第三市 恐山

「モモ、あの横浜県民の行方は追えるか?」


 イチロー兄さんの問いかけに対して、モモちゃんが腕に身に着けた計器を覗き込む。そして、訝し気にその結果を伝えた。


「時空の歪みの集約点が移動しています。これは集約点がムリョーに変わったからでしょう。北に向かっています。この先にあるのは……、おそらく恐山おそれざんに向かっているのでしょう」


 恐山……。名前からして怖ろしそうな場所だ。

 いや、まんま過ぎるか。


「ゴロちゃんの読みはあながち間違いじゃありません。恐山は死者の霊が集まる場所とされ、あの世と呼ばれる場所に最も近い地点のひとつとされています。死者と交信する秘術、イタコも盛んだとか」


 聖者の遺体を抱いて、恐山に行く。それで起こるのはどんなことなんだろう。

 考えるだに怖ろしい。そもそも死者の霊が集まる場所というだけで行くのは嫌なんだけど。


「上出来だ。ならば、恐山に向かうぞ」


 そう言いつつ、イチロー兄さんは近くにあったスーパーに入っていく。なんでだ。


「あの横浜県民と聖者の遺体のパワーには対抗策が必要だろ。そのための買い出しだ」


 イチロー兄さんはスーパーで買い物をし、満足げに出てきた。スーパーで買えるもので対策なんて取れるものなのか。

 疑問は尽きないが、それ以上の問題がある。恐山に行くことが避けられないということだ。


 わかってる。トワちゃんを助けないといけない。


   ◇   ◇   ◇


 恐山おそれざん山地さんちに踏み込む。もはや極北に近い地だけあり、雪で覆われた山だ。

 まずは最高峰の釜臥山かまぶせやまを越える。すると、広大な宇曽利山湖うそりさんこの雄大な景観が望めた。目的地はそこだ。恐火山の火口であるその湖にこそ死者の霊が集まるのだという。


 俺たちは大尽山おおづくしやまを越えて、宇曽利山湖へと辿り着いた。


恐山おそれざん菩提寺ぼだいじに向かいましょう」


 モモちゃんの案内に従い、湖畔の道を歩き、北に進む。

 果たして、菩提寺にムリョーが待ち構えていた。かつて横須賀へ向かう軍艦の船内で見た祭壇があり、儀式のための紋様が地面に描かれている。トワちゃんはその紋様の中心で眠らされていた。


「むははははっ、素晴らしいな、東京都民の肉体というものはっ。あの御方の媒体として完璧なチューニングがされている。まさしく、おあつらえ向きというものです」


 ムリョーの笑い声を聞き、モモちゃんの表情がかげる。彼女を傷つける内容がムリョーの言葉にあったのだろうか。

 それに対して、ムリョーは余裕だ。俺たちの攻撃をすべて完封できる自信があるのだろう。


「ここは、俺がやるしかないか」


 俺は悔し気な表情でいきり立つモモちゃんを抑えると、スッと前に出る。そして、俺の手の中に納まる鬼斬りの太刀を抜いた。

 刀を抜き様にムリョーに斬りかかる。しかし、刀はムリョーに届くかというところで、時間を遡るように反転し、勢いのままに俺の手の中からすっぽ抜ける。


「無駄ですよ」


 ムリョーは勝ち誇った笑みを浮かべると、自らの軍刀を抜き、斬りかかる。俺は咄嗟にその刃を掴んで攻撃を止めるが、次の瞬間、ムリョーの頭突きが俺を襲った。

 ガツンという衝撃とともに、俺は地べたに倒れる。それに対し、ムリョーは軍刀を振り下ろし、追撃してきた。


「うわあぁぁぁっ!」


 思わず悲鳴が漏れる。だが、それにより相手に隙もできた。

 そこへ、俺の叫びに応じ、すっぽ抜けてどこぞへ吹っ飛んでいた鬼斬りの太刀が俺の手許に戻ってくる。


 グサリっ


 飛んでくるままにムリョーの腹に太刀が突き刺さった。これは完全に不意打ちだ。

 意識していなければ過去には戻せないのだろう。ムリョーは怒りに目を血走らせて、俺を見た。


「おのれ……!」


 太刀はひとりでに抜かれ、ムリョーの傷口はたちまち塞がっていく。

 不意を突いて一撃を喰らわせたものの、まったくの無意味。ただ、怒らせただけのようだ。


「ひいぃぃぃっ!」


 怖い。逃げなくては。

 俺は這うようにその場から離れ、どうにか走りだした。ムリョーが追いかけてくるのがわかる。

 いつの間にか、モモちゃんの姿は消えていた。


   ◇   ◇   ◇


 俺は走る。ひたすら走っていた。

 三途の川と呼ばれる河川を遡って走ると、硫黄の香りがする。地獄温泉というやつだろうか。まさしく、あの世と隣り合わせのような場所だ。

 走り続ていたが、次第に息が絶え絶えになる。だというのに、追手のムリョーの足は緩まる気配がない。


「ゴロちゃん、ジャンプ! 飛んで!」


 モモちゃんの声が聞こえた。

 良かった。やっと合流地点に着いたんだ。

 俺は彼女の言葉に従い、わけもわからずその場からジャンプして、モモちゃんに駆け寄る。ムリョーはまさに後ろに来ていた。それと同時に、モモちゃんの呪文が聞こえる。


「風水奥義、落とし穴」


 風水とは地形を操る仙術だ。地形を操るのは難しいとされているが、それを可能にしたのは風水による気の流れを熟知したモモちゃんの業である。先に逃げ去ることでムリョーを嵌める罠を用意していたというわけなのだ。

