第三市 新潟グルメ戦争

 黒雲が空一面に立ち込めていた。雷電がばちばちと雲の隙間を縫って走っている。

 雷鳴が響き、黒雲の中心が光り輝くと、その中から巨大な龍がうねりながら、姿を現した。


 龍は新潟の地へと降り立つと、その姿が変わる。龍のいななきは白馬の嘶きへと変化していた。葦毛あしげの馬には白い頭巾をかぶった武将が騎乗している。

 そのいかつい顔をさらにしかめて、武将は周囲を見渡した。そして、その傍らにはピチッとしたスーツを着た秘書然とした女性がいる。


 武将は上杉謙信うえすぎけんしんで、女性はモモちゃんであった。


 巨岩が破壊されていた。それを行っているのは巨大なブルドーザーである。

 けたたましいエンジン音を響かせつつ、キャタピラは周囲の岩をものともせずに、新潟の街へと近づいていた。


 やがて、ブルドーザーはその姿が変わる。前部に取り付けられたブレードは右腕へと変形し、後部エンジンは左腕と化した。キャタピラはガシャガシャと折りたたまれ、それぞれスーツ姿の人間の足へと変形していく。そして、搭乗部分が人間の顔へと変わった。

 頭は剥げかかっているが、溌溂として精悍な顔立ち。田中角栄たなかかくえいであった。そして、ブルドーザーに搭乗していた男もまた、その変形に合わせて、その傍に自信に満ちた表情で佇む。イチロー兄さんである。


 そして、海からは、荒波を乗り越え、航空母艦、赤城あかぎが新潟へと迫っていた。そして、一機のプロペラ機が空母から飛び立つ。

 龍の放つ稲妻も、ブルドーザーの蹴散らした岩をもものともせず、新潟の街へと着陸した。


 そこに乗っていたのは誰あろう、山本五十六やまもといそろくと俺であった。

 俺たちはゴーグルを上げると、飛行帽を脱いで、その素顔を露わにした。


   ◇   ◇   ◇


 剣呑な殺気が周囲を包み込んでいた。

 もはや、一触即発。いつ戦いが始まっても早くはない。


 そう思っていた矢先、突如、雷電のように静寂を突き破るものがあった。イチロー兄さんである。


「ハッハッハッハ、これは愉快。まさか、このような形で三人が再会しようとはな」


 実に呑気な物言いであった。これから、三人で殺し合いに発展するかもしれないのだ。いや、新潟県民の中でも東京都で音に聞こえた三人のつわものが揃っているのである。無事であるはずがないのだ。


「ゴローよ、実につれない物言いじゃないかね。私たちがいる場所を戦地だとでも思っているのかな。

 違うぞ。ここは、あくまでリゾートよ。我らの戦いを楽しもうじゃないか」


 イチロー兄さんは相変わらずだ。だが、下手をすれば命を失いかねない。


「やほっ」


 モモちゃんは上杉謙信の背後から手を振っている。彼女も実に呑気だ。


「そうだな。では、俺ったから始めさせてもらおう」


 上杉謙信が重々しい口を開いた。

 空気が重い。一体、何を始めるというのだろう。


   ◇   ◇   ◇


 上杉謙信が再び龍へと変貌し、天空へと舞い上がった。

 黒雲もまた雷電を震わせ、やがて何物かが地上へと降り注ぐ。


 モモちゃんはそれをザルで受け止めると、腕をぐるんと回してその衝撃を和らげる。そして、煮立った鍋の中に突っ込んだ。

 龍は大空を悠々と飛び回っていたが、猛スピードで地上へと降りてくる。それをモモちゃんが寸胴鍋で受け止めた。龍は液体と化していた。


 モモちゃんはいくつものどんぶりを並べると、そこにタレを次々に入れていく。そして、龍の変化した液体を注いでいった。

 液体は湯気を立て、濃厚な醤油や味噌の食欲をそそる匂いが立ち込める。そこに、ザルの中で茹でていたものを取り出すと、湯切りをし、どんぶりに流すように入れていく。それは麺であった。


