第二市 キリストの墓

「待ってくれよ、イエス・キリストってあのイエス・キリストだよな? 二千年前にゴルゴダカルバリで死んだ人物の墓がなんで青森県なんかこんなところに墓があるんだよ」


 俺は戦慄しつつも、ツッコミを入れた。こんなこと、時と場所によっては大問題になるのでは。そう思うと額に汗が伝ってくる。


「伝承によるとね、キリストは元々青森県で神道の修行をして、その教えをエルサレムに広めたの。それが後のキリスト教よね。その後、十字架による磔刑に処せられようとした時、弟が身代わりとなり、キリスト本人は生き延びたんだって。それで、シベリア経由で青森県に戻り、今では新郷村しんごうむらの一部となっている戸来村へらいむらで生涯を終えたのよ。だから、青森県に墓があるの」


 はあ。キリスト教の教義自体を根底から覆すような話だ。あまりにも世迷言過ぎる。

 俺はイチロー兄さんにうんざりした気分の視線を送るが、意外にも兄さんの表情は真剣そのものだった。


 いやいや、こんな与太話、信じてるわけないよな。


「それが事実なら大変なことになる。新郷村とやらへ急ぐぞ」


 そう言い放つと、イチロー兄さんは駆け出した。俺とモモちゃんはどうにか兄さんの後を追う。


   ◇   ◇   ◇


 その場所は小高い丘だった。それを登ると、盛った土の上に木製の十字架がある。これがキリストの墓だというのか。


「間違いありません。この場所から磁場が乱れています。磁場の乱れにより、青森県では時間そのものが失われているのです」


 モモちゃんが測定を行いながら発言する。だが、彼女は計器の観測に神経を傾けるために見えていない。

 今まさに、墓泥棒が行われようとしていた。十字架の後ろにはその盛り土を掘り起こしている神奈川県民異人がいた。何度となく目にしたムリョーである。


「そこの横浜県民! 下卑た真似はやめたまえ。それは君自身の魂を汚す行為だ」


 イチロー兄さんの怒号が響いた。しかし、ムリョーはニタリとした笑みとともに、墓の下に会ったものを引きずり出す。


「ムフフフフフ、もう遅いのですよ。聖人の遺体は吾輩の手にある。フフフフフ、物凄いパワーを感じませんか。そのパワーが吾輩に入り込んでくる」


 遺体はムリョーと融合するかのように、彼の体内に入っていく。


「フヒヒヒヒヒ、素晴らしい! 死してなお奇跡を起こしてこその聖人。吾輩はその奇跡によりパワーを得たのです」


 パァンっ


 イチロー兄さんは胸元から拳銃を取り出し、抜き様に撃った。その弾丸はムリョーの顔面に命中する。だが、それは吸い込まれるようにムリョーの顔の中に入り込み、そして、慣性を失って、重力のままに地面に落ちた。

 どういう絡繰りかはわからないが、ムリョーにはすでに拳銃も通用しなくなっている。


「無駄です。聖人の遺体が時間を操る力をくれたのです。今の私にはどんな攻撃も届きませんよ」


 そう言って、けたたましく笑う。


「そうですね。こういう芸当はどうでしょう。ふふ、あなたたちの縁者がこの場所に来たことがあるようです。

 時を越えて、連れてきて差し上げましょう」


 ムリョーがそう言うと、空間にひずみが現れ、それにムリョーが手を入れると、一人の女性が引きずり出された。

 どこかで見たような女性。彼女は……。


「トワちゃん!」


 モモちゃんが叫び声を上げる。ムリョーが空間の歪みから出現させたのは、モモちゃんの姉に当たるトワちゃんであった。

 黒髪を腰ほどまでに延ばした、儚げな色白の女性。それは確かにトワちゃんである。


「そうか。ロクローの十二人の血のつながらない妹の一人、トワか」


 イチロー兄さんが思い出したように呟いた。

 ロクローさんとは俺とイチロー兄さんの従兄弟いとこに当たる。叔父さんはどういうわけか十二人の養女を迎えていた。その一人がモモちゃんであり、トワちゃんであった。

 そのトワちゃんだが出生地は青森県だったようだ。そのため、このキリストの墓にも来たことがあったということだろう。人間ではなく、青森県民時をさまよう種族だったわけだ。


「な、ここは……」


 トワちゃんは異変に気付くと、動く。最小限の動きで肘を動かすと、それを自身を羽交い絞めにしているムリョーの顎に当てた。まさに達人の動きである。

 しかし、暖簾に腕押しというべきか、ムリョーの顔はぐにゃりとひしゃげ、そのまま元に戻る。


 焦ったトワちゃんはムリョーに打撃を喰らわすが、反応の遅いムリョーに全て防がれる。時間を操る能力により後の先を制された。

 やがて、ムリョーに羽交締めにされ、首を絞められると意識を失う。


「トワちゃんを放しなさい!」


 モモちゃんが怒声を上げる。そして、札を貼ったナイフをムリョーに投げつけた。


「時を操るを禁ずるは即ち不条理を禁ず。禁っ!」


 モモちゃんが得意とする仙術の一つ、禁呪である。

 禁呪には難易度があった。そのものの本質に近いほど、禁ずることは難しい。例えば、鳥が飛ぶことを禁ずるのは難しく、歩くことを禁ずるのは容易い。そういう意味では時を操るなどという不条理な事体を禁ずることは容易なはずであった。

 だが……。


「無駄だ」


 禁呪のナイフは時が逆行するように、モモちゃんの手元に戻り、その指を切り裂く。

 その様子を見て、ムリョーはニタリと笑った。


「ンフフフフフッ、これであの方を呼び出す準備ができた。楽しみだ、この世界は神奈川県のものとなるだろう。あとはこの東京都民を連れて、霊力の強い地に赴くだけ。

 成った。我が野望の成就する時だ!」


 そう言うと、時の歪みを生み出して、ムリョーはいずこかへ消えた。

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