第七県 虚無の侵略、茨城

第一市 侵食

 ガシャンっガシャっ


 俺たち三人を乗せた金陀美具足きんだみぐそくがついに動きを止めた。燃料が尽きたのだ。

 しかし、栃木の日光から那須高原を抜け、八溝やみぞ山地を越えれば、もはや茨城である。茨城の広大な平原が広がっていた。


金陀美具足きんだみぐそくはここに乗り捨てる。あとから追ってくる栃木県民鬼怒川の鬼たちが回収する手はずだ」


 イチロー兄さんはそう言うと、胸部を開き、露わになったコクピットから出てきた。

 ここから先は自分の足で進まなくてはならない。それは大変なことのようにも思えるが、しかし、金陀美具足きんだみぐそくに揺られる道行きもキツいものであった。ようやく解放されたという安堵感も強い。


 しかし、そんな気分も茨城の様子を見て、一転する。


「なんだ、あれ? いや、何もないのか?」


 茨城中が何かに侵食されている。いや、侵略しているものなど存在しない。


「あれはです。

 茨城県民はかつてこう語ったとされています。茨城県には何があるか。そんな問いかけに対してでしょう。

『何もないんだなあ、これが』

 茨城県は虚無に侵食されていると、そう訴えかけたようです。しかし、そんな悲痛な叫びを理解できる東京都民はおらず、今もなお茨城県は虚無に侵され続けているのです」


 モモちゃんが全国観光ガイドブックを片手に、そう語った。

 茨城に踏み込むということは、虚無に侵食されるという危険と隣り合わせということだ。


「本当にこのまま進むの? このまま北上して、福島へ……」


 言いかけて口をつぐんだ。

 東京都を一歩でも外へ出れば、そこは魔境である。茨城は恐ろしい場所であるが、福島もまた口に出すのもはばかられる場所であるのだ。

 これだけ東京都から離れてしまうと、どこにも安心できる場所なんてない。


「そうだな、確かに虚無に出くわすのは避けたい。まずは虚無を避けるべく、高所へと向かう。そこで進路ルートを検討しようじゃないか」


 そう言うと、イチロー兄さんは平原の先に見える山に向かい、歩き始めた。その山はぽつんと一山だけそびえているが、不思議と雄大に見えた。


「あれは筑波山つくばさんですね。茨城県のシンボルであり、百名山に数えられる山でありながら、標高877メートルという百名山の中で一番の低山でもあります。ですが、その威容は見事というべきで、西の富士山、東の筑波山といわれているようです」


 モモちゃんが解説してくれる。

 俺たちはその筑波山を目指した。その裾野に入ると次第に道は険しくなる。低山と思い、舐めた気持ちでいたが、なかなかの急登を進んだ。

 そして、ようやく山頂へと辿り着く。遥かなる茨城の景観が広がった。


 しかし、感動している暇なんてなかった。頭上を何者かが通り過ぎていった。

 なんだ、鳥か? いや、人か? まさか、天使?


「天狗か」


 イチロー兄さんが呟く。そうか、天狗か。

 しかし、天狗というのはやらとうるさい。


 ブオォォォォンっブオオオォォォォォンっ


 爆音を鳴り響かせながら、筑波山の上空を通り過ぎていく。


    ◇   ◇   ◇


 パラリラパラリラっ


 天狗党ヤンキーたちは爆音とともに奇怪な音を鳴り響かせて、茨城上空を飛んでいた。彼らは皆、固有の飛行機械に跨いでおり、それが轟音を慣らしているのだ。


「なるほど、虚無は音に弱い。そのためにあんな音を慣らしているのだな。彼らなりの抵抗なのだろう」


 イチロー兄さんが独自の見解を示す。だが、その可能性も考えられることだ。

 暴走族ヤンキーたちも滅びゆく自分たちを憂い、それに抗うため、わざわざ轟音を鳴らして自分たちの存在を示しているのかもしれない。そして、その自己主張、あるいは自己顕示欲こそが虚無と相反するものであり、虚無に抵抗できる数少ない手段になっている。そんな風にも考えられる。


 みんな、生きるのに必死なんだ。

 東京都から遥かに離れた地において、そんなことを思う。東京都から離れては人間は存在しない。だというのに、人間とは異なる生命に人間と同じような感情があるのを見つける。そのことに奇妙な情緒を感じてならなかった。


 パラリラパラリラっ


「いや、ことはそんな穏やかなものではないらしいぞ」


 珍走団茨城県民たちの慣らす音が鳴り響き、その方向に対して、イチロー兄さんが視線を向ける。


 茨城県民珍走団たちが同じく茨城県民普通の茨城県民たちを攻撃していた。首をねられ、頭蓋骨を割られ、心臓を貫かれ、あるいは大量の血を出血させられ、茨城県民普通の茨城県民たちが死んでいく。

 それは尋常な光景ではなかった。


「これは、むごい。イチロー兄さん、助けに行かないと……」


 俺の言葉にイチロー兄さんも頷く。

 そして、ロープウェイ乗り場に行き、お金を払うと、それによって得たチケットと引き換えに、ロープウェイで茨城県民天狗党たちの後を追った。


「そこまでだ!」


 俺は鬼切りの太刀を抜いた。天狗ヤンキー相手でも効力を発揮するだろうか。

 そうしている間にも、イチロー兄さんは拳銃を構え、即座に茨城県民珍走団たちを撃ち落としていた。


「えーっと、金色のものはここに置いて、紫色のものはここに……」


 モモちゃんは何かの配置をしている。これは、モモちゃんが得意とする仙人の秘術の一つ、風水術であろう。地形を我が物とし、地形によって自らの利を得るという恐るべき秘術た。


「えと、この配置でいいはず。はい、天狗党珍走団の皆さん、沈んでくださいな」


 その宣言とともに、茨城県民天狗党たちは翼をもがれたように、地上へと落下していく。これこそが風水の力だというのか。地形を操るのは難しいとされているが、モモちゃんであればいとも簡単に操ってしまうようだ。


「へっへっへ、俺たち、水戸天狗党茨城県民を誰が率いていると思ってんだ? 我らがかもさんとムリョーさんだぜ」


 茨城県民ヤンキーの一人が息まきながら凄んできた。

 天狗とは鼻が高く、反り上がっていると聞いていたが、少し違う。鼻ではなく、髪型が盛り上がっていた。

 物理法則に反しているような異様な髪型だ。リーゼントにより髪が流線形に反り上がっている。これが茨城県民ヤンキーとして主張している場合の見た目らしい。


 しかし、今出た名前はなんだろう。思い起こしてみる。

 ムリョー? 知った名のような気がする。しかし、鴨という男には心当たりがない。どんな奴なのだろうか。

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