「はい、お待ちどおさま! 新潟のラーメンよ」


 そう言って、モモちゃんは俺と山本五十六、イチロー兄さんと田中角栄、そして、審査員たちの前にラーメンを差し出していった。

 俺たちの前に置かれたのはオーソドックスな見た目の醤油ラーメンだ。ナルトにメンマ、それに海苔。刻んだネギが散らされ、ほうれん草も入っている。ふんだんに盛られたチャーシューが嬉しい。

 食べてみる。


「んんっ、これは……!」


 生姜の鋭い味わいが口内を駆け巡る。実に特徴的な味わいのラーメンであるが、生姜の香りは食欲を掻き立て、見事なアクセントと化していた。

 どうにも、食べ進める手が止まらない。何より、新潟の寒空の下で食べるラーメンの美味しいこと。ほっこりとした温かみがあった。


「生姜は身体を心から温めてくれるからな。滋味が深い。

 それに、長岡ながおかの醤油を使っているな。郷土に馴染み深い、いい味わいがする」


 山本五十六も長岡生姜ラーメンを思わず褒めたたえたようだ。

 確かに絶品のラーメンであった。


「こっちは背脂ラーメンだな。つばめ三条さんじょう背脂ラーメンというのか」


 イチロー兄さんたちの前に出されたのは、また別のラーメンのようであった。

 見た目の特徴はスープに浮かんだ背脂であろう。チャーシューやメンマのほか、刻んな玉ねぎが乗っている。

 イチロー兄さんと田中角栄がそのラーメンをズルズルと啜り始めた。


「なるほど、これは濃厚だ。こってりとしているが、煮干しの味わいも強いな。玉ねぎのシャキシャキ感もあって、思ったよりも爽やかだ」


 イチロー兄さんは言葉以上に美味そうにラーメンを啜っていく。


「こいつは、うん、いやぁ、美味いな。脂ぎった味わいかと思ったが、それ以上に煮干しの旨味が効いている。麺もモチモチしていて、これは食べ応えがあるな」


 田中角栄も絶賛していた。

 この高評価に私は少し焦り始めた。


「この濃厚味噌ラーメンも美味いな。鰹と鶏がらの出汁が濃ゆいくらいに出てる。それが実にたまらんな。

 割スープで好みの濃さに調整できるのも面白ぇ」


 濃厚味噌ラーメンを食べた審査員の新潟県民サムライが太鼓判を押した。


「新潟あっさり醤油ラーメンも捨てがたい。まさしく、昔ながらの醤油ラーメンだけど、鶏ガラに煮干しが加えられているのが特徴的だ。こういうのでいいんだよなあ、と言いたくなるラーメンの極致だろうな」


