◆第2話◆

 ◆ ◆ ◆


「邪魔だ! どけ! 死ね!」


 金曜の夜は戦場だ。チケットのもぎり要員だったはずの俺は無理矢理バーカウンターを手伝わされた挙げ句、初対面の男性従業員に殺されそうになっている。


 クラブの名はアナーキー。サイケばかり流す色気のない小さな箱だ。


 重低音をぶち鳴らす巨大なスピーカーは至る所に設置されている。光と音の洪水で耳元に顔を寄せ声を張らなければ人の声は全く届かない。

 ムスクが香り他人の接近を知る。


「クロ、何探してるの」

「コカボムのグラスどこいった」

「ここ」


 エマと呼ばれるこの女は箱の経営者だ。店長として現場に立っている。年齢不詳。いつも長い黒髪を黒人のようにきつく編み込みスカーフで一つ結びにしている。


 砂時計型のグラスに酒とジュースを交互に入れ、完成した液体をお待ちかねの客にサーブする。去り際何か文句を言われたようだが聞こえない。いつもの事だ。


「ごめん、さっきの新人まだ教育途中なの」


 エマはバケツとダスターを持ってダンスフロアに降りていった。DJブースとバーカウンターはフロアより高い位置にあり、音に合わせて縦に揺れる客の頭を見ていると酔いそうになる。


 酒を作り男になじられ一晩をやり過ごした。朝方手渡された給料は約束より数枚多かった。話と違う仕事までさせられたのだから遠慮する理由はない。黙って受け取り領収書にサインした。


「またお願いね」


 白々しい。


 下水臭い階段を上がり地上に出る。長時間爆音に曝された耳には綿を詰められたような不快感が残る。



 高架下。目の前に立ちはだかる影が俺に合わせて左右に動く。顔を見なくても誰だか分かる。


「エマさんのお気に入りだからって調子乗ってんじゃねえよ」


 目眩がした。


「何とか言えよ」


 掴みかかる手を払い軸足を引っ掛けてしまった。溝打ちを叩き、よろけた男の靴を踏み顔面を殴ってしまった。


 吹き上がる鼻血が俺の袖を汚す。最悪だ。またエマに怒られる。


 視界が定まるとポケットから給料袋を取り出し、白目を剥いて倒れる男の上着に余分に貰った札を突っ込んだ。手を合わせる。二度と関わるなと願った。


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