 阿久津の番号を押す一秒前に着信が入り、うっかり出てしまった。登録外の番号からだったが仕方なく耳に当てる。少しの間があってから息の音が聞こえた。



「……クロちゃん」



 囁くような声量。



「助けて」



 次に聞こえたのは騒音だ。電話は切れてしまった。手の中で黒くなった画面を見つめる。


 はっとして荷物をまとめると阿久津に電話を掛けながら走って店を出た。あの野郎こういうときに限って繋がらない。


 道路に飛び出しタクシーに手を上げた。繁華街を抜け住宅地に入るとすぐにエマから借りてるアパートがある。適当な所で車を降り部屋の鍵を探っていると携帯が鳴った。


「何だ」

「多分イブだ。変な電話があった」

「内容は」

「助けを求めてた。近くに誰かいるみたいだった」


 食い気味な舌打ちが飛んでくる。


「お前は今どこなんだよ」

「家だ。エマの固定電話がある。留守電を確かめに」

「そこにいろ」


 靴も脱ぐ余裕もなく部屋に上がり込み確認した。留守番電話はゼロ件だった。気が抜けて座り込む。

 携帯にかかってきた番号にはやはり見覚えがない。店の人間の番号は全員分登録をしているからイブであるとは言い切れないが胸騒ぎがあった。


 脈に合わせてこめかみが痛んだ。携帯を睨みながら連絡を待っているとインターホンが鳴った。まさかと思ったが阿久津だった。


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