 審査員の新潟県民プロレスラーが唸る。


「三条カレーラーメンも美味しいのだ。カレーをラーメンのスープにする安直な発想だけど、麺もカレーも美味しければ、文句の言いようのない味わいなのだ」


 審査員の新潟県民漫画家が褒めちぎった。


「これこそが、新潟の五大ラーメンです。お楽しみいただけましたか」


 モモちゃんから会心の笑みが漏れていた。


   ◇   ◇   ◇


「ゴロー君よ、仕込みは上々だろうな」


 ポンっと山本五十六が俺の肩を叩いた。それに対して、俺は頷きで返す。

 上杉謙信とモモちゃんの仕込んだ新潟ラーメンは美味かった。だが、付け入る隙は十分にある。なぜなら、この新潟の地の利点を活かしきった料理とは言えないからだ。


海兵新潟県民たちよ、かかれ!」


 俺が号令を出すと、次々に軍艦が新潟港へと寄港してくる。その中から、さまざまな海産物を抱いた海兵たちが人糸乱れぬ行進とともにこちらに向かってきた。


「炊き方、始め!」


 再び、号令を出す。それとともに、米を研ぎ、釜に火を炊き、一斉に炊飯を始める。やがて、炊き立てのご飯のいい匂いが漂った。


「捌け!」


 今度は別の海兵たちが持ち寄った海産物を一斉に捌いた。


「並べ!」


 切り身の魚が俺の前に並べられた。さらに、ご飯はすっかり冷めたものとなっているが、酢で締められている。

 これだ。ラーメンにはない新潟の魅力。それは海鮮であり、米であるのだ。


 俺は江戸前で培った技術に、新潟の寿司職人の現地の業を上乗せし、次々に寿司を握る。

 それを器に整えると、海兵たちによって運ばれていく。イチロー兄さんと田中角栄、モモちゃんと上杉謙信、それに審査員の前へと供された。


「これはブリだな。佐渡の寒ブリが有名なのか。

 ほう、これはとろけるような味わいだな。脂身がたっぷりということか。脂の旨さが口の中で溶けていく。それをシャリとともに頬張るのはまさに至福。ピリリと聞いたワサビの刺激も良いな」


 イチロー兄さんがブリを食べた。ふふ、かなりの好感触のようだ。


「はは、真鯛か。白身魚の王様だよなぁ。

 ふは、この鮮烈な味わいは何だ。まさに純粋な旨味の塊といえるなあ。それにコリコリした食感! それを支えるコシヒカリのシャリ、これはもはや言葉では言い表せんわい」


 田中角栄は真鯛を食べている。夢中で味わっているようで嬉しい。


「これはアオリイカね。うふふ、純白が綺麗ね。

 え? なにこれ? イカとシャリってこんなに合うものだったの? しっかりした歯応えなのに、ご飯と絡み合って、まるでほぐれていくみたい。滑らかな食感もいいけど、香りも味わいもバッチリ。すごい、これ、すごい美味しい」


