第二市 怪の国

「……ぃ……は……ねが……」


 何か唸るような声が聞こえてきた。

 俺もモモちゃんもイチロー兄さんもきりたんぽ鍋を平らげ、締めに稲庭うどんを煮立てていたところだ。

 一体、何の音なのだろう。


「悪い子はぁ、いねぇがぁ……」


 今度ははっきり聞こえた。一体、どこから? 今のは近かったぞ。


 シュンっ


 殺気を感じる。次いで、空気を斬る音がした。

 俺は思わず、自分の身体を庇うように腕を振り上げた。しかし、丸腰なのだ。刃物であれば、何の意味もない行動だった。

 だが、俺の手には刀が握られていた。かつての平将門たいらのまさかどこうの佩刀であった鬼斬りの太刀である。いまだに、何かあると俺の手許に現れるのだ。それが幸いした。

 カチンっと音が響き、鋭く重い感触が腕に伝わる。俺は攻撃されていた。


「誰っ!?」


 俺は思わず声を上げたが、それが誰かなんて確かめるまでもない。その場にいたのは、あの美人女将だけだったはずだ。

 だが、それはもはや美しいなどと形容できる存在ではなかった。


 毛がもじゃもじゃと伸び、口は裂けて、そこかしこから牙が伸びていた。その形相は鬼のように険しく、血がのぼって真っ赤に染まっている。頭からは二本のツノが生えていた。そして、その手には巨大な包丁が握られている。


 これがあの女将だというのか。

 俺は戸惑いながらも、刀を包丁にぶつけ、弾いた。得物さえなくなれば、おとなしくなるかもしれない。

 しかし、そんな思惑はすぐに裏切られる。包丁の亡くなった女将は牙を剥き出しにし、噛みついてきたのだ。

 こうなれば仕方がない。俺は刀を旋回させ、その首を掻き落とした。


「これは、なまはげですね。なまはげというのは男鹿半島周辺で行われていた祭事において神の使いとして現れる存在です。実際には村の若い衆が仮面を被って扮するといわれていましたが、どうやら違っていたようですね。

 秋田県民の普段の美しい姿こそが仮面であり、なまはげとしての姿こそが実際の姿のようです」


 そうだったのか。そういえば、イチロー兄さんを誘う時に、秋田県民は姿を変えていた。所詮は仮初の姿だったので、簡単に姿を変えることができたということか。


「どうやら、まだ来るようだな」


 大広間の周りから気配が漂っていた。それも大勢だ。

 これはまずい。俺はともかく、イチロー兄さんもモモちゃんも丸腰である。

 おそらく、それは敵の狙い通りなのだろう。俺に刀がついて来ているのは予想の外だろうが、それでもどうにかなるほどの数とは思えない。


「これ、まずいよ」


 俺は悲鳴のような声を上げた。

 だというのに、イチロー兄さんもモモちゃんも涼しい顔だ。


「こんな局面は今までもあった。今回もなんとかなる。そうするしかないんだ」


 イチロー兄さんはそんなことを嘯く。

 けれど、イチロー兄さんの戦いは武器に頼ったものだった。それがなくても大丈夫なのか。それにモモちゃんだって、おふだなしで戦えるのだろうか。


悪ぃ子東京都民はいねぇがぁ。他県を荒らし回った悪ぃ子東京都民はいねぇがぁ」


 なまはげたちが大挙して押し寄せる。

 俺は襲いかかるなまはげの包丁を刀で払い、その首を切り落としていく。

 しかし、数が多い。生半なまなかなことでどうにかなるとは思えない。


 イチロー兄さんを見る。

 イチロー兄さんは包丁をスウェーでかわすと、その顔に拳を叩き込んだ。その拳は重い。なまはげはその一撃で足をふらつかせる。それを見て、さらにイチロー兄さんの拳がなまはげの脳を揺らした。

 どすんっと音を立て、なまはげが沈む。


 モモちゃんはといういと、なまはげの包丁を華麗にかわしつつ、その腹にボディブローを入れていた。頭部への打撃は相手を天国に送るというが、腹部への攻撃は地獄へと送る。イチロー兄さんの仕留めた相手のように気絶はせず、なまはげたちはその場で蹲り、苦しみ続ける。


 これはいけるのか。つい、そう思ったが、そうはいかない。

 俺たちは次第に追い詰められる。三人で互いの背を庇いつつ、ついには一箇所にまとまってしまった。

 もはや、これまで。そう覚悟した瞬間、不意に動物の鳴き声が聞こえる。


――フゥゥゥー、ワンワンワンっ


 それは犬の鳴き声だった。

 その響きとともに、茶褐色の毛を持つ犬たちが現れ、なまはげに襲いかかる。


   ◇   ◇   ◇


――ワンワンワンっ


 それは秋田犬だった。東京都民なら誰でも知っている犬種である。

 そうか、ここは秋田県。ならば、秋田犬もいるというわけか。


「東京都民に仕え、その忠誠心の強さから、あらゆる東京都民の感動を呼んだ名犬・ハチ公。その魂を継いでいるというのだな。

 さすがは秋田犬、見事な振る舞いだ」


 イチロー兄さんが感心した声を上げた。

 そうしている間にも、秋田犬たちはなまはげに襲い掛かり、その首筋に噛みつき、おびただしい流血により、その生命を奪っていく。なまはげも反撃し、何匹もの秋田犬もその意識を失い、息絶えていた。

 だが、なまはげ以上に秋田犬の数が多い。やがて、なまはげはすべて死滅し、秋田犬だけが残った。


「ありがとう! 可愛いのに、強いのね」


 モモちゃんは秋田県の一匹の頭を撫でる。その秋田犬は目を細くして、モモちゃんのするがままに任せていた。

 犬の習性には逆らえないらしい。


――親愛なる東京都民の方々、実はお願いがあってきたのです。


 秋田犬がそう言った。

 一体、どんなお願いなのだろうか。おやつはチーズがいいとか、そんなことかな。


――阿仁鉱山あにこうざんで巨大兵器が起動したのです。それを止めていただきたい。


 まず、阿仁鉱山がどこかわからない。そこに現れた巨大兵器もまたよくわからない。

 そんなわからないずくしでは、正直、どう動いていいかわからない。


「まあ、そう言うな、ゴロー。まずは話を聞こうじゃないか」


 ――感謝します、東京都民のリーダー。

 平賀源内という人はご存知でしょうか。彼は阿仁鉱山の機械化を進めていたのですが、その電脳が何者かによって操作され、暴走を始めたのです。


 平賀源内。東京都民だ。

 いくつもの看板を持ち、あらゆる事業を起こし、エレキテルに代表される発明の数々によって、東京都を湧かし、混迷にも陥れた複雑な人物である。その平賀源内の遺したものによって起こされた事体であれば、沈めるのはなかなかの困難というべきだろう。


「平賀源内ほどの発明家は東京都にはいません。それを止めるなんて、あたしたちには無理です」


 思った以上の拒否をモモちゃんが示した。それも敬語だ。公式な見解として無理と判断してるように感じた。


「その通りだ。東京都民の中でも平賀源内は選りすぐりの技術者。彼の作ったものをどうにかする装備は我々にはない。

 だが、それを操作したのが、平賀でないなら、話は別だな。対処の方法もあろう」


 イチロー兄さんがそう宣言すると、秋田犬たちから歓声が起こった。

 そして、秋田犬でない三者の秋田県民が発言する。


「おいがだが力になるす」


 それは異形のものたちであった。

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