第三市 見ざる、聞かざる、言わざる

 一体、どうしたことか。

 しもつかれの流れに巻き込まれたはずが、どこか車両の中で横たわっていた。まさか、何者かに助けられたのか。


――キーキーキー


 栃木県民ニホンザルの声が聞こえた。何かを話しているようだ。

 俺は聞き耳を立てた。


「東京都民を二人も捕らえたのだ。こいつらも大権現様の御前へ連れていけば、褒賞はたんまりだろう」


 楽観的な状況ではないらしい。だが、その言葉には違和感があった。

「こいつらも……?」ということは、俺とモモちゃん以外にも東京都民を捕えているということになる。まさかとは思うが、イチロー兄さんも捕まっているというのだろうか。

 だが、大権現様とやらは何者なのだろうか。


――キーキーキー


「大権現様が東京を取り戻しになるのだ。そのための東京都民の拉致だろう。褒賞金どころじゃないぞ、我々も大臣や貴族に取り立てられるのではないか」


――キーキーキー


「おい、声がでかいぞ。監察者に聞かれてみろ。分不相応な望みを持っていると取られて、褒賞金すら取り上げられかねないぞ」


 ここはどこだろう。ガタガタと揺れている。車両はひっきりなしにカーブを続けている。随分と曲がりくねった道だ。

 手足は縛られていて、まったく動けない。目隠しを何重にも掛けられていて、周囲の様子を見ることはできない。猿ぐつわもされていて、声を発することもできなかった。聴覚と全身の感覚でどうにか情報を集めるべきだろう。


 パラパラパラっ


 何かがほどける音が近くで聞こえた。そして、俺を縛る縄や目隠し、猿ぐつわが触られる。すぐにどちらも解かれた。


 え? なんで?


 疑問に思うが、その答えはすぐにわかる。モモちゃんだ。彼女が自力で縄を解き、俺も縛めから解放してくれたのだ。

 いや、様子を見るつもりだったんだけど。


「これからどうするの?」


 俺が尋ねると、モモちゃんは人差し指を俺の唇に当てる。しぃーという合図だ。

 このまま、潜伏するつもりらしい。俺たちは暗がりの中で様子を窺いつつ、状況が動く時を待っていた。


    ◇   ◇   ◇


 車両が停車した。

 ゴクリと息を飲む。そして、モモちゃんと呼吸を合わせた。


 ガチャリっ


 荷台の扉が開いた。その瞬間、俺たちは動く。

 まず、モモちゃんが札を手にすると、呪文を唱える。彼女の得意とする仙人の秘術の一つ、五行術だ。


さるは木気なり。木気は金気の斧で討ち果たせん」


 呪文に反応し、札は斧へと変化した。その斧を猿の脳天に撃ち落とす。猿は脳漿をぶち撒け、動かなくなった。

 うん、五行の流れとか関係なく、斧で頭を潰したら死ぬよね。


 俺も動く気はあったが、モモちゃんが周囲の猿を倒してしまっていた。

 いや、本当。動きはあったのよ。


「そんなことより、様子を探るよ」


 そう言われて辺りを見回す。そこにあったのは神社であった。

 だが、神社というにはあまりに巨大で、あまりに煌びやかである。ここに祀られているのは、ただの神ではあるまい。


「ここは日光東照宮。栃木の総本山に当たるみたいね。ここにまつられているのは……」


 モモちゃんが全国観光ガイドブックを照らし合わせ、この場所の情報を焙り出した。しかし、それを聞いている場合ではないようだ。

 何者かが来る。俺は彼女の前に立ちはだかった。


 その瞬間、三匹の栃木県民が現れる。

 一匹の栃木県民は抜き手で俺の目を貫いた。眼球が貫かれるような痛みとともに、目から血が噴き出す。俺は視覚を失った。

 もう一匹の栃木県民はアームロックで俺の耳を羽交い絞めにする。鼓膜を破くような衝撃が走った。俺は聴覚を失う。

 最後の栃木県民は俺の喉に拳を叩きつけた。苦しみとともに喉が潰れたのがわかる。俺は声を失った。


――これが話に聞く、見ざる、聞かざる、言わざるか。何も見えない、何も聞こえない、助けも呼べない。


 しかし、倒れるわけにはいかない。空気の流れ、臭いの入れ替わり、それだけを頼りにして、太刀に手を掛ける。

 反応があれば斬る。そう思うが、近くにはモモちゃんもいるはずだ。それを考えると、覚悟が鈍る。彼女を巻き添えにはしたくなかった、


 甘い香りがした。これはわかる。モモちゃんだ。

 次いで、獣の臭い。これが三匹の猿のはず。


 声を発することができれば、こちらの意志を告げられるのに。

 しかし、今はできることをしなくてはならない。

 俺は隙が生じるのを承知で、大振りに構える。そして、獣の臭いに向けて一太刀を放った。


 ズサっ


 確かな手応え。それとともに、視界がはっきりする。見猿みざるを討ち果たしたということだろうか。

 だが、次いで音が聞こえ始める。まさかとは思うが声を発してみる。


「あ、あ……。声が出る。これは?」


 俺が袈裟斬りにした猿以外にも、脳漿をぶち撒けている猿が二匹いた。モモちゃんがやったのか。


「あはっ、いい連携だったね」


 目も見えず、耳も聞こえず、声も出せない。そんな状況でどう連携取れたというのだろう。せめて、言葉で状況を説明できれば違ったと思うのだが。


「ゴロちゃんの考えてることはわかるでしょ。いつもやってることじゃない」


 ああ、そういえば、そうだった。

 期せずして、モモちゃんのアシストはできたってことか。


 そんなことよりも、日光東照宮の門は開けた。ここから先に何が待ち受けるのか。

 兎にも角にも、進むしかないのだ。

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