第二市 力あわせる二百万

「よし、すき焼きを作るぞ!」


 付近にいた群馬県人から下仁田ネギを買い取ると、イチロー兄さんが宣言した。しかし、スキヤキに必要な具材はそれだけではない。

 豆腐もいるし、春菊もいる。白滝も欲しいし、シイタケだって必要だ。何より牛肉がなくてはすき焼きではない。生卵も必須だろう。


「それなら、何の問題もないよ! ここ群馬ではそのすべてが手に入る。群馬県、またの名をすき焼き県といってね、すき焼きの具材自給率がなんと100%なんだ」


 下仁田ネギ畑の運営者オーナーである群馬県民が言った。

 だが、その言葉にモモちゃんが慌てる。そして、何度も何度も全国観光ガイドブックのページをめくった。


「おかしいです。すき焼き県なんて言葉はどこにも出てきません」


 焦ったようにさらにページを何度もめくる。

 イチロー兄さんは余裕の表情で、それを制した。


「ハッ、自治体が勝手にそう言っているだけなのだろう。全国には浸透してはいまい。だが、都合はいいな」


 そう言うイチロー兄さんに群馬県人が反応する。


「あんたら、すき焼きを作るつもりかい。それは都合がいい。ちょうど、すき焼き料理大会を開きたかったところなんだ。

 よし、ここに大会の開催を宣言するぞ!」


 その一言で周囲から歓声が響き渡った。いつの間にか群馬県人が湧き出ていた。


「上毛カルタにはこんな言葉があるのさ。『力合わせる二百万』ってね。群馬県には力あるものが二百万存在するんだよ」


 群馬県民が得意げに語る。

 なんと怖ろしいんだ。群馬県民を名乗れるほどに力ある存在がそれほどの数に登ろうとは。あまりの恐ろしさに恐怖で震える。


 ところで、上毛かるたってなんだ。


「上毛かるた。群馬県民に密かに語り継がれる言語らしいです。上毛かるたを話せないものは群馬県民と見做されないのだとか」


 ぞくり。背筋を冷たいものが走る。

 それでもし群馬県民でないと知られたら、どうなるというのか。想像することすら恐ろしい。やはり、群馬県民は危険な種族だ。


 だというのに、イチロー兄さんは相変わらず自信満々だ。


「面白い。すき焼きは関東風より関西風が美味い。それを思い知らせてやろう」


 なにぃ!? 関西風? 東京都民であるイチロー兄さんが関西風のすき焼きを作るというのか。


「真の東京都民は関西の味すら再現することができる。覚えておくのだな、ゴロー」


 だが、それに反感を持って返したのは群馬県民だった。


「すき焼きは関東風が美味い。関西風を食べたことがなくてもわかるさ」


 むきになって言い返した群馬県民だったが、イチロー兄さんはそれを涼しい笑顔で流す。

 この大会、一体どうなってしまうのだろうか。


     ◇   ◇   ◇


 群馬県民が鍋の中ですき焼きの割下を煮立たせていた。醤油、みりん、酒に加えて、出汁と砂糖の入った甘みたっぷり、お馴染みのすき焼きといえるだろう。

 その中に、群馬県産の白菜、群馬県産の春菊、群馬県産のえのき、下仁田ネギを入れた。群馬県産の豆腐に焼き色をつけて、群馬県産のこんにゃくでできた白滝は茹でてあくを抜いたものを並べていく。さらに、群馬県産の上州和牛の薄切りを乗せていった。


 ゴクリっ


 これは美味そうだ。俺はお椀に卵を溶きいれると、それに絡めて下仁田ネギを食べる。シャキシャキとした食感。何層にもなったネギから上質な旨みと刺激的な味わいが広がっていく。

