第三市 遠野物語

河童かっぱとは、川や池に棲む妖怪です。泳いでいる人の足を掴んで水中に引きずり込み、溺れさせるといいます。

 岩手県で河童といえば、カッパぶちに多数生息しているといわれていますが、その場所は遠野とおの盛岡もりおかとは離れているはず。一体どうして?」


 モモちゃんが全国観光ガイドブックを読み上げつつ、疑問を口にした。

 だが、目の前にはその岩手県民河童がいるのだ。こいつは友好的な存在なのか?


――キシャアァァァァッ!


 河童が突如吠えた。そして、平手を打つ。


 バチンっ


 その平手が俺の頬を打ち付け、俺は思いっきり部屋の奥へと弾き飛ばされた。

 い、痛い……。なんで、こんな目に。


「これはまずいな。モモ、こいつの弱点はなんだ?」


 珍しくイチロー兄さんが焦った声を出す。それを受けて、モモちゃんが慌てて全国観光ガイドブックをめくった。


「河童の弱点は頭の皿です。皿の水がこぼれると力を失うといわれています」


 それを受けて、イチロー兄さんが動く。ネクタイを外して、鞭のようにしならせ、河童を縛り付ける。

 だが、河童の力は強い。河童の抵抗により、逆にイチロー兄さんが体勢を崩した。その隙を河童は見逃さない。イチロー兄さんに向けて突撃する。

 そこに立ちはだかるものがあった。宮沢みやざわ賢治けんじだ。


「皿の水は乾かせばよいのです」


 宮沢賢治はマッチを擦ると、たいまつに火をつけ、河童の頭に突きつけた。瞬く間に、皿の水が干上がり、河童はしなしなと力を失う。


「これで、わんこそばでの借りは取り返せましたかね」


 柔和な笑顔をたたえつつ、イチロー兄さんに声をかけた。


   ◇   ◇   ◇


 盛岡の街は妖怪変化で溢れていた。

 俺の目の前には巨大な鬼がいて、ビルを破壊している。あるいは、イタチのようなオオカミのような動物が走り回り、雷をまき散らしていた。目のあるべき場所にただうろがある坊主が手を突き出しながら歩く。その手には眼光がギョロリと輝いていた。


 これは百鬼夜行というべきものであろうか。

 さまざまな妖怪たちが街を練り歩き、盛岡を蹂躙していた。

 こんな状況はどうしたらいいっていうんだ。


「敵の本拠地を叩くだけだ。遠野か? そこまで急ぐぞ」


 そうは言っても、徒歩で辿り着けるものなのだろうか。時間をかけていたら、盛岡は陥落してしまうだろう。


「私が近道を知っています。ご案内しましょう」


 宮沢賢治が提案する。それに従うほかに道はない。

 俺たちは宮沢賢治の案内のままに先を急ぐ。


 そんな時だ。急に熱気が巻き起こる。だが、それ以上に砂埃がすごい。いや、これは灰か?


「灰坊主ですね。囲炉裏の灰に潜む妖怪です」


 宮沢賢治が教えてくれる。

 灰は意志を持ったように俺たちに襲い掛かった。灰の中に燻る炎が脅威である。


「灰は火気なり。火気は水気の飛沫により、地に沈めん」


 モモちゃんが札を構え、呪文を唱えた。瞬く間に灰が水と混ざり、地中に消えていく。だが、それでも灰は残っている燻る炎を燃え上がらせ、モモちゃんに襲い掛かった。

 それを残った札で水の膜を作り、モモちゃんは回避する。


「今のうちに先へ。灰坊主の相手は私がします」


 そう言うと、瓶に入った水を解き放ち、それを操りつつ、灰坊主と対峙していた。


「やむを得ない。急ぐぞ」


 イチロー兄さんが檄を飛ばす。モモちゃんは心配……てことはないので、彼女の言葉通りに先を急いだ。

 モモちゃんならピンチにすらなり得ないだろう。


――キキキキキィィィィッ!


