第十六県 天空の城、長野

第一市 槍ヶ岳

 俺たちは新潟より南下し、遥かなる高みを目指していた。

 そう、天空のさらに先にあると噂される伝説上の秘境、長野県を探し求めて旅を再開したのだ。


 新潟からは海路で糸魚川いといがわへと入港し、そこからは陸路、白馬連峰はくばれんぽうへと踏み入る。

 山というのはどれだけ慣れたつもりでも、時としてその険しさを剥き出しにするものだ。単純に、上り坂というのは体力の消耗が激しいということもある。


 横目に白馬大池はくばおおいけと呼ばれる湖を眺めることができた。緑の大地にふっと湧き上がるかのように青色が広がり、そこからは白い雲が立ち上っている。

 綺麗な景観に勇気づけられるが、それで疲れが癒えるものでもない。


「はぁはぁ、こんな歩きでさ、長野県になんて、辿り着けるものなの?」


 思わず愚痴が出た。

 すると、モモちゃんが人差し指で天空を指しながら、俺をたしなめる。

 すでに夏ということもあり、ピンク色の長そでTシャツに水色のウィンドブレーカーを羽織り、ボトムズも白いハーフパンツに黒いロングタイツという出で立ちであった。


「もう、ゴロちゃん、まだ登り始めたばかりよ。すぐに弱音を吐かないの」


 しかし、私の前にある山頂碑には新潟県最高峰と書かれている。あの広大な大地が広がる新潟県の最高峰なのだ。思い過ごしでなければ、とんでもなく高い場所まで来ていると思うのだが、気のせいなのだろうか。


「ふっ、確かにここは新潟県の最高峰なのだろう。だが、よく見てみろ。

 ここは小蓮華山これんげさんだ。まだまだ小さい場所だという意味だろう。先はまだまだ長い。気を緩めるなよ」


 イチロー兄さんがなぜか勝ち誇ったように言い放つ。

 彼はオレンジ色の薄手のロングシャツにグレーの登山用パンツという軽装であった。だが、高所に登って寒くなってきたのか、深緑のアウターを着込み始めている。


「そうねぇ。ここから白馬岳しろうまだけ唐松岳からまつだけ鹿島槍ヶ岳かしまやりがたけと並みいる山々を越えていかなきゃ、到底、長野県には辿り着かないはずよ」


 そ、そんな。モモちゃんの言葉に、俺は絶望的な気分になる。

 だが、イチロー兄さんは俺の背中をパンパンと叩いた。


「ゴロー、まずは目の前の山に集中しろ。一つ一つ、確実に登っていくんだ。そうすれば結果は自ずとついてくるだろう」


 やたらポジティブなイチロー兄さんの言葉に俺は少しだけ感動する。そんなものかもしれない。

 よし、今は一歩一歩、ただ進んでいくだけだ。


   ◇   ◇   ◇


 いくつの山を越えただろうか。

 今まさに最難関ともいうべき山に立ち向かっていた。


「これが槍……。いや、槍ヶ岳か」


 イチロー兄さんでも思わず唾を飲み込んでいる。

 だが、その次の瞬間には、壁ともいうべき垂直に近い断崖を登り始めた。僅かな岩の窪みを見つけると、それを手がかり、足掛かりにし、ガシガシとでもいうべきスピードでどんどん先へ登っていく。