 ムリョーの足元に穴が開いた。彼は真っ逆さまに落ちていく。その穴底には竹竿を斜めに切って尖らせた、ブービートラップが何本も仕掛けられていた。ベトコン戦法パンジステークである。

 ムリョーは竹槍に貫かれ、全身が穴だらけになった。


「やった! 予想のできない攻撃であれば、事前に防げない。さらに、これだけ何重にも串刺しになっていれば、さすがに即死のはず。そうなれば蘇ることは……」


 そう思ったものの、次の瞬間には、身体が空中に浮かび上がり、体中に開いた穴が塞がっていく。

 ムリョーは恨みがまし気な瞳で俺とモモちゃんを睨んでいた。


「ムリョーが融合したのは死者を蘇生し、自らも蘇ったという聖人。これは予想するべきだったのかも」


 珍しくモモちゃんが弱音を吐いた。

 俺にも打つ手はない。逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 しかし、逃げ切れるだろうか。相手は時間を巻き戻す能力の持ち主だ。


 そんな時だ。空気を切る音が聞こえた。

 何か丸いものがムリョーに向かって投げ込まれる。それはムリョーの口にすっぽりと収まった。

 それはリンゴだった。それを投げたのは、誰あろう、イチロー兄さんである。


「リンゴではない。原罪の果実だ。

 キリストとは罪を認め、赦しを求めるものを救う神。だが、原罪が重なったらどうか。奇跡はもう届かないだろうな」


 そう言いながら、ムリョーへと近づく。その手にはもうひとつリンゴが握られていた。スーパーで買っていたのはこれか。

 イチロー兄さんはリンゴをムリョーの口に収まったリンゴに叩きつける。木っ端微塵に砕かれたリンゴはそのままムリョーの喉の奥へと流れていった。

 それはさながら、善悪の知識の実を食べ、楽園エデンを追い出されたアダムとイヴの愚行を再現したかのようだ。


「もはやお前に救いはない」


 その言葉とともに、拳銃をムリョーのこめかみに突きつけ、ぶっ放した。ムリョーの頭に穴が開き、血が流れる。実にあっけなくムリョーは死んだ。

 だが、最後の力を振り絞り、ムリョーは言葉を遺した。


「吾輩を殺せるとはさすがは東京都民。だが、これで我が悲願が叶う。我らの神が目覚めには、聖人と一体化した神奈川県民異人の命が必要だったのだ。これで、神奈川県は我ら横須賀のものに……」


 パァンっ


 銃声がもう一度鳴り響いた。イチロー兄さんが止めを刺していた。


「これで静かになった。トワを迎えに行くぞ」


 ムリョーの最後の言葉を雑音くらいにしか捉えていなかったのか。


 そういえば、ムリョーはトワちゃんのことを媒体と言っていた。生贄はムリョー自身だったようだが、ならトワちゃんはどうなっているのだろう。

 嫌な予感がした。俺たちは菩提寺へと急ぎ戻る。


   ◇   ◇   ◇


 そこにあったのは肉塊だった。

 かつてトワちゃんだったはずのものだが、人間であった時の姿はまるで面影にない。

 膨張を続ける肉の塊はドクンドクンと脈動し、血管を走らせている。それは異様な光景であった。


 俺たちが近づくと、肉塊は妙な音を掻き鳴らした。それは不愉快なもので、どこか冒涜的な響きを持っていた。

 やがて、その音が止む。それと同時に肉塊が収縮を始めた。そして、人間のような姿を取る。


「姿と発生を似せなければ理解が理解できないのね。なんという下等な生物なのかしら」


 それは女性だった。どこかトワちゃんに似ているようだが、儚げな印象だった彼女とは違い、むしろ全体として不気味な、それでいて妖艶な雰囲気を放っている。黒かった長髪は真っ白になり、まるで意志があるかのように、くねくねと動いていた。


「これは一体、どういうことだ?」


 イチロー兄さんも困惑していた。それに対して、女性は愉快げに笑いながら、兄さんの問いに答える。


「トワ……というのよね、私の血肉になった生物は。私はトワを依り代にして呼び出されたの。

 あなたたちはトワを取り返したいのでしょ。でも、返す気にはなれない。だから、探しなさい。私を見つけ出した時、あなたたちはさらなる絶望を得ることになる。

 ふふっ、それが楽しみ」


 そう言うと、女性は再び肉塊のような姿に戻る。


「そうだ、私のことはアソーギとでも呼ぶといい。じゃね」


 肉塊から翼のようなものが生えると、そのまま羽ばたき、いずこかへ消えていった。

 俺たちはトワちゃんを助けることはできなかったんだ。


「まあ、大丈夫だろ。トワもまた東京都民だ。心配することはない」


 イチロー兄さんがのんきな声を上げた。

 いやいや、そんなことでいいのかよ。いいはずがない。助けなきゃ。


「そうね、トワちゃんだもんね。絶対、一人でもどうにかしてくるよ。まあ、見つかりそうだったら、探しましょ」


 モモちゃんも能天気そのものだった。

 本当に大丈夫なのか。そんなことない気がするけどなあ。


「いよいよ、北海道へと進むぞ。このまま、青函トンネルを抜ける」


 俺のやきもきとした気分を余所に、イチロー兄さんの宣言が響いていた。

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