 続いては肉だ。和牛ならでは高品質の脂身、旨みたっぷりの赤身。口の中に入れるととろけるようで、すき焼きの甘さも相まって、頬っぺたが落ちそうだった。


「どうだい、これが群馬の誇り、関東風すき焼きだよ」


 群馬県民が会心の笑みを見せる。確かに、これほど美味いすき焼きを作れるのなら、得意になるのも仕方ないだろう。


「では、次は我々の番か」


 イチロー兄さんが立とうとすると、それを止めるものがあった。


「私は『代表的日本人』の内村うちむら鑑三かんぞうと申すもの。私にもすき焼きを作らせてください」


 なかなか大層な人物が話しかけてくる。その言葉を聞き、イチロー兄さんの目が光った。


「いいですとも。どうぞ先に作ってください」


 イチロー兄さんが促すと、嬉々として内村氏はすき焼きを作り始める。


 まずはすき焼きの鍋に牛脂を塗る。群馬県産の白菜、群馬県産のしめじ、下仁田ネギ、群馬県産の焼き豆腐、群馬県産の白滝を並べていく。そして、その具材の上に、上毛牛を乗せると、割下を牛肉にかからない程度に浸す。

 ぐつぐつと煮える。その蒸気が肉に熱を通していく。


 まさか、この調理方法は、蒸す!

 蒸すすき焼き。そんなのもあるのか。美味そうだ。


 私はすき焼きを供されると、真っ先に牛肉を口にした。

 美味し! 赤身と脂身のバランスがいい。言ってはなんだが、脂身が少なくて、赤身が多いのが美味いなんて言わないぞ。脂身、最高! 脂身が美味い肉こそが美味い肉なのだ。この調理方法だと脂身が残ったままだ。実に美味い。


「ふふ、どうですか。これぞ置賜おきたま風すき焼き。この調理法は、遥かなる北の大地でクラーク博士から伝授されました。これこそ、神の御心に最も添ったすき焼きなのです」


 ぐうの音も出ない。確かに、これぞ生き物の美味しさをそのまま活かしたすき焼きだ。神が置賜風を所望されたとして不思議はあるまい。

 だが、そんな俺の様子をイチロー兄さんは微笑みながら眺めていた。


「いや、いいのか、イチロー兄さん。どのすき焼きも美味い。これ以上のすき焼きなんて、作れるのかよ?」


 俺の問いかけにイチロー兄さんは笑みを崩さない。

「ま、見てろって」

 それを言うだけだ。まさか、後攻だから勝てるなんて、そんな考えでいるんじゃないだろうな。


     ◇   ◇   ◇


 鍋に牛脂を塗ると、イチロー兄さんは真っ先に牛肉を焼く。赤城山で手に入れた赤城和牛だ。


「そんな短絡的だよ! いきなり肉だなんて」


 俺はその暴挙に思わず声を漏らした。それを聞くと、イチロー兄さんはにんまりとほくそ笑む。

 そして、牛肉に砂糖をまぶして割下と絡めると、審査員たちに肉を食べさせていく。


 さらに牛肉を入れると、ネギを入れ、割下を入れ、群馬県産の白菜である邑美人、香り豊かな群馬県産の春菊、こだわりの菌床でつくった椎茸、焼き豆腐、白滝、下仁田ネギを並べていく。そこに割下を入れ、煮立ったら、さらに牛肉を入れていった。

 それを卵に入れて食べるのだ。美味しくないはずがない。


「ぬぅっ。これほどの食材が群馬県に眠っていたとは! イチロー殿、天晴じゃ」


 さしもの群馬県民の審査員たちも唸った。

 とはいえ、これは簡単な叙述トリックである。同じ材料を使っているのだが、地の文での表現が違ったのだ。その差により、我々の使った野菜の方が美味しそうに見える。これこそ、イチロー兄さんの、そして、地の文を読み上げていた俺の策略だ。


「締めには、群馬を代表する水沢うどんで、うどんすきをどうぞ」


 審査員たちは〆のうどんを楽しむ。

 これも先ほどの二人の取らなかった行動だ。腹いっぱいになっては後の審査に響く。そうした配慮からのものだったが、それにより生まれた隙をイチロー兄さんは逃さない。


「優勝はイチロー一行だ。これを受け取れい! 恋の病さえ治すという草津の湯の招待券だ!」


 群馬県人の言葉とともに、一枚のチケットがひらりと上空から舞ってきた。

 これは手に入れたい。俺はタイミングを見計らい、ひらりひらりと舞うチケットに飛びついた。しかし、思うところはみんな一緒だったらしい。イチロー兄さんも、モモちゃんも、そのチケットに飛びついていた。


 そして、三人が一斉にチケットを取った瞬間、チケットが輝き、三人をその中へと取り込んだ。俺たちは草津温泉の世界へと吸い込まれたのだった。

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