 やがて、少しスペースのある場所まで来ると、フックでロープを固定し、こちらに向けて下ろしきた。


「お前たちも登ってこい」


 まずはモモちゃんに先を譲る。彼女はハーネスにロープを通すと、それを保険として、イチロー兄さんと同じく、僅かな窪みを頼りに登っていった。

 モモちゃんがイチロー兄さんと合流すると、今度は俺の番だ。


 ハーネスにロープを通す。そして、窪みに手と足をかけるが、どうにも踏ん張りが効かない。もはやロープを頼りにして、登っていくしかなかった。

 まさしく、槍の柄を登っているような感覚だ。まるで足がかりがないのだ。


「ロープは万が一の保険だ。あまり頼りにし過ぎるな」


 登りきると、イチロー兄さんがそう言った。

 無茶を言う。とも思うが、二人はそれで登り切っているのだ。何とも言えない。


「さあ、もっと先へ行きましょう」


 モモちゃんがそう言うと、イチロー兄さんはさらに先へ登っていく。そして、ロープを垂らす。

 俺は二人についていくので、精一杯だった。


   ◇   ◇   ◇


「はぁはぁ、ぜぇぜぇ」


 もはや完全に満身創痍だ。けれど、全身を充足感が満たしていく。


「着いた! ついに頂上だ!」


 槍ヶ岳の山頂に辿り着いたんだ。苦労が報われる思いだった。

 だが、イチロー兄さんは訝し気な表情をする。


「ここが天空? 違うよな」


 ううぅ。ここがゴールではないというのか。

 しかし、これより先があるというのだろうか。言うなれば、ここは槍の穂先。ここよりさらに上なんてあるはずもない。


 そう思った瞬間、地面が揺れた。そして、巨大な人影が現れる。


「貴様ら、東京都民だな!

 そうとあっては捨ておくことはできぬ。我が槍の錆としてくれるわ!」


 若々しくも力強い溌溂とした声が聞こえた。

 巨人は槍を手に取るように、槍ヶ岳そのものを持ち上げる。


「うわぁっ!」


 もはや地面が揺れるなどという生易しい状況ではない。振り落とされる。こんな遥かな上空から地上へと突き落とされるのだ。

 俺はもはや観念した。


「しぇいっ!」


 イチロー兄さんの気迫が響く。そして胸ポケットからっ万年筆を取り出すと、天空へと掲げた。万年筆は輝きを放ち、空を切り裂く。

 その裂け目から光が降り注ぐと、イチロー兄さんの身体が銀色に輝き、巨大化した。


「むんっ」


 イチロー兄さんは俺とモモちゃんをその手で救うと、拳の中に押し込めた。

 次の瞬間には強い揺れが襲う。槍ヶ岳を槍に見立てた巨人によって攻撃を受けているのだ。


 巨人は赤い陣羽織の舌に真っ赤な鎧を着ていた。兜もまた深紅の出で立ちであり、鹿のように枝分かれした角に、六文銭を象った家紋が中央に配置されている。

 あれは、まさしく……。


「まさしく、真田幸村さなだゆきむらですね。彼は東京都の創設者というべき徳川家康公とくがわいえやすこうに戦いを挑み、死んだと伝えられています。

 溢れる闘争心を抑えられず、死してなお、東京都民の血を求めているのでしょう」


 先に言われてしまった。

 だが、激しい攻撃を繰り返す真田幸村に対し、イチロー兄さんは反撃をしようともしない。


「大義もないのに変身してしまった……」


 珍しく、イチロー兄さんから弱気な声が聞こえた。

 彼はただ両上腕で顔から胸をガードし、攻撃に備えるだけだ。これこそ肉のカーテン。これにより、槍の連撃にも耐えることができる。けど、この防御技は光の巨人の技だったか!?


「イチローさんには期待できないみたい。私たちでどうにかしましょう」


 モモちゃんが耳打ちしてきた。

 だけど、一体どうやって……?


「真田幸村の弱点と言えば十勇士に決まってるでしょ。ゴロちゃん、忍法を使って真田幸村に対抗するのよ」


 急に妙なことを言いだす。

 俺に忍法なんて使えるはずもない。モモちゃんなら使えるだろうけど。


「私には無理だよ。ゴロちゃんは剣の修行してたからできるでしょ」


 いやいや、なんで剣の修行をすると忍法ができるようになるんだ?

 モモちゃんは仙道が得意なんだし、仙道は忍法と起源は同じと聞いたことがある。だったら、モモちゃんなら忍法も使えるはずでは?


「ええぇ~? そんなの迷信だよ!」


 モモちゃんも頑と譲らない。


 だが、そんないさかいをしている間にも、イチロー兄さんの身体は傷つき、ガードも緩み始める。


「そこだぁっ! 覚悟せよ、東京都民!」


 真田幸村の狙いすました雷光の如き一閃がイチロー兄さんの脳天目掛けて放たれようとしていた。

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