第十四道 極寒の大地、北海道

第一市 冷凍都市

 俺たちは青函トンネルを歩いていた。

 薄暗い洞窟の中をひたすら歩く。明かりはカンテラとイチロー兄さんの万年筆から放たれるライト、それにモモちゃんの頭に装着されたヘッドランプだけだ。


 カツンカツンっと足音が響いていた。

 こんな暗がりではゾンビかグール、あるいはそれに類する怪物がいるのでははないか。俺はびくびくしていた。


「確かにそうだな。このダンジョンには怪物の類がまるで見当たらない。これはどういうわけだ」


 イチロー兄さんも同調し、疑問を口に出した。

 それに対して、モモちゃんが答える。


「ゾンビが出現するのは氷点下零度まで、グールは氷点下十度までと聞いたことがあります。

 ここの気温はすでに氷点下二十度を超えています。その手の怪物が現れる気温を遥かに下回っているためでしょう」


 それを聞き、身震いする。そんなことを言われては寒くて仕方がなくなった。


「弱音を吐くな、ゴロー」


 突如、イチロー兄さんの叱責が響いた。


「ゴロちゃん、すごい着込んでるし、カイロも貼ってるじゃない。このくらいなら寒くないはずよ」


 モモちゃんもそれに同調する。

 確かに、防寒着はしっかり着込んでいたし、発熱材もそこかしこに仕込んであった。


 ぐぬぬ。気温的には十分対策はできているのだ。

 でも、こんな寒い場所には来たことがない。だから、情報だけでも寒くて仕方なくなるのだ。


「これから本当に寒い場所につくぞ。今からそれじゃあ、先が思いやられるな」


 そう言うと、イチロー兄さんは目の前にある扉に手を掛けた。素手で触ると凍り付きそうな、金属製の扉だ。


 ギィィィィンっ


 重々しい音が鳴り、扉が開かれる。そこからは、まさしく白銀というべき光が漏れ出てきた。

 函館に――、北海道に辿り着いたのだ。


   ◇   ◇   ◇


 しばらく函館の街を歩いた。そこは無人の街であった。


「何もないな。北海道民の姿もない。仕方がない、この辺りの家屋を使わせてもらおう」


 ただ吹雪が吹き荒れ、家々もすべて凍り付いていた。冷凍都市とでもいうべき場所なのだろう。

 イチロー兄さんは近くにあった店舗のシャッターをこじ開けると、その中に入っていった。俺もその後に続く。その中で、イチロー兄さんは暖炉に薪をくべ、室内を暖める。

 俺はその暖かさに安堵を覚え、防寒着を抜いた。シャリシャリと雪のようなものが舞った。雪は降っていなかったが凍り付き、雪の結晶が纏わりついていたのだ。


「うぅ、まださぶいよ。はぁ~、早く暖かくなってぇ~」


 そう言いながら、モモちゃんは暖炉の前の一等席を独り占めしていた。

 そんなに寒かったのか。女性は寒さに弱いというし、仕方ないのかもしれない。


「凍り付いた食材があるな。食料も残り少ないことだ。これを食べてみるとしよう」


 イチロー兄さんが薄ら恐ろしいことを言う。


「えぇ、そんなの本当に食べられるの?」


 俺が動揺と抗議の声を上げるが、イチロー人さんはお構いなしに店の中を物色する。モモちゃんもそれに倣った。


「ほう、冷暗所に米が入っていたぞ。ここなら凍らずに済むということか。

 よし、炊こうじゃないか」


 イチロー兄さんは米を取り出すと、釜に火をくべ、炊き始めた。

 しばらくすると、ご飯のいい匂いが漂い始める。グキュゥ。思わず、腹が鳴る。腹が減った。


「こんなの、ありましたよ!」


 モモちゃんの弾んだ声がする。見ると、壺に入った食べ物を見つけたようだった。

 覗き込んだが、入っていたのはサーモンとイクラのようだ。


 サーモンねえ。東京前寿司にサーモンなどというネタはない。つまり、正統な魚介ではないということだ。こんなものは二流の魚。雑魚。美味しいとは思えない。

 それになあ。イクラかあ。正直、しょっぱいばかりで、美味しいと思ったことないんだよなあ。


「食べる前から文句を言うものではないぞ。

 ゴロー、お前の分だ」


 そう言って、イチロー兄さんは俺の前に茶碗を差し出した。俺はそれを手に取り、目の前の机に置く。