 けたたましい鳴き声が聞こえた。猿がイチロー兄さんに襲い掛かっていた。


 ダンっ


 咄嗟の事態に対応し、イチロー兄さんは胸元から拳銃を取り出し、抜き様に放つ。見事な腕前。弾丸は猿に命中する。

 しかし、カランという乾いた音とともに弾丸は弾かれた。そのまま、猿の腕がイチロー兄さんの顔面を捉える。


 バササササっ


 腕時計の変化した蝙蝠型のロボットが猿の腕を掴み、その攻撃を止めた。そして、そのまま物凄い膂力でその腕を放り投げる。それにより、猿は体勢を崩した。


「これは猿の経立ふったつ。猿が変化した妖怪です。体毛を油と砂で固め、鎧のように硬化させているようですね」


 宮沢賢治がイチロー兄さんに警告した。

 それに対し、イチロー兄さんは不敵な笑みを浮かべる。そして、革靴をトントンと叩いて、靴に仕込まれた刃を出現させた。脚を旋回させるような動きで、猿の経立を切り刻む。


「相手にとって不足はない。猿には曲芸で相手しよう。

 お前たちは先へ進め。遠野妖怪の大将を叩け」


 イチロー兄さんなら問題ない。俺たちは先へと急いだ。

 宮沢賢治の案内した先には倉があった。


「この倉の中にマヨヒガへ行く抜け道があるのです。そこに遠野妖怪を操るものもいるでしょう。行きますよ」


 その言葉が終わるかどうかという時、ドシンドシンと地鳴りが響く。地震ではない。大地を揺らしているのは巨大な鬼であった。

 その鬼が得物である金槌を振り落とす。倉を破壊するつもりのようだ。

 どうしよう。これは絶体絶命だ。


 ドドンっ


 その攻撃を受け止めるものがあった。宮沢賢治だ。

 宮沢賢治は金棒を背負うような姿勢で抱え、それで鬼の金槌を受け止めていた。


「このものは岩手山で鬼を率いる首長、大武丸おおたけまる。私が相手をしなければならないようです。

 ゴローさん、倉の中へ。案内する者がいます」


 とうとう一人になってしまった。離れ離れになった三人のためにも俺は先へ進まなければならない。

 倉の中に入った。


   ◇   ◇   ◇


「ここは倉の中なのよ。神隠しのポイントでもあるのよ」


 倉の中にいる小さな岩手県民が言った。

 頭髪が全身を覆っているが、子供のようでもある。


「君は?」


 俺が尋ねると、岩手県民が答える。


「私は倉ぼっこクランボン。賢治から案内役を頼まれてるのよ」


 そう言うと、周囲の景色が歪む。

 次の瞬間には不思議な場所に辿り着いていた。


 それは美しい草花の咲く場所だった。着飾った馬や牛が厩舎につながれている。

 古めかしい家屋であったが、井戸がひとりでに汲まれ、台所では鍋が煮立っていた。

 誰かがいた痕跡はないが、誰かを歓待する用意ができているようである。それは幻想的な光景だった。


「こっちよ」


 倉ぼっこが家屋の奥へと進んでいく。

 これがマヨヒガというやつなのか。半信半疑になりながらも、倉ぼっこについていった。

 やがて、屋敷の最奥と思われる場所につく。そこには人影があった。


「よぐ来だな。わぁ座敷童ざしきわらしだ」


 それはおかっぱ頭をした子供だ。質素な赤い着物を着ている。


「東京都民ぁ岩手県さ閉じ込めるだ。それがこの国を豊かにするだ。あんだだぢが座敷童の代わりになるだよ」


 なんという恐ろしい計画であることか。俺たち東京都民が岩手県に封じられることで、座敷童の力を請け負い、岩手県を豊かにする福の神にされるのだという。

 それでは、四十七都道府県を巡ることはおろか、東京都に戻ることもままならない。


「それは受け入れられない」


 俺が座敷童の提案を突っぱねるが、座敷童は僅かに笑みを浮かべるだけだ。


「受げ入れるしかねぇんだじゃ」


 その言葉とともに異変が起きた。俺の身体が動かない。金縛りだろうか。

 このままでは永遠にここにいるしかなくなってしまう。


「ゴロー、放してもらえない?」


 倉ぼっこが座敷童に尋ねた。

 座敷童は無表情のまま疑問を口にする。


「なんで、そったごどば……」


 座敷童はそう言いかけるが、途中で言いよどんだ。


「そっだごどか。

 賢治さぁ願い、ゴローが叶えるんだな。それだば自由にすんべ」


 座敷童はそう言うと、俺の金縛りを解いた。

 動ける。動けるぞ。なんと素晴らしいことだろう。


「願いさ、言ってみろ」


 急なことで、俺は言葉に詰まった。

 いつの間にか、座敷童に認められたのだろうか。とはいえ、願いだなんて言われても……。


「え、えと、イチロー兄さんとモモちゃんと合流して青森に行くことかな」


 つい、そんなことを言ってしまった。次の目的地へ進むということ以上は思い浮かばなかった。

 次の瞬間、私の体が光に包まれ始める。そして、意識が途絶えかける。


「東京都に戻ったら、東京都を農業王国にするんだよ」


 その直前、倉ぼっこが言った。いや、そんな約束した覚えは……。

 意識が途絶えた。

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