第十一県 美しき獄炎、秋田

第一市 美の国

 山形を北上して、鳥海山ちょうかいさんを越える。鳥海山は完全に雪化粧になっており、その白雪が俺たちの行く手を阻む。

 とはいえ、雪山越えは初めてではない。装備も整っている。もちろん油断していいものではないが、慎重ささえ保っていれば、抜けられない難所ではない。

 そのまま、北に進み、やがて秋田の町へと辿り着いた。


 秋田の町は常秋のように思えた。木々は赤々と紅葉しており、木枯らしが吹く。

 美しい自然と一体になった、いや、自然の中に町があるかのような風景だ。


「あらぁ。他県の方かしらぁ。秋田は初めて? ふふ、この美しさに圧倒されてしまったんじゃないかなぁ」


 美しき秋田県民が声をかけてきた。

 秋田美人という言葉を聞いたことがあるだろうか。その言葉通りというべきか、その秋田県民は確かに美しかった。長く伸びたウェーブのかかった髪、切れ長の眼差し、高い鼻、シュっとした口元。スタイルもスレンダーでありながら、痩せぎすなイメージもない。

 これが秋田県民秋田美人か。ため息をつきたくなるような美しさである。


「これはどうも。秋田県民かな。私は東京都民のイチロー。秋田には観光でやってきたのだ」


 さすがに、イチロー兄さんは落ち着いた態度で秋田県民に遇した。

 すると、秋田県民はその姿を変えつつ、イチロー兄さんに返す。美しさは変わってはいないが、髪が短くなり、髪色が明るくなった。女性的だった顔立ちが中性的なものに変わった。


「それは遠いところから来たんだねぇ。疲れただろう。

 どうだろう? 私が懇意にしている旅館があるんだ。しっかりともてなしてもらえると思う。そこに向かってみてはどうだい?」


 これはありがたい申し出。しかし、単純に信じていいかというと疑問もある。ここは秋田県であって、東京都ではない。悪事を働こうと跋扈しているものもいるはずだ。


「これは渡り船だ。案内してくれたまえ」


 イチロー兄さんは悩みもせずに即答する。

 いいのかな、この秋田県民のこと、何も知らないでしょ。


「ゴロちゃん、良かったね」


 俺の耳元にモモちゃんが囁いてくる。

 何が良かったというんだろう。


「さっきから、あの人秋田美人のこと見てたじゃない」


 いや、確かに目で追っていた。けど、別に見惚れていたとか、そんなことじゃない。秋田県民がどんな存在か見極める必要があるし、なんとなく追っていただけだ。


「どうだか」


 モモちゃんが俺に対して冷めた視線を送っていた。


   ◇   ◇   ◇


 秋田の町の旅館に通された。部屋がないのか、三人部屋だった。まあ、仕方がない。

 温泉に入り、浴衣に着替えると、大広間で食事が用意されているという。俺たちは喜び勇んで大広間に向かった。


 そこで出されたものは予想以上に御馳走の山だった。

 ただ、正直、あまり食べ慣れないものが多い。

 お刺身、焼き魚、それにきりたんぽ鍋。自然とぐきゅーと腹の虫が鳴る。


 よし、食べよう。

 この白身魚だけど、赤い色の入ったお刺身、これは何だろう。


「これはアカテリですのよ。東京都の方のお言葉ですと、ウスメバルでしたかしら」


 お料理を出してきた美しき女将が言った。

 薄紅色の着物に身を包み、髪はひっつめて後ろ髪に結んでいるが、上品な物腰を感じる。端正な顔で優しく微笑んでいた。安心感を感じる美人だ。


 アカテリを食べる。肉厚な歯ざわり。シコシコした噛み心地が面白く、脂の甘みが感じられる。

 それをお醤油につけて、ご飯を頬張る。これが最高だ。ご飯とお刺身の組み合わせ、これに優るものがあるだろうか。


「ゴロちゃん、ご飯なんて食べてるの? お刺身はお酒と一緒に味わうのが一番じゃない?

 今飲んでるのはこれ、秋田酒あきたさけこまち。あきたこまちで作られた日本酒で、甘さがとっても上品で、旨味も封じ込められてて、お米の香りも感じられるのよ」


 モモちゃんはすでに飲んでいた。というか、俺が食べてるご飯もあきたこまちなんじゃないのかな。


「はっはっは、そんなものに優劣はない。私はご飯も食べるし、酒も飲んでいる。アカテリもホウボウも、米にも酒にも合うぞ」


 イチロー兄さんがそう言いながら、ご飯をかっ込み、酒を飲む。

 いや、それが一番、邪道な食べ方なんじゃないか。


 次いで、焼き魚を食べよう。これはハタハタという、秋田を代表する魚らしい。


「ハタハタは秋田県の県魚ともいわれていて、とても美味しい魚なんですよ。焼いても煮ても、鍋に入れても美味しいのです。

 秋田県民は正月を迎えるにはハタハタがないといけないとまで言われているんですのよ」


 美人の女将さんが説明してくれた。


 じゃあ、食べるか。

 一口がぶり。美味しい。淡白な味わいではあるものの、その奥に甘さがあり、飽きない食べ心地であった。

 これはいくらでも食べられるな。そう思い、さらにもう一つのハタハタに手をつけた。


「これ、本当にお酒に合う。生臭さとか全然ないから、食べやすいね」


 モモちゃんはそう言いながら、相変わらず飲んでいる。


「これはまた奥深い味わいだ。見はほろほろしていて食べやすいし、旨味も十分。一見して淡白な香りだが、噛みしめるごとにさまざまな面を見せてくれる」


 イチロー兄さんもハタハタを気に入ったようだ。


 そして、きりたんぽ鍋である。これは是非とも味わってみたかった。

 煮立った鍋の魅力は異常だ。中身はきりたんぽ以外に、鶏もも肉、ゴボウ、長ネギ、舞茸、それにセリ。


 まずは鶏もも肉。比内地鶏で取られた透明なスープの中に、比内地鶏のもも肉が入っている。これで相性が悪いはずもない。旨味たっぷりの濃厚なスープに、もも肉ならではのさっぱりした美味しさが染みる。

 ゴボウの泥臭い旨さ、長ネギのシャキシャキとした食感と爽やかさ、舞茸のしゃっきりとした美味しさ、どれも素晴らしい。セリの独特の香りと味わいの強さも印象的だ。


「でも、なんといってもきりたんぽじゃない。香ばしくて、甘さもあって、モチモチしてて、それが鍋のスープを吸っているのよ。美味しくないわけないじゃない」


 そう言いながら、モモちゃんはハフハフときりたんぽを頬張っている。


「なるほど、餅と米の中間のような味わいだな。確かに醤油と出汁の効いた味わいは見事だな」


 俺たち三人は秋田の料理を堪能していた。

 けれど、そんなことではこの夜は終わらない。この時、すでに秋田県民に異変が起きていた。

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