第二市 宇都宮餃子
鬼は退治する。確かにそう約束した。
けれど、思い出してほしい。この約束には期限が設けられていないということを。だから、鬼を退治するのは一年後でも十年後でも構わないのだ。
そんなことよりも、イチロー兄さんやモモちゃんと合流しなくては。あの二人さえいれば、あっという間に鬼退治なんてしてくれるだろう。
なんていうか、俺だけだなんて怖い。
歩いていると、
栃木県民はなぜかはわからないが、餃子を信奉しているらしい。なんでこんなものを像にする必要があるのだろう。正直、困惑する。
「あら、ゴロちゃんじゃない」
声をかけてくるものがあった。振り返らなくてもわかる。モモちゃんだ。
一体、どこではぐれてしまい、どこにいたのだろうか。
「あたしはね、
でも、那須では鬼たちが殺生石を割ったとかで、
げげっ。モモちゃんもそうなのか。ということは、イチロー兄さんと合流する前に鬼退治する流れになってしまうのか。
「まあ、確かに三人の合流を急いだほうがいいのは確かね。でも、鬼退治もしなくちゃいけいないし。それより、あたしは日光が気になるのよね。
でもさ、せっかく宇都宮に来たんだから餃子食べない?」
それは素晴らしい提案だった。俺たちは餃子店へと入ることにする。
「しゃーせー」
店員の挨拶を流しつつ、席につき、餃子を注文する。ついでにビールもだ。餃子にはビールを合わせるのが栃木では礼儀である。たぶん。
ビールを飲む。歩き疲れた体に冷たいビール。これ以上に美味いものは存在しない。炭酸と麦の香りが全身を駆け巡るようだ。
「ぷはぁーっ」
モモちゃんもビールを一息で飲んでいた。彼女もくたくたなのだろう。
「ほんとほんと、これより美味しいお酒なんてないよねえ」
そうこうしているうちに、餃子が出来上がった。
口に運ぶと、野菜と肉のいい匂いが漂ってくる。噛み応えも特徴的だ。柔らかい部分とカリカリな部分があり、それが独特な食感を生んでいる。
宇都宮の餃子は野菜が多い。ニンニクは少ない。そのせいか、味わいがまろやかでさっぱりしている。これはいくらでも食べられそうな餃子だ。
「宇都宮餃子の由来ですが、宇都宮師団が中国で連戦したことがあって、餃子の作り方を学んできたそうです。栃木ではニラの生産数が高いこともあって、そのまま定着したようですね。
けど、この餃子を巡っては戦いがあって、宇都宮の勝利が危ういこともあるんだって」
モモちゃんが宇都宮餃子について説明してくれる。
途中までは敬語だったが、この場にイチロー兄さんがいないことを思い出したのか、途中からざっくばらんな説明になった。
「けどさ、宇都宮の餃子なんて、町おこしのイベントって部分が強いんじゃないの? 素直に別の地域に譲ってあげてもいいと思うんだけど」
俺が何の気なしに軽口を叩く。すると、ガチャンっと物を落とす音がした。餃子屋の店員が何かを落としたらしい。
その店員はわなわなと打ち震えている。
「そんな宇都宮が餃子戦争で負けたんですか?!」
見ると、栃木県民たちが集まっていた。彼らはみな絶望した面持ちで、顔を真っ青にしている。
「どこに負けたんです? まさか、浜松……?」
栃木県民の一人が問う。すると、別の栃木県民が答えた。
「宮崎だ。奴ら、いつの間にか力をつけてやがったんだ……」
見ると、その栃木県民は肩から血を流しており、息も絶え絶えだった。この餃子店に戦いの趨勢を伝えるために、命懸けでやってきたのだろう。
それだけ発言すると、倒れ込む。事切れたようだ。
「くそっ! 浜松には鰻が、宮崎にはピーマンがあるじゃないか! 宇都宮から餃子まで奪わなくていいのに!」
悲愴な栃木県民の叫びが響いた。だが、絶望の声はそれで終わらない。恐怖に満ちた声が溢れ出てくる。
「宇都宮餃子で隠していたあれが来る……。あの悍ましく、吐き気を催す、口にするのも憚られる、最悪の存在が……」
栃木県民たちは恐慌を起こしていた。一体何が始まるのだろうか。
モモちゃんが俺の肩を叩く。呆然と栃木県民の様子を見ていたが、はっと我に返った。
「逃げるよ、ゴロちゃん。もう宇都宮にはいられない」
そう言うと、モモちゃんは
それは先ほどの餃子の石像から鳴っている。餃子の石像はその皮が破けそうになっていた。
宇都宮で餃子が名物になっていたのは恐ろしい存在を覆い隠すためだったのだ。
「来る。しもつかれが……!」
それはどんな存在だというのか。妖怪か邪神か。いずれにしても恐ろしく悍ましいものであることは明らかだ。
それが、ついにこの宇都宮に姿を現すというのか。
怖ろしい。一目散に逃げなくては。
俺はモモちゃんの手を取ると、餃子の石像とは反対の方向に走りだした。
どっどっどっどっどっ
石像の皮が完全に破け、何かが溢れ出てきた。それは瞬く間に、宇都宮中を覆う。
これが、しもつかれ? まるで吐瀉物。いや、食べ物にそんな形容を使ってはいけないか。だが、そうとしか例えようがない。鮭の切り身と大根の切れ端、豆の欠片がぐちゃぐちゃに混ぜられている。
魚の生臭さが充満していた。それが酒粕の匂いと混じり合い、正直、生ゴミ……いや、ゲロの臭いだな。
「まずい、巻き込まれる!」
俺とモモちゃんはしもつかれの波に飲まれようとしていた。
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