第四市 そんなのわかんないし

 猛獣がその名の通り、猛威を振るっていた。

 空は血の色に染まっている。その猛獣の名前の通りに。


 緋熊ヒグマが暴れていた。その巨体は街を一薙ぎにするほどで、その大きく太い爪が振るわれるたびに、周囲の生物が血をほとばしらせて死んでいく。


「この極寒の地を生き抜くために巨大化したようだな。

 恒温動物は巨大であるほどその熱を体内に保存することができる。そのため、身体の小さな熊は淘汰され、ああいう巨大な熊が生き延びてきたのだろう」


 そうは言っても、さすがに巨大に過ぎる。とても勝てる相手ではない。ここは避けて通るしかないだろう。


「そうはいかないみたいよ。ほら、緋熊の向かう先、稚内わっかないには北海道民セントバーナードの街がある。見捨ててはおけないんじゃない」


 モモちゃんがそう言う。

 ぐぬぬ。でも、あんなのにどう戦うっていんだ。


「そうだ、イチロー兄さん、巨大化するんだ。光の巨人になって、緋熊を退治してくれ」


 イチロー兄さんは宇宙の光を浴びることで巨人となる。その力であれば、緋熊を相手にすることもできるだろう。


「ダメだ、大義がない」


 なんなんだ、それ。大義ってなんだ。

 じゃあ、あれだ。金陀美具足きんだみぐそくだ。あの巨大戦力で、どうにか緋熊と戦えないだろうか。


「それも無理だな。通信機が圏外になっている。ここから日光は遠すぎる」


 イチロー兄さんは腕時計を操作しつつ返事をする。

 いかに北海道民セントバーナードのためとはいえ、巨大戦力なしで緋熊に立ち向かうなんてできるわけがない。犬死にするだけだ。


「それは、やってみなくてはわからないだろう」


 そう言うと、イチロー兄さんは胸元から拳銃を取り出し、それを構えつつ、緋熊に向かって駆けだしていく。

 モモちゃんもまた、匕首あいくちのような宝刀を抜き、彼女もまた走り始める。


「ゴロちゃん、待ってるからね」


 俺に対して、そう言い残した。


   ◇   ◇   ◇


 イチロー兄さんは銃弾を撃ちつつ,緋熊に近づいていった。しかし、その毛皮はまるで銃弾を受け付けない。

 やがて、緋熊の注意が兄さんに向いたのか、その爪を振るう。シュパッという一撃を、腕時計の変化した蝙蝠の力で跳び上がり、空中に逃げた。だが、緋熊の咆哮に蝙蝠が怯み、イチロー兄さんは森の中に落ちていった。