「これ絶対、美味しいって。ゴロちゃん、食べなよ」


 モモちゃんはサーモンとイクラの入った小皿を置いた。

 サーモンがカチコチに凍っている。これは食べられるのだろうか。

 俺は疑問に思いながらも、炊き立てのご飯の上に置いた。ご飯の熱でサーモンが僅かに解凍される。


 ええい、ままよ。

 ご飯に乗せたまま、サーモン、それにイクラを口に運んだ。シャキシャキとした口当たりが、いつしか柔らかく滑らかなものに変わり、一緒に食べることで、ご飯の豊かさを存分に味わえる。

 こ、これは……。


「美味い……」


 それは不思議な感覚だった。冷たさと熱さ。その落差が奇妙な美味しさを演出しているのだ。

 サーモンは優しく、そのせいか、醤油の味わいが刺激的でもある。イクラは噛みしめるたびに弾けて、その中に詰まった旨味が破裂するようだった。

 それを熱々のご飯とともに食べる。これ以上に満足感のある行為があるだろうか。


「言っただろ。食べる前から判断などできないことだ」


 イチロー兄さんはしたり顔になりつつ、夢中でご飯を平らげていた。

 モモちゃんも必死で食べていたが、不意に冷静になり、開いていた全国観光ガイドブックのページを見せてくる。


「これはルイベ漬けよ。鮭醤油で漬けた鮭を凍らせて、いくらと一緒に保存した食べ物なの。

 ふふ、もう説明不要よね。びっくりするくらい、美味しいでしょ」


 その通りだ。びっくりした。

 俺はそのまま一心不乱にルイベ漬けとご飯をかっ込む。


   ◇   ◇   ◇


 腹ごしらえを終えると、早々に防寒着を着込んで、再び外に出る。やはり極寒の中を歩き始めた。


「どこか高台はないか。街を俯瞰できるような場所だ」


 イチロー兄さんの言葉に従い、モモちゃんが全国観光ガイドブックをめくる。


「それでしたら、函館山が適しています。まさしく、函館の街を一望できる場所のようです。

 ロープウェイで登るとありますが、この状況では動いていないでしょうね」


 そう言いながらも、イチロー兄さんもモモちゃんも函館山に向かって歩きだした。俺もその後を追う。


「なに、歩いて登ればいいだろう」


 そのまま、函館山を登り始めた。雪山は何度となく歩いたが、それでも凍り付いた山というのは勝手が違う。

 鉄の爪のついたアイゼンを靴に嵌め、氷に突き刺すように進んだ。それでも、ついつい滑りそうになった。

 それでも、どうにか頂上まで辿り着く。


「わぁっ、すごい綺麗! ねっねっ」


 モモちゃんがその景色に歓声を上げた。

 確かに美しい風景だった。凍り付いた街並みを展望できる。その中でひときわ目立つのは、五芒星の城郭であった。

 あれが、五稜郭ごりょうかくか。かつて、北海道が東京都に叛逆した際、五稜郭に籠城して戦ったといわれる。だが、少し違和感があった。


「ねえ、あれって、人影かな?」


 俺が指さすと、イチロー兄さんが怪訝な表情でその辺りを見る。

 そこには、馬に乗った人のようなものがあった。


「見えんな。眼鏡の倍率を少し変えるか」


 そう言って眼鏡の縁にあるダイヤルを操作する。そして、納得のいったような声を上げた。


「いたな。行くぞ」


 そう言って駆けだす。その素早さは驚愕だった。とても追いつけない。

 というか、地面は凍ったままだ。俺もモモちゃんもおっかなびっくりで、どうにか坂道を降る。

 イチロー兄さんはどうやって走っていったんだ。


 五稜郭につくと、イチロー兄さんが馬上の人の前に佇んでいた。その人は動く気配がなかった。凍っていたんだ。

 よく見ると、凍った人は侍のようだった。戦装束をして、刀を抜き、鬼気迫る表情で馬を走らせている。戦いながら凍ってしまったのだろう。


土方ひじかた歳三としぞうだな。北海道との五稜郭戦争で戦死したと聞いていたが、まさか凍り付いているとはな」


 土方歳三を見上げながら、イチロー兄さんはどこか寂し気に呟いた。


「どうやら、函館には動くものはいないようだ。さらに北上しよう」

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