 モモちゃんはアオリイカを食べていた。自信作だ。気に入ってくれたようで、安心する。


「これはマグロか。初めて食べるな。俺の時代では下魚だったすけな。

 ほう、なんと濃厚でとろける味わいであるか。醤油の味わいを吸収し、酢飯との相性抜群。なんと、美味であるか」


 上杉謙信がマグロを食べる。口に合うか心配だったが杞憂だったようでホッとした。


「南蛮海老か。いや、今は赤海老と呼ぶんだったか。しかし見事な朱色よな。

 ほう、これはプリプリだ。噛みしめるごとに旨味が弾ける。これは素晴らしい。シャリとも見事に融合している」


「新潟ウニか。これも名物だよな。

 複雑な味わいの食材だが、見事に一点化されている。むほほ、この香り、一線級だわい」


「いくらも見事なものなのだ。赤い宝石が散りばめられているみたいなのだ。

 ぷちぷちとした食感が堪らんのだ。弾ける一つ一つに旨味が凝縮されていて、それがシャリと混ざり合って絶品の料理となっているのだ」


 審査員たちの評判もいい。

 やはり寿司は美味い。そのことが証明されていくようだ。


 俺はどんどん寿司を握る。審査員たちもどんどん寿司を食べる。

 ラーメンで温まった身体には寿司のような冷たい料理がちょうどよく、するりと入っていくのだろう。


 そして、俺の狙いはそこにこそある。

 寿司は知らず知らずのうちに食べ過ぎてしまう食べ物。これを食べてしまえば、もはやイチロー兄さん陣営の料理なんて腹に入らないはずだ。

 となると、モモちゃんのラーメンと俺の寿司の一騎撃ちとなる。ならば、後攻であるこちらが勝つのが世の倣い。


「ふふ、勝ったな」


 俺は勝利を確信していた。


   ◇   ◇   ◇


「勝ったと思ったか。顔に出ているぞ。

 だがな、勝負というものは勝利を確信して笑みを漏らしたものが負けるのだ」


 イチロー兄さんが言い放つ。

 俺は笑っていたのか。ハッとして、顔を触って無理やり笑みを止めた。


 しかし、審査員たちはもはやお腹いっぱいだ。どんな料理を出したとて、満足に味わうことはできまい。一体、何をどうやって勝つというのだ。


 パチンッ


 イチロー兄さんが指を弾くと、ブルドーザーが大量に現れ、土木工事を完成させていく。そうして出来上がったのは酒蔵であった。

 その酒蔵から壺やビンを持ち出し、徳利に注ぎ、俺たちや審査員の前に置いたお猪口に注いでいった。


「さあ、どうぞ」


 はあ? これが料理だというのか。単なる日本酒ではないか。

 そうは思うが、目の前に出された酒の魔力というものは抗いがたい。俺はお猪口を手に取ると、一息に飲んだ。

 ピリッとした辛口ですっきりした飲み口、後になって爽やかでフルーティーな味わいが伝わってくる。なんだ、この不思議な美味しさは。何という酒なのだろう。


「これは八海山はっかいさんだな。いやはや、美味だな。こんな爽やかな飲み口では、腹が一杯だなんて言ってられんだろう。飲まずにはいられんぞ。うーむ、酒まんじゅうが食べたくなるわい」


 山本五十六が唸る。

 なるほど、そういうことか。腹がいっぱいでも、酒は飲める。美味い酒なら、なおのことだ。


「うわぁ、何かしら。この華やかな味わいは。キレがよくて、すっきりしてる。なんだか冬に咲く梅の花が思い浮かんじゃうな」


 モモちゃんが独り言ちていた。彼女の飲んでいる日本酒も別のもののようだ。


越乃寒梅こしのかんばいだな、これは。大吟醸らしいキレのある味わいだが、どこか心が華やぐものがある。いい酒だな」


 上杉謙信もまた上機嫌で越乃寒梅を飲み干していた。イチロー兄さんはそれに目ざとく気づき、お猪口に酒を継ぎ足す。


「ふむ、これは久保田くぼただな。まるで水のように飲めてしまうが、しっかり旨味があるのが不思議なところだ」


「水も米も新潟県産のものにこだわっている証だ。だからこそ、これだけ純度の高い酒となるのだろう」


「そんなことはどうでもいいのだ。酒はグビグビ飲めて酔っぱらえれば、それでいいのだ」


 審査員たちも夢中で久保田を飲み干していた。しかし、飲んでも飲んでも、イチロー兄さんが継ぎ足すため、一向になくなる気配はない。

 これは良くないことなのではないか。そう思い、抗議の声をあげようかと思ったが、目の前に出された酒を飲むうちに、段々とどうでもよくなっていった。


「ふはははは、真に美味いものは酒だ。これが真実。当然のことだったな」


 田中角栄の勝ち誇った言葉をどうにか覚えている。


   ◇   ◇   ◇


 ぐぐぐ、頭痛が痛い。これは二日酔いだ。


 苦しむ私とモモちゃんにイチロー兄さんが水を差しだしてきた。

 グビグビと夢中で飲む。二日酔いの時の水ほど、身体が欲するものもない。しかし、それはすぐになくなってしまった。どうしようもない渇きが全身を蝕む。

 水だ、もっと水が欲しい。


「ふふ、しょうがないな。だが、みんな酔っぱらったせいで、勝負はうやむやだ。

 こんなところに長居をしてもしょうがない。南へ進むぞ」


 もう一杯の水をもって現れたイチロー兄さんが言った。

 だが、その目は勝利したのは自分だと言いたげなものだ。


「い、いや、ほれの寿司がひちばんだったでしょ」


 呂律が回らないまま、イチロー兄さんの目に対して抗議の声を向ける。


「あ、あーしのらーめんが一番美味しかったはずれす」


 モモちゃんも同じような主張をする。


「ハッハッハッハ、これは結果が証明しているな。とっとと、二日酔いを直せ。出発の時間だ」


 イチロー兄さんの高笑いが頭痛となって俺の頭の中で響いていた。

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