 モモちゃんは宝剣を手にし、突撃する。そんな彼女を緋熊の爪が襲った。その爪を宝剣で受け止めようとする。

 無謀だ。ただ圧し潰されるだけだろう。そう思った瞬間、モモちゃんのいる場所が変わった。緋熊の爪の根元まで転移していた。


 あれは、まさか宝貝パオペエだろうか。

 仙人がその力を込めて生み出されるという仙具だ。モモちゃんの持つ宝剣もまた強力な力を持っているのだろう。

 さしずめ、衝撃を受けた際、その衝撃の発生元に転移する能力が込められているのではないだろうか。


 緋熊が何度もモモちゃんを爪で攻撃する。そのたびにモモちゃんは転移した。その攻撃を回避し続けている。

 しかし、やがて、爪ではなく肉球がモモちゃんを弾いた。これには衝撃を返すこともできず、そのまま森の中に落ちていった。


 残ったのは俺だけだ。二人の生死はわからない。けれど、緋熊を排除しなければ、探しに行くこともできない。

 太刀を抜いた。そして、刀を握った両手を右肩に寄せると、太刀を真っ直ぐに天に向け、八相に構える。そのまま、緋熊に向けて走りだした。


――ワンっ、ワンっ、ワンっ


 俺の背後から鳴き声が聞こえる。北海道民セントバーナードたちだ。

 彼らもまた守られ続ける存在ではない。時として牙を剥き、戦う者たちなんだ。

 俺はその鳴き声に、響き渡る足音に勇気をもらう。


「行くぞ!」


 改めて決意を固めつつ、緋熊に向き合う。

 その爪が俺に襲い掛かった。それを太刀で受け流し、爪の先の指の隙間に太刀を突きつける。


 ブシュウゥゥゥゥっ


 血が噴き出る。緋熊は苦痛に悶えるような鳴き声を上げていた。

 さらに、北海道民セントバーナードたちがその指に纏わりつき、噛みつきいていく。


 行ける。このまま、緋熊の身体を削っていければ……。

 しかし、そんな思惑は甘い。


「グルゥゥゥウウッ」


 緋熊が怒りの雄叫びを上げる。それととともに、緋熊が大暴れを始めた。

 やたらめったらに、振り回すその腕によって俺は叩き潰される。


 これは死んだか。北海道に来て、そう思ったのは二度目だった。

 だが、死んでいない。どういうことなのか。

 目を開けると、イチロー兄さんとモモちゃんが拳を突き出し、それによって、緋熊の腕を跳ね返していた。


「まだ終わりじゃないぞ」


 そう言うと、イチロー兄さんは拳銃を構える。腕時計が輝くと変形・膨張し、拳銃に纏わりつき、巨大な砲身へと変わった。

 引き金を引くと、轟音とともに閃光が放たれる。その威力は凄まじく、緋熊の肩を抉った。


「私も行きます」


 モモちゃんは宝剣を携えて、緋熊の荒れ狂う腕に向かっていく。そして、衝撃を受けつつ転移し、札を取り出した。


「熊は土気なり。金気の宝剣をもって貫かん」


 札は宝剣に吸い込まれ、宝剣はそれによって巨大に伸びた。そして、その勢いによって、腕を斬り落とす。


 流れはこちらにある。しかし、それだけで勝てるほど、緋熊はぬるくない。

 暴れ回る野獣。その恐ろしさは手負いになってからであった。

 どれだけ傷つけられてもその暴力はやまず、的確にイチロー兄さんやモモちゃんに襲い掛かってくる。もはや二人も防戦一方になっていた。


   ◇   ◇   ◇


 パカランっパカランっ


 馬の蹄の音が響く。これはまさか馬賊たちだろうか。

 ただ奪うだけのものたちが、緋熊が猛威を振るうこんな地に現れるものなのか。


「東京都民が情けないな。俺たちモンゴル帝国が加勢に来た。大船に乗ったつもりでいるがいい」


 成吉思汗ジンギスカンげきが走った。

 それとともに馬賊たちがときの声を上げる。その雄叫びとともに馬賊たちは熊の背を馬で駆け上がり、騎射で緋熊を射かけていった。

 あるものは熊の背に登れず踏み潰され、あるものは背から零れ落ちて落下する。それでも、一丸となって熊に纏わりついていた。


「まるで、源義経みなもとのよしつね鵯越ひよどりえの逆落としだな。いや、その真逆なのか」


 イチロー兄さんは緋熊の牙や爪を回避し、牽制の銃弾を撃ちながら呟いた。


「源義経は生き延びて、モンゴルへ赴き、帝国を築いたと噂されていますが、まさか成吉思汗ジンギスカンが……」


 モモちゃんもまた宝剣を用いて、転移することで緋熊の攻撃を回避していたが、イチロー兄さんの呟きに答えて解説する。

 あの成吉思汗ジンギスカンが源義経だというのか。さすがに与太話だとうとは思うが、坂東武者ばんどうむしゃである源義経であるなら、東京都の言葉を話したとしても不思議ではない。


 とはいえ、この勢いに乗じなくては。

 俺は北海道民セントバーナードたちを率いて、熊の隙を突いたその腕を攻撃していく。次第に緋熊は疲弊し、その力が失われていた。

 行ける。勝てる。俺は勝利を確信した。


 しかし、緋熊も死力を尽くしたのだろう。その最後の一撃が放たれていた、

 それはイチロー兄さんに向かっていた。片方の残された腕が振り下ろされ、それを回避したイチロー兄さんに緋熊の牙が襲う。

 もはや避ける時間はない。そう思った瞬間だ。


 スパっ


 緋熊の頭が落ちた。何者かが切り裂いたのだ。

 そこには侍がいた。黒い軍服の上から、だんだら模様の浅葱色あさぎいろの羽織を着ている。その手に持つ刀は和泉守兼定いずみのかみかねさだ


新撰組しんせんぐみ副長ふくちょうにして蝦夷島えぞじま政府せいふ陸軍りくぐん奉行並ぶぎょうなみ土方歳三ひじかたとしぞう


 侍は名乗りだけ上げると、スッと姿を消した。

 まさか、五稜郭ごりょうかくで凍り付いていた侍がこの場に現れたというのか。


「ふん、東京都に叛逆した男がいい場面で来るじゃないか」


 イチロー兄さんはどこか嬉し気な笑みを漏らした。


   ◇   ◇   ◇


 あの巨大な緋熊に勝利した。その実感がじわじわと湧いてくる。

 だが、それが隙だったのかもしれない。


 死後硬直の前の生体反応なのだろうか。緋熊が大きく震えた。

 その勢いで、地面が揺れ、俺たちは大気中へと放り投げられた。そして、いずこか、雪原へと放り出された。


「痛ててて……。ここは?」


 そこは雪原ではなかった。海の上に浮いている。流氷だ。

 俺たちは流氷の上に乗ってしまっていた。


「これはちょうどいい。このまま運ばれる先まで行こうじゃないか」


 イチロー兄さんはとんでもないことを言いだした。

 どこかに辿り着く前に、漂流するか、沈むかするんじゃないか。


「でも、なんかお店もあるみたいだし、大丈夫じゃない?」


 モモちゃんが楽天的なことを言う。

 ん? 店?


 よく見ると、寿司屋のようなものがあった。

 入ると、北海道民キタキツネが寿司を握っている。


「いらっしゃい。何を握りましょうか」


 北海道民キタキツネがにこやかに話しかけてくる。

 北海道で食べる寿司はどれも美味かった。ネタが新鮮なのだ。圧倒的な味わいである。


 うに。いくら。ほたて。甘えび。ほっけ。さんま。鮭。ニシン。カニ。ホッキ貝。

 どれもが美味しい。どれもが幸せな気持ちになる。

 あら汁も飲む。塩味が優しい。出汁の味わいに深みがある。


 お腹いっぱいになると、流氷の上にテントを建て、居住区を整える。

 しかし、キタキツネの握る寿司なのだ。俺たちが流氷生活でエキノコックスに悩まされたことは言うまでもない。

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